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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 当センターでは、「親鸞思想の解明」と題する連続講座を開催することになった。この講座は、各分野の有識者の方々を招き、親鸞の思想に依って生きることの意味を所長・本多弘之が「問題提起」として発題し、親鸞仏教を基盤とした相互交流をとおして、現代社会の苦悩とともに歩む場を開こうとするものである。その第1回が、11月27日に東京国際フォーラム(有楽町)において開かれた。問題提起の一部を紹介する。(越部良一)
「浄土−濁世を超えて、濁世に立つ−」

親鸞仏教センター所長 本多弘之
■宗教的信念がはらむ一つの危険性
 人間はあちらこちらに欠点があり、そして心も弱い、身体も有限ないのちであって、本当につたないいのちでしかない。にもかかわらず、宗教的信念をいただくことにおいて、ある意味でこれでいいのだ、これでこのいのちが十分いただけるのだ、というようになる。これが宗教的信念の特質でしょう。
 しかし、宗教あるいは仏教というものを一人の人間がそのように信じたり受けとめたりするとき、本当は人間として生きるということは、共同体を生き、時代とともに念々にいのちを果たしながら、この有限ないのちを十全な意味として生きるという課題なのですが、それが何か個人レベルの満足の中に埋没し、完成してしまうという錯覚をもつ危険性があるのではないかと思うのです。
 特に仏教の態度のうちには、お釈迦さま以来、この世の価値、美しさ、意味とかによって、かえって人間は苦しめられ引きずり回される。だからこの世の価値を超えたものに依って生きたいという要求があります。誰でもそういう要求にはどこかで触れているのだろうと思いますが、これは求道心、菩提心というものの一つの特質でしょう。
 煩悩、欲とか怒りとか、この世の日常生活に関わって人間の心理が動かされる。そういうあり方を断ち切って、個体としての人間が、ある意味で十分な意味と静けさとを取り戻すような生き方をしたい。それを実現するために家を捨ててこの世の一切の意味をいったん断ち切るという出家の精神が、ある意味で仏教の本流、主流を貫いています。
 出家教団というものは、人里離れたところに共同体をつくり、そこでいわゆる濁世(じよくせ)を、煩悩とともに欲が絡み、恨(うら)みが絡み、そこで情熱も湧くけれども悲しみも与えられる。そういう濁世という場をあえて遠ざけて、時代とか社会とは切り離された空間で人間としての独立を回復するという試みをするのです。
■親鸞聖人の願い
 ところが、親鸞聖人という方は、そういう仏教の流れをある意味で批判して、それまで正統とされた仏教からは脱落する形で、より人間らしい共同体を生きる人間、あるいは実存共同体を生きる人間存在としての満足というものを求められた。その象徴的な言葉が「非僧非俗(ひそうひぞく)」という言葉です。つまり、出家共同体である僧(サンガ)ではなく、そして俗でもない、単に世俗的価値に埋没して生きるのでもないと。そうした「非僧非俗」という言葉のもとに親鸞の名のりをあげられたのです。
 だから今、親鸞という名前で現在に立ち向かうということの意味は、特殊空間で、特殊体験のごとき宗教経験をもって人間を救うというあり方ではなくて、時代とともに、社会の苦悩とともに、つまり濁世の只中に生きながら、しかし、単に濁世の苦悩に引きずり込まれて埋没しているのではない、そういうあり方を探し、その根拠を見定めることであろうと思うのです。それが、親鸞という方の意味であり、願いであろうと私は信じております。
 この親鸞聖人の願いに触れて、親鸞聖人の教えをいただいて生きる我らとしては、この4000万人の首都圏というものを見捨てて、静かなのがいい、古いのがいいといったように生きることはできないでしょう。東京は、生活空間としては、単に人間が静かに生きるということからすれば、こんなやっかいな場所はないでしょう。しかし、静かな生きやすい場所で宗教体験を持とうとする方向を取るなら、それは親鸞聖人が批判した傾向性ではないかと思うのです。
 罪悪深重の濁世の中で、自分自身もその罪の共同体をいっしょに生きているその中で、どれだけつらくとも、どれだけ汚れようとも、あるいはそれによって自己を失いそうな人生になるかも知れないけれども、そういう中に立って、しかし、失われない自己を回復するということ、悲しみ苦しみもがいているだけではない立場を回復するということが、親鸞という人がこの世に投げかけた大事な人間の生きざまではないかと思うのです。
 困難至極ではあるけれども、あるいはつぶされてしまうかも知れないけれども、この首都圏で本当に現代と対面して親鸞聖人の使命を表現し、そしてそのことを本当に生きて伝えるような営みが継続されるべきだというおもいがあるのです。
 一人ひとりの人生は一人ひとりの場所ですから、他人の場所に入るというわけにはいかない。それぞれの専門分野にはそれぞれの課題があると思うのです。けれども、そういうものが投げかけている時代の問題と無関係に宗教空間があるのではなく、そのつらくて矛盾多き問題とともに歩むような原理、展望といったものを本当に切り開いていくことができるなら、親鸞聖人の願いというものは、決して単なる800年前に亡くなった方の個人的おもいではなく、時代とともに生き生きとした人間解放の原理として伝え得るのではないかと、そういうふうに私は深く信じているわけです。
(文責:親鸞仏教センター)

※詳細内容は、『現代と親鸞』第2号に掲載しています。
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