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親鸞仏教センター通信
第69号 June 2019
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欲望と願生

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
 見えざるものへの深い祈り、それを言い当てることは、ほとんど不可能である。それを「願生」という言葉で、あえて具象化したものが、浄土への願いなのであると思う。人間存在はこの見えざるもの、聞こえざる音への深い祈りを、生存の根底に密かに与えられながら、現実には見えるもの、聞こえる音を、どうにか自分たちの要求に添わせようとする「欲望」に、突き動かされて生活しているのであろう。
 この「欲望」が人間の意識上に現れて、強い願いとなっているのである。それが満たされない因縁に出遭った場合に、あふれ出る要求が「祈り」となるのだと思う。四苦八苦と教えられる苦悩、たとえば「求不得苦」(ぐふとくく)とか「愛別離苦」(あいべつりく)のような事態に遭うと、なぜ今、自分にこの災難が襲うのか、という嘆きが起こる。その事実を引き受けられない魂のうめきが、「祈り」となって現れてくるのである。
  現実の欲望による生活を、仏教は無明の闇に生死(しょうじ)するものと教える。「田あれば田を憂(うれ)う。宅あれば宅を憂う。」「田なければまた憂えて田あらんと欲(おも)う。宅なければまた憂えて宅あらんと欲う。」(『無量寿経』、聖典58頁)とあるように、有であろうと無であろうと、人間には「憂う」という心理が付いてまわる。この憂鬱(ゆううつ)感を哲学したのが、デンマークのキルケゴールであった。そして彼は、絶望(希望がまったく無い)について、絶望すらできない絶望(死に至る病)だとまで突き詰めた。
 ところが、『無量寿経』の「三毒五悪」の段には、この濁世の救いが無い様相を徹底的に語りながら、そのただ中に「願生」の呼びかけが説き出されている(聖典68頁)。その願生とは、因願では「欲生」である。親鸞は「信巻」において、欲生とは「如来の勅命」であると言う。その本願の成就文には、「願生彼国 即得往生」と教えられてある。欲生は、凡夫の欲望ではなく、如来の勅命であって、その成就としての願生だとされるのである。 人間においては、云何(いか)にしても脱出できない流転の闇、それは凡夫の欲望からは絶対に超えられない大河(曠劫〔ごう〕の罪業の背景)である。
 それを超えさせたいとの祈りが、如来の大悲として教えられ、群生(ぐんじょう)の罪業生活のただ中に「聞其名号 信心歓喜」の「願生」が与えられると教えられている。願生は如来の祈りと言うべきことなのである。
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