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親鸞仏教センター通信
第42号 September 2012
批判される感情的言説
親鸞仏教センター研究員  春近 敬
 「感情的にならずに、冷静に広く議論を尽くしましょう」。異なる意見が衝突した際にしばしば用いられる言い回しである。この言葉には、ある一つの前提がある。それは「感情的」という言葉が否定的な意味合いで用いられていることである。感情的であるということは、「冷静」、すなわち理性的であることよりも価値が低く、物事を進めるにあたって排除されるべきこととされている。
 このように、感情的であることが批判の対象となるような言説は、すでに明治時代の後期に見ることができる。清沢満之とその門弟らによる雑誌『精神界』を中心とした精神主義に対して、常識主義を掲げる雑誌『新仏教』に集う仏教青年たちの批判であった。精神主義は、相対有限である私たちの思い描く道理や道徳、社会的な規範や価値観などは、所詮は相対有限の限界を超えることはできず、どこかで破綻するものと考える。したがって、相対有限の所産であるこれらに自分の立脚地を置く以上、精神的な苦悩と不安定は免れない。絶対無限にその立脚地を定めることで、はじめて自分の心の内面に平安を得ることができるとする。これに対して常識主義とは、正しい知識や道理に沿って理性的に求められた仏教こそが「健全なる信仰」であり、新しい日本の時代社会に即応したものであるという主張である。社会的価値に背を向ける精神主義は感情的な「病人の信仰」であり、すでに心身の困難に苦しむ者の一時の慰めにこそなれ、大多数の国民にとってはむしろ生きる力を奪うものであると批判したのである。しかし、彼らの多くは、「健全なる信仰」の立脚地となる知識や道理をその根拠から批判的に問い直していくことまではしなかった。ただ、日清戦争から日露戦争に突き進んでいった当時の社会常識に沿うことが「理性的」な理解とされた。そのため、結果的には当時の天皇を中心とした倫理観を自明のものとして追認することとなったのである。
 この批判の枠組みは、現代の議論においても大きな示唆を与えるものである。私たちが「理性的」だと思っている言葉は、本当に揺るぎない根拠をもっているのか。反面、「感情的」な言葉というものは、本当に除去すべき雑音に過ぎないのか。清沢に言わせれば、「感情的」ということも「理性的」ということもあくまで相対有限の範疇(はんちゅう)であって、そこに最終的な立脚地を置いてしまえば、あたかも「浮雲の上に立ちて技芸を演ぜむとする」(清沢満之「精神主義」)ようなことになる。そうなれば、双方ともに足をすくわれて転倒してしまうようなことにもなりかねないのではないかと考えるのである。
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