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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、その第45回と第46回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第45回は、「荘厳菩薩功徳成就」の第二首について、第46回は、同第三首について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第44回の問題提起からその一部を紹介する。(越部良一)
「浄土―濁世(じょくせ)を超えて、濁世に立つ―」

生み出された人が本願を証明する

親鸞仏教センター所長 本多弘之
■人を生み出す本願のはたらき
 菩薩功徳の初めの言葉は、「安楽国は清浄(しょうじょう)にして、常に無垢(むく)の輪(りん)を転ず、化仏(けぶつ)・菩薩の日、須弥(しゅみ)の住持(じゅうじ)するがごとし」(『浄土論』『真宗聖典』137頁、東本願寺出版部)と言います。安楽国は清浄であるのですが、ただ清浄でとどまっているというのではなくて、常に無垢の輪を転ずると。つまり、常に動いている。清浄なる如来の本願が輪の如くに動く。それを「無垢の輪を転ずる」と表現するわけです。
 そして、「化仏・菩薩」の「化仏」とは、真仏に対する。浄土の教えで真仏と言えば、阿弥陀如来であり、それに対して化仏は、阿弥陀如来を証明したり、阿弥陀如来を讃(ほ)めたりする存在です。そうした存在は、すべて仏の意味をもつ。だから、それは諸仏(しょぶつ)と言ってもよい。そして、仏に成ろうとする人、それが菩薩であって、菩薩と仏とは因果の位が違うわけですが、ここでは、浄土がはたらいて生み出す人のことを、「化仏・菩薩」という言葉で押さえているのだろうと思います。だからその違いを言うよりも、人を生み出すというはたらきを表現しているのだろうと思うのです。
 浄土は、空間的に表現される、本願のはたらきをもった場所である。そういうはたらきは抽象的なものではなくて、実は人を生み出している。人において本願がはたらいて、その人が本願を証明する。はたらいている事実を証明するものがなければ、はたらきはないのといっしょです。何かはたらいていることを証明するものがあるから、はたらきがわかる。本願も、本願にふれ、本願を感じて、本願のはたらきがあると思う人間にあるわけです。
■法は人によりて重し
 仏法には大変大事な言葉があって、『涅槃経』の「四依品(しえぼん)」に、「法に依(よ)りて人に依らざるべし」(親鸞は『大智度論』から『教行信証』「化身土巻」に引文。『真宗聖典』357頁)と。法に依れと。つまり、人をたよりにすると、真理はどこかで濁る。真理それ自身に依れと。そういう指示がある。人間は、人というものに非常に執着して縛られるところがあるからです。
 けれども一方で、曇鸞大師の『浄土論註』で、「なぜ、『浄土論』の初めに婆藪槃頭菩薩造(ばすばんずぼさつぞう)と書いてあるのか」ということを註釈して、「人に因(より)て法を重んずる」(『真宗聖教全書』281頁、大八木興文堂)、法は人によりて重しと、こういうふうに言うのです。つまり、法に依れと言っても、法それ自体がどこかにあるわけではない。法は聞いた人にある。聞いて、主体化して、それを生きている人にあるわけです。
 文献に書いてあるからといって、そこに法があるわけではない。文字は必ずしも法ではない。法は、文字を読んで、法のはたらきをそこから汲み取った場合に、汲み取った人にあるわけでしょう。誰が読んでも法があるかと言えば、法などありはしない。「漢文だからわからない。日本語に直せ」とよく言いますけれども、日本語に直したらわかるかといったら、わからないのですよ。文献の中身というものは、感じる人間にあって、言葉に直接あるわけではない。言葉が指示する内容を感じ取る人間にあるわけです。もちろん、言葉はその中身を指示していますから、よく読めばあるのですけれども、言葉の表層にあるのではない。だから「義に依りて語に依らざるべし」(『大智度論』『真宗聖典』357頁)という言葉も四依の一つにある。「義」は意味です。語に義があるかといったら、語は義とは限らない。もちろん語を通さなければ、義はないのです。言葉を通して、人間は義をいただくことができる。法と人の関係も、法があればよいといっても、語り伝える人やそれを理解する人がいなければ、法の意味はないのです。
 
■拡大する浄土
 安楽国は清浄であって、無数の煩悩の衆生を目当てとしてはたらいていく。そのはたらきが感じられたら、その人が本願を証明し、本願のはたらきを自分の転換において感じて、それを語る。そこに、もう無限に浄土が拡大していく。「浄土が拡大する」というのは、私の師匠の安田理深先生が、晩年に盛んにおっしゃり、拡大する浄土という概念を出されておりました。つまり、新しく、新しく、本願を生きる人が生まれてくる。浄土は無辺際(むへんざい)ですから、本当は区域はない。だから拡大するというのも、人間の感ずる空間的表現です。拡大する浄土という言葉で、はたらく浄土を語ろうとされたわけです。
 そういうはたらきをいただくと、人が引き受けるのだけれど、人、個人の固執がどこかで破られる。人がやるのではない、法がはたらくのです。徹底的に本願がはたらく。『教行信証』を編集したのは、愚禿釈(ぐどくしゃく)親鸞ですけれど、すべては、本願のはたらきを語る言葉です。自分の体験を語る言葉などないのです。もっとも全部が自分の体験と言ってもよいのですが、つまり、法のはたらきが主体化されて親鸞聖人の言葉となって語られているのですけれど、個人体験を語っているわけではないのです。
 だから「化仏」と言うと、何か化け物みたいなものがどこかにいる、という話ではなくて、あたかもお湯から湯気が沸くように、本願が人を生み出して、いくらでも人が仏という意味をもって現れてくる。こういうことを象徴しているのだろうと思うのです。あたかも須弥山(しゅみせん)が世界をたもつが如くに、化仏・菩薩が、お日様が無数にあるが如くに、太陽系が無数にあるが如くに、新しく生まれ、そして新しく生まれた人(仏)の周りに、また人が生まれてくる。そういうイメージです。
 文字どおりに、神話的表現として考えるなら、どこか遠くに安楽国という国があって、そこには何か光っている仏さまがたくさんいる、そういう表現です。これは、死んだら往(い)く世界のことを語っているわけではないのです。もちろん死んだら往くかもしれません。でも、それはわからない。誰も証明できない。浄土の教えは、単なるフィクションではないのです。もちろんフィクション、物語の意味もあります。けれど、それを通して、願いを引き受ける人を待っているのだと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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