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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、第39回から第41回が、東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、天親菩薩の『浄土論』を参照しつつ、第39回は『浄土論』の「不虚作住持功徳(ふこさじゅうじくどく)」について、第40回は『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』と不虚作住持功徳について、第41回は「菩薩功徳」について、センター所長・本多弘之が問題提起を行い、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、第39回の問題提起から、その一部を紹介する。(越部良一)
「浄土―濁世(じょくせ)を超えて、濁世に立つ―」

ここに居ることに無限の意味を見いだす

親鸞仏教センター所長 本多弘之
■本願力回向
 不虚作住持功徳の文言は、「観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐむくかしゃ) 能令速満足(のうりょうそくまんぞく) 功徳大宝海(くどくだいほうかい)」(『真宗聖典』137頁、東本願寺出版部)、「仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)うて空(むな)しく過ぐる者なし」、そして「能(よ)く速やかに功徳の大宝海を満足せしむ」と。「本願力」という言葉は、『浄土論』中ではこの部分と、あとは偈文(げもん)についての注釈の最後のほうに「本願力回向」と、その2回だけ出てくる言葉です。最初の「観」という言葉を、親鸞聖人は、「遇」の字とあわせてご覧になっていて、単に心で何かを見て観察していくという人間の努力ではなくて、本願力に遇あうことだと。本願力に出遇うというのは、一般の浄土教の関心からすれば、あの世に往(い)ったら出遇えるのだと、こういうふうに考えるのでしょうけれど、それを、「本願力回向」という言葉から、親鸞という人は見直した。
 如来の、どこまでもたすけずんば止まん、とはたらく願いが回向なのだと。如来の大悲は、われわれが知るも知らざるも、いつもわれわれにはたらき、われわれに呼びかけている。この回向のはたらきに、われらが値遇(ちぐう)する。このことと「遇無空過者」と言われる「遇」とは、別なことではない。まあ、自力で言うなら、浄土に往って菩薩になって、それから出遇うと、そういう話になるのでしょう。けれど、『浄土論』をよくよく読んでみると、大悲が衆生にはたらきかけるということを語ろうとする論であると。愚かな身のところに、いま出遇えるのだと。それは、凡夫からは往くことはできなくても、大悲からは来ているのだということを実感できる、そういう教えです。
 この本願力回向を抜いたら、親鸞聖人という人の言葉は、大事な中心を抜いた家みたいなものです。本願力回向が、親鸞という人の思想を建てているわけです。それをはっきりといただかないと、それに出遇わないと、親鸞聖人がおっしゃる、凡夫で生きていて、本当にそこにそのまま救いがあるという、そういう道が開けて来ないのではないかと思います。
 
■大事な、大事な荘厳功徳
 私たちは、目の前にあるさまざまなことで悩み、目の前にあることが、何とかなればたすかるのではないかと思っている。けれども、本当は、目の前にある問題は、有限の問題とはいえ、ほとんど解決しない問題ばかりです。まして、われわれは、自分の思うままにならないさまざまな条件を与えられて生きて、もがいている。自分の思うままになる条件なら、たすかると思うけれど、本当はそうではない。思うままになるということはないし、もし、思うままになる世界があったとしても、人間は堕落するだけである。つまり、歩まなくなる。
 宗教的なものに触れてみると、人間はたすかるということはないのですね。常に、何か深い悩みを、深い矛盾を孕んで生きているものなのです。「ああなったらいいだろう」「こうなったらいいだろう」と言うけれど、どうなってもだめなのです。だから、お釈迦さまは「生老病死」と。生きているということが矛盾であり、そこに病気等があって、思うままにならない。だから、生きていることは苦悩なのです。それでは、死んだらいいか。安田理深先生は、死んで解決すると思うのは、本当の解決ではないのだと、繰り返しおっしゃっていました。一時停止みたいなものだと。逃げただけのことである。この苦悩の根源を本当の意味で見定めて、そこから立ち上がり直すことができる道が、仏陀が教えてくださる道である。これに出遇うまでは、われわれは歩むしかないと。
 われわれは、いつも何か時が瞬(またた)く間に過ぎていってしまって、無駄に過ごしたなと思う。どれだけ充実していると思っても、顧(かえり)みると、何か速いと言いますか、何をしていたのかなという感じですね。一向に満ち足りないで、瞬く間に時が過ぎて人生を終わってしまう。だから、何とか満たそうとして、いろいろやるけれども、それでも何となく過ぎたなと。そういうのが人生の悲しみだろうと思うのです。
 そういうものに対して、“空しく過ぐる者はない”という信を与えるのが、本願力なのだと。これに出遇えば、無駄なものは一つもない、そういう実感が与えられると。つまり、苦悩が無くなってたすかるのではなくて、苦悩も悲しみも、すべてが意味をもって甦(よみがえ)ってくる。こういう人生が開けるのが救いだというのが、親鸞聖人が生きた道であり、われら凡夫に教えてくださる道だと思うのです。
 私たちは、苦悩が無くなって、立派な人間になってたすかるのだと思うから、いろいろな善を積もうとするけれど、どれだけ愚かであろうと、どれだけ無駄なことばかりやっていようと、実は一つも無駄ではないという眼が開き直されてみたら、ここに居ることの意味がまったく変わるわけです。どこかに往かなければたすからないのではなくて、ここに居ることに無限の意味がある。そういう眼が与えられてくるなら、どこかに逃避してたすかるという発想ではなくなるわけです。そういうふうに翻(ひるがえ)って、ここに居ることをいただける眼が与えられる。それが“回向に値遇する”ということなのだろうと思うのです。
 本願力に遇うなら、「しらず、もとめざるに、功徳の大宝(だいほう)、そのみにみちみつ」(『一念多念文意』同544頁)と、親鸞聖人はおっしゃる。われわれには見えない。求めてもいない。大体、知らない。けれども、本願力に出遇えば、そういうふうに身が拝めますよ、と言うわけです。拝めるような心で見直してみると、わが身だけでない、一切の衆生の身が、尊い身として拝めるようになる。大悲が願っているこころが、少しく感じられるようになる。大転換の眼が与えられるのが、回向の事実である。だから、回向という一点を忘れたら、親鸞聖人を見る眼は無くなるわけです。どれだけ親鸞聖人が、この不虚作住持功徳の言葉を喜ばれたか。これは大事な、大事な荘厳功徳だろうと思います。
(文責:親鸞仏教センター)
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