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親鸞仏教センター通信
第63号 December 2017
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真実の前に立つ

親鸞仏教センター研究員 長谷川 琢哉
 昨年、オックスフォード英語辞典によって「2016年を代表する言葉」として選別されたこともあり、「ポスト・トゥルース(post truth)」という言葉を耳にする機会が増えた。「客観的事実よりも感情や個人的信念に訴えるものが影響力をもつ状況」を言い表したこの言葉は、たとえ事実(エビデンス)を伴わなくとも、人々の感情に訴えるメッセージや政策こそが現実に力をもつという現在の潮流をよく示したものである。実際、政治の場面だけでなく、メディアやインターネットなどにおいて、いともたやすく「事実」が捻(ね)じ曲げられている場面を私たちは頻繁に目にする。「フェイクニュース」という言葉も、同様に流行語のようだ。
 これらの言葉が、現在の世界の在り方に対する批判的機能をもつことは間違いないだろう。事実を無視して政策決定が行われるなど、恐ろしい限りである。しかしながら、「ポスト・トゥルース」という言葉を最初に聞いたとき、私は何となく違和感をおぼえた。「真実の後」?「真実」がどうでもよくなった時代の到来?このような言い回しは、まるで「真実」の時代、「真実」が何よりも重視されていた時代があったかのような印象を与える。しかし、それは一体いつのことなのか?
 そしてこの違和感は、「ポスト・トゥルース」という言葉が、多くの場合、自分とは対立する陣営を批判するときに使われることによって強められる。対立者が「真実」を歪(ゆが)めているという告発は、時に自分こそが「真実」の保有者であるという驕(おご)りに繫(つな)がりかねないからだ。
 ここで清沢満之の歩みを思い起こすのは無駄ではないだろう。晩年の清沢は、「真理の標準や善悪の標準が人智で定まる筈がない」(「我は此の如く如来を信ず(我信念)」『清沢満之集』岩波文庫)との考えに行き着き、如来への信仰に安心を見いだした。しかし、彼がそうした「自力の無功」の境地へと至ったのは、「智慧や思案の有り丈(たけ)を尽して其頭の挙げようのない様になる」(同上)という苦闘を通してであった。ここには、どこまでも「真実」を探求しようとする欲望と、にもかかわらず「真実」を見出すことのできない自己に対する徹底した洞察がある。
 もしも「ポスト・トゥルース」という言葉が、「真実」の所有権をめぐる空虚な争いを生み出し、かえって社会に分断を起こすようなことがあるならば、私たちはあらためて立ち止まる必要があるのかもしれない。本当に「真実」を所有しうるのは誰なのか、私たちは「真実」の所有者たりうるのか、と。私たちは「真実」の「後」にいるのではなく、あくまでもその「前」に立ち続けるのではないだろうか。
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