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親鸞仏教センター通信
第72号 March 2020
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三宝としてのサンガ考

親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰
 三宝(仏法僧)の僧(サンガ)は、仏・法に対して二次的・三次的なものではない。今ここに現前する仏道を歩む人々の集まりであり、もとより理念的・抽象的なものでもなかった。

 8世紀、授戒師を求めて日本から唐へ渡った栄叡と普照は、「仏法東流し、日本国に至る。其の法有りと雖も、而も伝法の人無し」(『唐大和上東征伝』)と述べ、かの鑑真和上に来朝を求めたと伝えられる。かくして鑑真は苦難の海路を越え、我が国に仏法を伝え、仏教者を生み出す「授戒」という必須の儀式を執行したのであった。「法」はあるが、それを伝える「人」(伝法の人)がいないという日本人僧二人の言葉は、当時の仏教界の切実な問題であったと同時に、教えさえあればそれが自動的に広まることなどありえないという仏道伝承の根本的な問題を提起している。

  かつて中国では、仏教を受容するにあたって、仏教語を分析・整理する営みがあった。その一つに三宝の考察があり、インド伝来の三蔵(経律論)の中にさまざまな三宝が説かれることから、それを三種から数種に分類する作業がなされた。こうした営みは著名なもので隋・慧遠の『大乗義章』(巻十「三帰義」)や、唐・慈恩大師基の『大乗法苑義林章』(巻六「三宝義林」)などの中に見られる。例えば仏宝なら、法身もあれば、歴史上に人格をもって存在した釈尊を指す場合もある。法宝にも、理法そのものを指す場合と、釈尊が説かれた言葉としての教えを指す場合などがある。

 ならば、当時の中国人仏教者にとって、今ここに具体的に存在する三宝とは何か。法身が尊いといっても、聖者でもなければ出会えない。この世にブッダとして釈尊が出現したと聞いても、インドとは距離も隔たり、時代も違う。だから彼らにとって目の前に存在する三宝とは、木などで表象された仏像(仏宝)であり、紙に書かれた経巻(法宝)であり、煩悩を具足する修行者の集まり(僧宝)であった。そしてこの三宝は「住持三宝」と呼ばれたのである。

 隋・唐期以前の南北朝時代の仏教文献には、この住持三宝に相当する三宝が「名字三宝」と呼ばれている例が見出せる。多少の推測が許されれば、南北朝から隋唐へと移行するあるとき、より積極的な意味を見出そうとした名称の変更運動が起こったのではないか。すなわち、具体的姿で現前する三宝は、名ばかりの三宝ではなく、これによって仏法が未来へと住持されるのである。

 『論語』(衛霊公第十五)には、「人能く道を弘む。道の人を弘むるに非るなり」という名文がある。唐・南山道宣は、仏典ではなくこの中国古典を依用して、住持三宝の存在意義を語っている。すなわち僧(サンガ)によってこそ仏と法とが住持され興隆していくのだと。
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