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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第101回と102回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、101回では「第二十二願成就文」について、102回では「浄土の菩薩」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に 行われた第100回から一部を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」41

むなしくすぐるひとぞなき

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 人間が成就するとは大涅槃に遇(あ)うこと
 天親菩薩の『浄土論』では、浄土の功徳が二十九の形で語られています。そのなかで仏の功徳が八つ言われている、その八番目にあるのが、本願力を語る「不虚作住持功徳(ふこさじゅうじくどく)」です。これを親鸞聖人は『教行信証』の「行巻」で、本願とは何であるかをあらためて問い直すところに引かれています(『真宗聖典』198頁、東本願寺出版、以下『聖典』)。不虚作住持というのは、つまり、空(むな)しく過ぎる者はない、と言うのですが、私の師匠であった安田理深先生は、人間の悲劇と言って、貧乏とか、病気とか、そういうものが辛(つら)いという以上に辛いものがある。それは、この人生を生きて無駄だったということだと。これほど辛いことはない。このようにおっしゃっていました。いろい ろな功成り名遂げてという話がありますけれど、名利がたとえ満たされても、何か満たされない形で人生が終わることは起こりうるわけです。曇鸞大師は、そういうことを譬喩(ひゆ)として解釈のなかに出しておられます。金銀財宝をたくさん貯めたところに、大飢饉(ききん)がくると、食糧はたちまち底をついてしまう。お金を抱えて餓死したと。
 金銀財宝といったものを当てにしてわれわれは生きていることが多いわけですけれど、当てにならんと。本当に空しく過ぎないとは、どういうものに出遇えばよいのか。こういう課題が、浄土に出遇うということなのだと。浄土に出遇うということは、空しく過ぎる者がないということ。如来の本願が大涅槃から立ち上がってわれわれに呼びかける。その涅槃に遇うはたらきが、無限にはたらきうる力になる。それを親鸞聖人は、「本願力 にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし」(『聖典』490頁)とおっしゃる。煩悩がどれだけ濁っていようと、本願に遇うことによっていただける利益は、空しく過ぎないということなのだと。大涅槃に触れることは、ある意味で絶対満足なのです。人間が成就するということは大涅槃に遇うということです。
 しかし、本願との出遇いをここまで吟味することは容易なことではない。本願に遇うということは、本願を対象的に見るのではないのです。本願というものを考えるのでもない。本願を感じて、本願のなかに生きる、本願を自分自身の依り処にする。そういうことが成り立つと、もう空しく過ぎることはないと。そういう呼びかけが親鸞聖人から出されている。
■ 阿弥陀如来の仕事に参画する
 不虚作住持功徳は浄土の功徳です。浄土の功徳なのだけれども、浄土に行ってから味わう功徳ではなくて、浄土の功徳が向こうからくるわけです。本願力回向として、凡夫の世界を包むべく、向こうからはたらいてくる。本願力回向としてはたらいてくる。こういうものに出遇う。
 本願と本願成就とは、本願が因であって本願成就が果としてくるというのではなくて、願と願成就が常に「南無阿弥陀仏」という一点でわれわれに呼びかけてくる。これが「大行」と言われるのは、人間が行ずるのではなくて本願が行ずるからです。本願が行ずる形が「南無阿弥陀仏」である。その「南無阿弥陀仏」は願海をわれわれに開いてくる。その「南無阿弥陀仏」を信ずる。そういう「南無阿弥陀仏」であると信ずる。願海に触れるということは、「大信海」、信心が海になる。その信心において、本願と本願力の成就とがわれわれに呼びかけ、われわれを励まし、凡夫である私を仏道を成就せしめる存在に転じてくださるわけです。
 でも、自分が仏に成るわけではない。われわれはどこまでも愚かな凡夫である。「悲しきかな、愚禿鸞」(『聖典』251頁)とおっしゃるのは、そのことである。凡夫であるままに本願力をいただけるのだと。「煩悩成就の凡夫、生死罪濁(ざいじょく)の群萌(ぐんもう)」(『聖典』280頁)が大涅槃の功徳をいただくことができる。それが本願を信ずること。凡夫だからだめだというのでもないし、凡夫を止めて仏に成るのでもない。凡夫であるままに仏道を成じていこう。こういうことが成り立つのが本願力である。本願力が私どもを呼び、私どもを励まし、私どもを歩ませてくださる。こういうことが本願の教えと出遇うことだと思うのです。
 それは、決して個人関心でできるという話ではない。「南無阿弥陀仏」の回向の仕事として、そういう課題を私たちは感じながら生きていける。
 「難思議(なんしぎ)往生を遂(と)げんと欲(おも)う」(『聖典』356頁)と親鸞聖人もおっしゃるように、意欲としてわれわれは阿弥陀如来のお仕事に参画できる。阿弥陀如来のお仕事は十方衆生にかかっている。私どもはそれを信ずることで、「よくぞ信じてくれた」、こう言って励ましてくださる仏陀の願いが聞こえてくるのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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