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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
  連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第108回から110回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、108回では「正念・正観」等について、109回では「空・無相・無願三味」等について、110回では「道の自然」等について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第106回から一部を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」44

智慧、大海のごとし

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 覚(さと)るということは迷いの事実を知ること
 「智慧、大海(だいかい)のごとし」(『真宗聖典』55頁、東本願寺出版、以下『聖典』)とありますが、親鸞聖人は、この智慧という言葉を、仏の名号が智慧という意味をもつという使い方もされますけれども、「信心の智慧」(『聖典』503頁)という言い方もなさるのです。我々に起こる信心が智慧という意味をもつと。いずれにしても、仏教の智慧というのは、この世の智慧とは質が違う。この世の智慧は、処世の智慧とか人生の智慧とかいう言い方もありますけれど、この世を渡っていく方法論に関わる智慧なのでしょう。しかし、仏教の智慧はそうではなく、この世の迷いを翻(ひるがえ)すようなはたらきをもった智慧です。だから、英語で言うとknowledgeのごとき智慧ではなくて、wisdomという言葉、「叡知(えいち)」というように翻訳されたりしますが、そういう言葉が仏教の智慧に当るのでしょう。
 仏教の智慧は「菩提(ぼだい)」とも言われる。覚りです。菩提とは目覚めですから、迷っている命から目覚めるということは、迷いに気づくということです。迷いに気づいて、迷っている事実をしっかり見ることが成り立つのが、仏教の智慧である。迷っている事実を知ることと菩提とは別であるという考え方もあるのですけれど、曽我量深(りょうじん)先生は、迷いの事実を知るということが覚るということなのだと。覚るということは、迷いの事実を知ること以外にないのだと。このようにおっしゃいました。
 しかし、迷いの事実を本当に知ることは、凡夫にはできないのです。迷いの事実、と言葉では言うけれど、他人のことなら気がつくけれど、自分が迷っているとは思わないのです。だから凡夫は気がつかない。そこに仏陀の側から教えがきて、教えを通して、どこまでも我々は迷い続ける人間であると知らされていくことが、菩提を味わう道になるのです。
 何かそういう話をすると、仏教はつまりプロセス、過程でしかないのか、究極がないのかと、そのように返されてしまうことがあるのですけれど、これがやっかいです。迷っているのだから、覚りが開ければ、もうそれで終わりだろうと、そのように単純に我々は考えたい。けれども、そのように考えて覚りを求めて、何か体験で一瞬でも覚りのようなことを感じ取って、それで死んでしまうなら別だけれど、それでもまだ生きている場合はどうなのだと。覚りのままに生きていく、何かそういうものがありそうだという思いは、苦しんでいる側からするとないわけではないのですけれど、これが覚りだというように気がついた人の自覚内容は、「ずっと迷っているのだな」と気がつくということなのでしょう。だから、無理をしたりしなくなるのでしょう。
■ 迷いの自覚とは気づかされて歩んでいくこと
 もう一回やり直すということを繰り返さざるをえないのは、迷っている証拠なのです。そこが難しいところで、「悟後(ごご)の修行」という言葉が禅のほうにあるのです。悟ったから終わりということはないと。悟ったところにまだ修行がある。修行ということは、生きている事実には、乗りこえなければならない課題が常に与えられてくるということです。
 ですから、迷いの自覚ということは、単なる過程ではなくて、気がつかされて歩んでいくということです。だから不思議です。「菩提」は「道(どう)」とも翻訳する。道というのは、言うならば過程です。それが同時に覚りという意味をもつ。だから、覚って終わりというのではなくて、覚りから始まる。他力の信心の場合も、信心から始まる。信心で終わるのではない。そういうことが、曽我先生が言われた「仏教には入門はあるけれど、卒業はないのだ」ということだと思うのです。卒業はないというのは、どういうことだと。迷っている側からすると意味がわかりませんけれど、信心に触れてみると、本願力のはたらきをいただくことと、我々が煩悩の生活をしていくこととは、矛盾しながら重なっている。歩んでいくというと、過程みたいですけれど、念々に出遇(あ)いつつ生きていくということなのです。出遇った、それでお終いではない。出遇ったところから出発して、出遇いつつ生きていく。そういうあり方を、智慧という言葉で教えてくださるのだろうと思うのです。信心の智慧という言葉で。
 それは、「智慧、大海のごとし」。つまり、如来の智慧が開く世界は大海のごとくである。如来の智慧、これは我々が尋ねようとしても、我々の分限からは尋ねることができないほど大きな智慧であると。大悲が智慧という意味をもつ。つまり、光は智慧の相(かたち)だと言われていて、阿弥陀の光は尽十方無碍光(むげこう)、あらゆる世界を無碍に照らすのだと。「広大無辺際(へんざい)」とも言われますけれど、そういう世界を如来の智慧はもっていると言うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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