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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、その第20回から第22回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第20回では曇鸞の『浄土論註』の初めに述べられている、求道における五つの困難について、第22回では天親菩薩の『浄土論』の眷属功徳について、センター所長・本多弘之が問題提起を行い、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第16回の問題提起からその一部を紹介する。(越部良一)
「浄土−濁世を超えて、濁世に立つ−」

心の闇にはたらきつづける浄土

親鸞仏教センター所長 本多弘之
■人間存在の闇
 人間が普通に生きている意識というものを、仏陀は、迷いの情、妄情というふうに言うわけですが、われわれは迷っているとは思わない。正しく考え、正しく認識していると思って生きているけれど、そのあり方全体の根に本当のことを知らないという盲点がある。それを「無明(むみょう)」、明るみが無いと言います。
 私たちは理性をもっていて知恵があり、合理的にものを処理して賢いから人間存在は万物の霊長である、などと言って、あらゆる存在のなかで一番大した存在だと、こう思い込まされていますけれど、仏陀からすれば、人間存在ほど哀れな存在はない。つまり、与えられた存在自身に、人間以外の存在は、皆、自足している。生きていること自身を疑問に思ったり、生きていることに不平不満を抱いて苦しんだりということは、人間のみである。状況に痛んだり、苦しんだりすることは生命体には皆あることでしょうが、なぜ自分が苦しむのかと、苦しい状態を疑問にして、もう一回自分を痛めつけるというのは人間だけですね。だから、人間ほど哀れな存在はない。
 どんなに賢く生きていると思う人間であっても、自分の存在に対する深い不満足、こんな人生ではないはずなのだがとか、何でこんなになってしまったのだろうとか、何か訳のわからないものを抱えている。それを「愚痴(ぐち)」と言う。無明という意味での愚痴。つまり、根本的愚かさですね。世間的にはどれだけ賢くとも、人間は根元的に愚かであって、そこから脱出できない。そういう意味の「痴」です。世間で成功するか、しないかという問題ではない。仏教から見た人間の愚かさです。
 状況に流されて自分を取り戻せない。私たちは、自分では自覚していなくとも、その底に、そうした闇が本当は晴れたらいいと、どれだけ願っているかわかりません。闇から脱出したいという深い願いがある。闇だと言われたら闇だなと思い、流転だと言われたらそうだなと思うわけです。だから、そういう闇を破りたい、という如来の願いが人間に響くということは、人間それぞれの根源に、どこかで本当はこの闇が破られなければならないという課題を背負っているということなのでしょう。
■浄土の光
 宗教というものには、光という概念がつきものですが、それは、何か宗教の語りかける言葉に、人間の心を根本から明るくするはたらきがあるからでしょう。人間はそういう言葉に触れないと暗い。つまり、何かそこに精神的な落ち込みであるとか、閉鎖性だとか、自己嫌悪だとか、何かそういう自分で自分をつらく感じるところがある。
 そういう心の闇をもつ人間を、本当に平等に光に摂(おさ)め取りたいという願いをかたちにしたものが浄土である。それで浄土が「光明功徳」、光として説かれるのです。それは、衆生の闇を晴らしたい、十方の闇の世界をすべて明るくしたいという仏の願いがかたちをとったものですから、浄土はどこかにあるというよりも、闇のあるところに浄土があるのです。すなわち、自覚すれば、闇のあるところには光がはたらいているのです。
 この光としての浄土を親鸞聖人は、「真仏土(しんぶつど)」と仰せられる。真の仏土、真の仏である阿弥陀如来は、無量光、無辺光、無碍光と、光の名で言われます。不可思議光という言い方もします。人間の考えを超えていて、考えてわかる光ではない。けれども、出遇(であ)ってみると本当にかたじけない光である。心の闇をどこまでも晴らし続けてくださる。闇が深ければ深いだけ、光の明るさが明るい。だからわれわれの闇の深さは、自分でわかる以上に深い。それだけ阿弥陀の光の深さが深い。そこに歓びが尽きることがないという味わいが、親鸞聖人の「愚禿悲歎述懐和讃(ぐとくひたんじゅっかいわさん)」のなかには感じられます。悲しいけれどもかたじけないと。こういうのが、浄土の光がわれわれに呼びかけてくる意味だろうと思うのです。
■あきらめない心
 私は、こうやって、いただいた仏法を何とか少しでもわかるように話そうなどと、分別してやっておりますけれども、本当はどう逆立ちしてみても、なかなかわかる話ではないのですね。でも、わからなくても、何か自分の根源にささやいて来て、どこかそうかなというものがあればよい。つまり、針の穴のようなものでよいのです。土手に針の穴さえあけば、あとは放っておいても水が流れる。その針の穴が難しい。なかなか頑固な岸壁でね。けれど、あきらめることはない。法蔵願心はあきらめることがない。われわれの闇は晴れることがない。だからこそ、晴らさずんば止(や)まんと、永劫に修行すると法蔵菩薩は誓っているわけです。だからあきらめることはない。われわれの時間は短いけれども、法蔵菩薩の時間は兆載永劫ですから。その永劫の時間のなかに、われわれの一念一念が、少しずつ目が覚めるように導かれていくのではないかと思うのです。
 そういうふうにゆっくりと仏教を聞いていくことです。現代のこの忙しい時代に、何をゆっくりやっているのだと思われるかもしれませんけれども、そういうものなのです。忙しく生きたって、たかが知れている。短い人生のなかに何を歓びとするのか。短くてもよかったと。本当によかったと言えるものを見出すことが大事なのでしょう。
 迷い多きこの人生だけれども、私は、親鸞聖人という方が本当に力を尽くして呼びかけてくださった、「愚かな人間だけれど、愚かなままで歓べる道がある」ということが、本当にありがたいと思っております。皆さま方も、難しい時代ではあるけれど、ご自分のそれぞれの人生に、何がしかそういう光のあることに触れていただけたらと、願って止まないことであります。
(文責:親鸞仏教センター)

※詳細内容は、『現代と親鸞』第5号に掲載予定です。
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