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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、第50回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。本講座は、2001年11月から「浄土―濁世を超えて、濁世に立つ―」と題して天親菩薩の『浄土論』をめぐって行われてきたが、このテーマについては、この回をもって最終回を迎えることとなった。
 第51回(2006年11月)からは、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」をテーマに新たな講座が開講された。ここでは、第50回からその一部を紹介する。(越部良一)
「浄土―濁世(じょくせ)を超えて、濁世に立つ―」

浄土―苦悩の衆生のこの場所で、無限大悲のはたらきを感ず―

親鸞仏教センター所長 本多弘之
■ 「濁世を超えて、濁世に立つ」
 この講座も回を重ねて50回、別に回を定めるつもりはなかったのですが、ちょうどこの『浄土論』の最後の回が、区切りのよい回数になりました。『浄土論』の偈文(げもん)をとおしながら、「浄土」という問題を、現代という時代において自分がどういただいていけばいいのか、いま、ここに生きていることにとってどういう意味があるのかという関心で、親鸞聖人の「顕(けん)浄土真実」、浄土の真実を顕(あらわ)すという、そういう深い要求を少しでも掘り下げてみたい。そういうことがあって、このような場所でお話をさせていただいてきました。
 親鸞は、『浄土論』を「正信偈(しょうしんげ)」に取り上げられていて、「光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)」、「闡」には広く開くという意味があって、「横超(おうちょう)の大誓願」を広く開示する、そういう内容を孕(はら)んでいるのが『浄土論』であると。つまり、『無量寿経』の本願の意味を『浄土論』はあらわしたのだと読んでおられる。次回(第51回)からは、その『無量寿経』をいただいていきたいと思っていますが、『無量寿経』という経典を親鸞聖人はどう読まれたかというと、「如来の本願を説きて、経の宗致(しゅうち)とす。すなわち、仏の名号(みょうごう)をもって、経の体(たい)とするなり」(『教行信証』「教巻(きょうのまき)」『真宗聖典』152頁、東本願寺出版部)と。本願を説くことが、経の中心問題であり、その具体的な形は南無阿弥陀仏、名号であると。このことを、『浄土論』もまたあらわしているというのが、親鸞聖人の『浄土論』の理解です。
 本願は、形なき願いと言いますか、限りない衆生に、限りなく呼びかけて、無限大悲の救いを与えたい。そのときに、その呼びかけ方として、常に光り輝き、いのちが無限であるような如来の名を念ぜよ、思い起こせと。そういう方法を呼びかけて、無限なる願いを内に掘り下げていく道を開いた。浄土は、そういう願心の象徴であって、形なき願いを衆生に呼びかけるための形である。衆生の苦悩に応じて、苦悩なき世界を呼びかけるという形で、浄土をあらわす。
 人間の側に無尽蔵(むじんぞう)の苦悩があるのならば、無尽蔵の功徳として浄土を語ろうとする。ですから相対概念です。この苦悩の生命を完全に克服できるような世界として、この現実の苦悩の生命とは根本的に異質の世界を語りかける。何かこの世とは違う、断絶された世界として語る。だから、浄土は死んでから往(い)くとか、十万億土の彼方(あなた)であるとかと言われたりもするわけですが、しかし、この呼びかけの意味は、苦悩の生命を捨てて、違う世界に行ったらたすけてあげようというようなことではない。苦悩の衆生のこの場所で、その苦悩の衆生をたすけたい。この世に生きているわれわれの世界を、仏法は「五濁(じょく)」と言いますが、自分の外側が濁(にご)っているというような他人事ではなく、まさに濁りの中に生きている。しかしその濁りを逃げずに、その濁りの中にしっかりと立つことができる。そういう原理を、本願はわれわれに呼びかけている。こういうことを話の根に据えて『浄土論』をいただいてみようというのが、「濁世を超えて、濁世に立つ」という題の意味です。
 
■人間の根本問題
 そういうことで『浄土論』をいただいてきたわけですが、このようにお話をして、聞いて喜んでくださる方があるのは大変ありがたいのですが、わからないという方も多いのです。いつも思うのですけれど、わからない話をしているのです。わかるように言おうとするのですけれども、言えば言うほどわからない。わかるというのではなくて、何か感ずるのです、本願のはたらきを。本願は、わかって語るのではない。つまり、無限はわからないでしょう、われわれは有限なのだから。でも、単に有限なのではなくて、無限の中にあるから有限なので、無限のはたらきを感ずるわけです。無限のはたらきというのは、いくら語ってもこれはわからないのです。それは、不可解というのではなくて、「不可思議」なのです。不可解というのは、ただ考えてわからないということ。不可思議というのは、考えても絶対わからないけれども、何か感ずるのです。もうちょっと聞きたい、もうちょっとたずねたい、と。その、たずねさせるはたらきが本願なのです。
 好奇心であったら、もっと興味のあるものがいっぱいあるでしょう。好奇心には、つまらない話はだめです。こういう話はあまり興味がないのです。でも、人間は気になるのです。根本問題ですからね。根本問題というのは、なかなか触れられないのですけれども、本当にこれに触れると、何かゆったりする。価値観が変わるのです。人間はエリート意識とコンプレックスとで、ぐしゃぐしゃになっているのです。それが解きほぐされて、「そういうものは、人間の根本問題ではないのだ」と、そういうふうに世界が悠々と感じられてくるのです。ですから、ますます窮屈になっていく現代に、一呼吸できる空間が、南無阿弥陀仏の空間なのかなと、そんなふうに思っています。
 まあ、この東京国際フォーラムという超モダンな建物、初めは仏法の話をできるような空間ではないかなと思ったのですけれど、こうやってできるのですから、どこでもできるわけです。「仏法のない世界はない」というのは、本当なのでしょう。ただ話し難いとか、なかなか聞いてもらえないということは、もちろん深刻な問題としてあって、比喩的に言えば、耳に栓せんをするような時代になっている。みんな耳に何かくっつけて、違うものを聞いている。そして忙しい時代、走り回っている時代ですから、じっくりと宗教問題、自己の根本問題を、一日1分でも憶念するということができなくなっている。でも、南無阿弥陀仏は、そんなに時間は要いりません。ふっと思い立って、そこに還かえっていく世界を感ずるのです。方法として、座禅のように足も痛くなりませんし、お腹も減りませんしね。ただ、聞き難いのです。意味がわからない。これは、聞いていただくしかないのです。これをご縁に、また根本問題に、一人でも触れていただけたらと、切に思うことです。
(文責:親鸞仏教センター)
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