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親鸞仏教センター通信
第43号 December 2012
真宗と他者
親鸞仏教センター研究員  花園 一実
 最近、ある宗教学の先生が、浄土真宗の公共性について問題提起されている文章を拝見した。東日本大震災を受けて、多くの仏教者が現地において支援活動を行った。そのことの意義を大いに認めつつ、一方で仏教には、ボランティア活動などの公共的役割を果たすうえでの教理的な位置づけが未だ不明瞭ではないのか。特に浄土真宗では、他力念仏の教理を強調するとき、どうしてもそのような公共的活動が自力として退けられてしまう一面があるのではないかと、このような問題提起であった。
 この問題に対して、「いや、それは真宗の何たるかを理解していない発言だ」と耳を塞ぎ、真宗とはあくまで「個の自覚の宗教である」と言い張ることはたやすい。蓮如は「往生は一人一人のしのぎなり」と言っているし、『歎異抄』には「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉もある。もちろん他者への関わりを蔑(ないがし)ろにするわけではないが、肝心な問題は一人ひとりが教えに出遇うということにあるのだと。しかし、そう言ってしまえば、この問題はそれで「おしまい」である。他所(よそ)ではどうなっているかわからないけれど、とりあえず、私たちの宗派ではそのようになっている。だからこれ以上、議論の余地はない。
 実を言えば、これは何より私自身がそのように考えていたのである。宗教はどこまでも「個」の問題、すなわち「自己の苦悩」という現実問題を離れて語られることは許されない。このことは今でも変わらない思いとしてあるが、ではその時、「他者」とは一体どこにいるのか。「個の自覚」こそが重要だと言われるその瞬間、「他者」の存在はどこかに流れて消えてしまっているのだろうか。逆に言えば「他者」が問題にならないところに、はたして本当に仏教とは成立するものなのだろうか。このことが、震災を経た今、大きな問題として自分のなかに生まれている。
 かつて親鸞は、飢饉に苦しむ民衆を利益するため、自ら三部経を千部読誦することを試みたという。しかし、その行為に拭い切れない「自力の執心」を垣間見た親鸞は、苦悩のすえ読誦を中断し、他力をたのむ名号一つに専念した。後世を生きる私たちは、親鸞が「自力ではなく他力だ」と言ったその結論だけを切り出して、さもそれが親鸞思想の極致であるかのように鼓吹しがちであるが、それは大きな誤りであると思う。自ら民衆を強く思い、たとえ自力であろうが行動せずにはおれなかった、それこそが偽りない本当の親鸞の姿ではなかっただろうか。決して自力は無意味だと、離れた場所で念仏や書き物をしていたのではない。何より他者を考え、その他者との関わりのなかから、どうしても間に合わない人間の現実というものを、念仏の教えのなかに聞き取っていったその人こそが親鸞なのである。
 だからこそ、私たちは凝り固まった机上の論理に埋没してはならない。「親鸞の思想にはこうある」ではなく、「親鸞ならどうするか」という、最もシンプルな問いに立ち返るべきではないだろうか。はたして真宗の教えは他者を救いえるのか。否、他者へのまなざしを忘れたところに、決して「一人」の自覚はありえないのである。
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