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親鸞仏教センター通信
第73号 June 2020
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「本願を宗とする」ということ

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
 親鸞という人は、本願力を信じて生き抜いた人である。本願力を語り尽くすことに、彼の一生を貫く情熱が燃焼し尽くしたのだとも言える。それは、「本願を宗」として真実の生活をしたのだとも言えよう。では、その「本願を宗とする」とはどういうことであろうか。

 そもそも「本願」ということが、我ら人間にとっては実に了解困難な概念である。本願を語り現わそうとした経典編纂者たちは、人間の有限性や条件的あり方に苦しみながら、無限なる慈悲とはどういうことであるべきかを論じあったに相違ない。その中から、現実の生存の苦境がすべて取り除かれれば、六道流転を超えた状況が現前するかのように、環境としての浄土を願求し思想し構成していったのではなかろうか。

  その過程で、大悲が人間の有限な情念としての慈悲心といかに異なっているのか、ということが論究されたとき、大悲の平等性は無条件的であることに気づいたのであろう。人間は、滅亡していった幾多の動物たちに比べて、諸条件の転変に対応する適応力が優れていたことで、現代にまで生き延びているのだと言われている。この世の転変に適応してきた力には、特殊の条件ではなく、むしろいかなる変化にも耐えうるような、不思議な能力の存在があると信じられたのではないか。その力を大悲の平等力として、あたかも外からの護持力としてはたらいているごとくに受けとめて、大悲本願力として表象的に言語に載せたのではないか。

 そしてその象徴として、大悲の願力の起源に無限なる光明・寿命を体とする阿弥陀如来を建て、その仏陀の華座(正覚の場)を荘厳してきたのであろう。こうして大悲を憶念して、本願を考察するにつれ、相対的に衆生個人は愚かで微少なものと自覚されていったように思う。そして大悲の本願は、個体間の小さな差異を超越した平等の慈悲としてはたらいて、一切の衆生を度脱させる原理に成熟していったのであろう。

 その大悲の願力を信ずるとき、願が「海」のごとくに感じられてくる。親鸞は信心をも「大信海」と言う。そして、「大信海を案ずれば,貴賤・緇素を簡ばず、男女・老少を謂わず、造罪の多少を問わず」(東本願寺出版『真宗聖典』、236頁)等と、その平等性を表している。すなわち、願力の平等性を信ずるとは、願によって自己の差別意識の拙さを照らし出されつつ生きることである、と。

 そもそも釈尊が無我に立って転法輪したのは、この平等の願海に気づいたからであり、それが「如来の出世本懐」の説法となったのだと、親鸞は見られた。この願海の平等性が凡夫の差別意識を照らし出して、我執深き我らの罪業性を気づかせることこそ、教法となった本願の意味だからなのである。
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