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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第95回から97回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、95回と96回では「諸仏如来」について、97回では「東方偈」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、95回と96回から一部を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」39

諸仏の称歎の意味について

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 諸仏の特殊性を超えていく
 「無量寿仏の威神(いじん)極まりなし。十方世界の無量無辺不可思議の諸仏如来、彼を称歎(しょうたん)せざることなし」(『真宗聖典』46頁、東本願寺出版、以下『聖典』)と言われています。先立って仏法の道に触れ、道を求め、道を明らかにした方々、その人たちの言葉が諸仏の言葉になるわけです。そのような諸仏に対して、無量寿仏、阿弥陀仏という名前が出てくる。これは光が無限でありたい、寿(いのち)が無限でありたいという、そういう限定されることのない世界を開こうという願いが名前として付いた仏陀です。なぜ、そういう名前が出てきて、そして諸仏に称歎されるのか。
 それは、もともと個人であった方が仏陀に成った場合には、覚(さと)りを開いて囚(とら)われから解放されたといっても、ある意味で特殊性がある。それぞれの仏陀のもつ特殊な力とか特殊な意味があり、例えば薬師如来という名前は、衆生の苦悩のなかでも特に病気を治したいという願いが仏陀の名前になっています。また、歴史上の人物が、教えを主体化して、自分自身を発見し苦悩を乗りこえた場合に仏陀という意味をもつならば、それは諸仏の一人になって、そして、この道がこのようにして明るみをもつことができますよと語っていくことができます。けれど、どうしても個人性は克服できないのです。
 これは譬(たと)えで、私の師匠であった安田理深という方は、たくさん弟子ができたのですが、やはりそれはある意味で一部なのです。「安田さんの言うことはさっぱりわからん。難しすぎる」と寄りつかない人が圧倒的に多かった。そういう人にとってはうるさいだけで、彼の考えは駄目だと。だから、教えを聞くについても因縁なのです。偉い学者さんが、曽我量深の言うことはさっぱりわからんと、金子大榮の言うことなら許すと、そのようなことはあるのです。
 そのような意味で言えば、諸仏には諸仏各々が得意とする出遇(あ)い方があるし、諸仏が一人おられればそこには必ず縁を結ぶ衆生がいるのですが、そうした縁はどれだけ頑張ってもそんなに多くはならないのです。ところが、阿弥陀仏の場合は、親鸞の和讃に「弥陀初会(しょえ)の聖衆(しょうじゅ)は 算数(さんじゅ)のおよぶことぞなき」(『聖典』480頁)とあるように、「さあこれから説法するぞ」というときには、もう数えることができない人々が縁になっているのだと。
■ 人に依らず、真理それ自身に依る
 安田先生は、人に依りかかってはならない、法に依れと。法、ダルマ、真理そのものに依れと、そのような大乗仏教の教えの大事なところを繰り返しおっしゃってくださっていました。人は有限である。人は凡夫である。人が触れた真理、その真理それ自身に依るのだと。
 私がこの仏法の教えを学びはじめた昭和30年代のころには、まだ清沢先生の門下の方々が何人か生きておられた。それが、昭和46年に曽我先生が亡くなる。それから5年後には金子先生が亡くなる。安田先生が信頼していた信国(のぶくに)淳(あつし)という方も亡くなるということが続いていったときに、私は、これはどうなるのだろうという不安感、何だか寂しいという感じがしたものですから、安田先生にお目にかかったときに、「仏法を生きてくださった方々がどんどん亡くなっていってしまって、寂しいですね」と申し上げたら、「馬鹿もん」と怒られました。「お前は何を求めているのだ」と。まったく頼りない教えの聞き方だ、と言うわけです。
 もちろん、人が法に触れて法を生きてくださり法を証明するわけですが、後から行くものは、その人を自分の依り処にしてしまいがちなのです。それを、「善知識だのみ」と批判されるのです。人を自分の依り処にしてしまう。そうすると、その人が亡くなればもうお手上げです。そうではなくて、その人が生きている真理を求めるべきである。法を所有している人はいないのだと。
 釈尊でも法を所有したわけではない。自分が見いだした法を、こういう法によって自分は闇を乗り超えられた、この法を信じてほしいということで、教えに説かれた。そういう意味で法を教えるべく、道理を教えるべく説かれた経典が『無量寿経』です。ですから、その『無量寿経』では諸仏が阿弥陀を称歎する、ほめるという形で願いが説かれていると思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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