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親鸞仏教センター通信
第39号 December 2011
慈悲のかわりめ
親鸞仏教センター研究員  花園 一実
 この文章を書いている数日前、京都で予定されていた「五山送り火」に関する、ある事態がニュースとなっていた。当初京都市では、慰霊の意を込めて、東日本大震災の津波で流された、岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を大文字で燃やす計画であったが、放射能汚染を懸念する声が相次いだことから、結局「不安を払拭することはできない」と受け入れを中止した。だが、これに多くの批判が殺到したため、一時、送り火を行うことを再び決定していた。しかし、届いた薪から新たにセシウムが検出されると、「科学的根拠から安全性を保証できない」として、結局その薪を使用した送り火は中止となってしまったのだ。
 この問題について、倫理的、宗教的、さまざまな立場から意見が寄せられていた。しかし、事柄の是非はともかくとして、私は今回の出来事は人間における宗教的行為の限界を示すものではなかったかと思う。
 「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と始まるのは『歎異抄』の第四章である。「聖道の慈悲」とは、人間の思いによって他者を助けたいと願う心である。しかし、その心によっては思うごとくに人を助け遂げることは難しいと親鸞は言う。今回の送り火問題に見えるように、私たちは限定された身と環境を生きている以上、現実のさまざまな制約の中にあって、思い通りに人を助け遂げることはかなわない。これはどうすることもできない、私たちの背負っている身の事実である。しかし、そのことに納得がいかず、どうしても苦しまずにはいられないのも、また人間であろうかと思う。
 聖道の慈悲とは、どこまでも人間の悲しみである。震災後、多くの報道が被災地の悲しみを伝えていた。愛する者を失った悲しみ、自分だけが生き残ってしまった悲しみ、親しい者の悲しみに寄り添えないことの悲しみ・・・・・・。どうにかしてあげたいという人間の祈りのような要求が、どうすることもできないという無常の現実に直面したとき、私たちは立ち尽くし、嘆かずにはいられない。しかし、その嘆きの中にこそ、親鸞の言う「慈悲のかわりめ」があるのだ。
 かつて、「祈りとは力及びがたき自分の発見である」と言った人がいた。言い換えれば、聖道の慈悲としての、私たちの思いによる救済への希望の芽が尽きたところに、本当に純粋な祈りがあらわれてくる、ということであろう。それは人間の思考が移り変わるのではなく、かえって慈悲それ自身の歩みというべきものである。他者を慈しみ悲しむ人間の心が、どうすることもできない身の事実に直面したとき、その悲しみは自己の内側に向かっていく。その悲しみの中で、私は私に先立って私を悲しみ続けてきた、大いなる悲しみに触れる、「慈悲のかわりめ」という時を持つのである。
 「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけらる(金子大榮『歎異抄領解』)」。
 親鸞が顕(あきら)かにした宗教的自覚としての信心とは、この大悲によって、悲しまれ続けている自己の発見に他ならない。
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