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親鸞仏教センター通信
第48号 March 2014
我より深いもの
親鸞仏教センター所長  本多 弘之
 親鸞が語る「われら」は、凡夫としての衆生である。凡夫とは「ただびと」ということなのだが、その平凡さは「無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(『真宗聖典』545頁、東本願寺出版部)と言われる。四六時中、自他を汚すような心理を起こして、止まることがないのだ、と言う。
 そういう我、すなわち凡夫たる我は、そういう自分自身を悩み苦しんで生きる身でもある。我が、自分に起こる心理に振り回されて、自分自身を失っているのである。そういう我を、虚仮(こけ)不実だと教える言葉があり、その言葉の前に本当にそのとおりだ、情けない、悲しい、と頭を垂れる自己がある。
 この煩悩に振り回されて虚仮不実なる我を「自我」と名づけ、そのことをそのとおりだと聞き取る我を「自己」と名づけてみよう。この自己を自我から解放しようとする意欲が立ち上がるのを、仏教は発菩提心(ほつぼだいしん)と言うのであろう。仏陀は、この「自己」こそ衆生の真の主体であると見て、これに呼びかけ、真の主体を回復する方向を教えてきたのではないか。発菩提心とは、真の主体が「自己」を回復しようとする尊い意欲なのである、と。
 ところが、ことはそう簡単ではない。「臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(同)と語られる我らの煩悩は、自我を主人公として、生命が続く限り決してその座を明け渡そうとはしない。煩悩の心理が〈いのち〉それ自身のような顔をして、真実の「自己」が表に出ることを妨げ続けているのである。
 この真の「自己回復」の意欲を、一切衆生の存在回復の物語として呼びかけるのが、『無量寿経』の法蔵菩薩の発願修行の説話なのではないか。凡夫に真実の信心が発起するために、先の言葉で言うなら、真の自己回復のために、兆載永劫(ちょうさいようごう)の修行をくぐらざるをえないと、その困難さを語る。法蔵菩薩は、「自我」を生きている凡夫に、「自己」こそ真の主体なのだと納得させるために、地下水脈が乾いた大地の樹木を育成するように、見えざる苦労を持続するというのである。
 法蔵願心と阿弥陀の正覚とは、因果で語られている。阿弥陀の名告(の)りは、地中に深く修行し続ける法蔵願心と表裏している。因果は同時であり、表裏も同時である。それは、我ら凡夫において「自我」と「自己」とが表裏して存続することと別ではない。自我は消えることはないが、自己を自覚して法蔵願心の静かな意欲に、信頼して生きることを、本願の信心と言うのではないか。
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