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親鸞仏教センター通信
第33号 March 2010
[巻頭言]如来より賜りたる「信」
親鸞仏教センター研究員 山本 伸裕
 私たちの暮らしている世界が、数多くの不確かなこと、疑いを完全に払拭しきれない事柄に取り巻かれていることに異論を挟む人は、ほとんどいないと思われる。しかし、そうした不確かさや疑念のためにいちいち逡しゆん巡じゆんしていては、日々の生活は成り立たない。そのため、私たちは「信ずる」という行為を通じて、日常の底に横たわる不信や疑念を、その都度、飛び越え克服しようとする。「信ずる」ということは、その意味で、誰しもにとってごく身近な行為と言える。
 宗教において「信」は、それを特徴づける重要な要素であることは言うまでもない。つとに、哲学者パスカルは、「信」にどこか「賭け」的な要素が孕はらまれていることを指摘している。実際、現代人の多くは、何かしら人智・理性を超えた「得体の知れないもの」に、一種の「賭け」のごとく信ずることで己の存在を委ねるのが、「宗教」における「信」の特色であるかのように考えているのではないか。だとすれば、現代の日本に、「無宗教」であることを、むしろ誇らしげに自任する人が後を絶たないのも無理はない。「無宗教」をもって任ずる人の多くは、何も人智を超えたわけのわからない、「得体の知れないもの」に自己の全存在を委ねずとも、日常生活を平穏無事に送っていくのに何の支障もないと思っており、神でも仏でも、およそ宗教を信じる人たちは、よほど人生に生き詰まり、わけのわからないものにでも縋すがらなければ生きていけないような心の弱い人間であると感じているに違いないのである。
 なるほど、「信じる」という行為には、大概の場合、そこに「賭け」的な要素の見いだされることは事実であろう。だが、宗教を特徴づけるところの「信」、少なくとも真宗における「信」においては、「賭け」的要素の入り込む余地は一切ないと断言してよい。まさにその点において、宗教における「信」(とりわけ真宗の「信」)は、通常一般の「信」とは厳密に区別されねばならない。真宗では「機の深信」ということが言われる。これなどは、信じる主体であるところの「機」、すなわち「自己」が否定されきったところに成り立つ「信」にほかならない。この「信」にあっては、「あれか、これか」に迷い、賭けることのできる能力をもつ「私」の能力そのものが、完全に否定されているのである。
 自力を完全に否定するということは、言い換えれば、自己をゼロ位に置くということでもある。『高僧和讃』に「かならず煩悩のこおりとけ、すなわち菩ぼ提だいのみずとなる」(『真宗聖典』493頁、東本願寺出版部)という言葉があるが、「自力無功」(清沢満之)を信じるとは、まさにこのことであろう。氷が融けて水になるには、必ず0度を通過しなければならないように、この「信」と救いの間に、一切飛躍はない。
 私たちが「信ずる」ということを、「賭け」のように考えているうちは、真宗の教える真の救いに与あずかることは、とてもできそうにない。
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