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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」では、2006年11月から、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」をテーマに新たに講座を開講し、その第1回から第3回が、東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第1回(通算第52回)では、『大無量寿経』を読むにあたって、第2回では、『大無量寿経』のもつ意味について、そして第3回では、出世本懐(しゅっせほんがい)の真実教について、それぞれセンター所長・本多弘之が問題提起を行い、有識者と一般参加者との間で活発な質疑応答がなされた。
 ここでは、先に行われた第1回の問題提起からその一部を紹介する。(越部良一)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

浄土―深い闇が人間の尊さを教える―

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
[講座開催の趣旨]
 現代文明の溢(あふ)れる人間社会を生きているものにとって、入手できる情報の範囲はずいぶん広がってはいる。しかし、生まれてから死ぬまで、それぞれの人が与えられる自己の状況に、自分自身が納得し、こころから頷(うなず)けるかというなら、決してそうではない。一般的な条件と、ことさらに自分に起こってくる事件や事実との間には、どう考えても不条理だとしか考えられない落差が出てくるからである。その落差を、仏教的表現では「宿業因縁(しゅくごういんねん)」と教えるのであるが、この宿業因縁を自己に必然の事実であると引き受けることは容易ではない。
 その落差の条件を譬喩(ひゆ)的に表現するなら、「届かない彼方(かなた)」とか「見えざる背景」とか、あるいは「自己に負荷されている祖先の業報(ごうほう)」とかというのであろう。これは、理知分別(ふんべつ)の計数には決して翻訳できない人間の条件なのである。しかもそれが、現実のわれらの生存を厳粛に規定している。この宿業因縁の圧迫から解放しようとする要求が、「浄土を求めさせる要求」の深みにあるのではなかろうか。(本多弘之)
■人間=闇を抱える存在
 人間としての知恵が人間を苦しめる。その一番もとにあるのが、自分が自分を可愛いという思い、自我愛です。自我を感じて、自分に苦しみはじめ、自分の分別(ふんべつ)にもがくわけです。動物には、そういう苦悩がない。大体、私は犬を飼っているのですけれども、犬が睡眠不足に悩む姿など見たこともない。人間だけが自分の意識に苦しむ。ですから、自殺も人間だけでしょう。人間がそういう闇をもっているから、闇を止めさせようというのが、科学的発想、医学的発想だと思うのです。闇をもっていたら、それを薬で消しましょうと。眠れない、それなら眠り薬をあげましょう。そういう方向です。
 けれども、私は逆に、人間だけが深い苦しみをもち、深い闇をもっているということが、人間の尊さであると教えるのが、宗教だと思うのです。そういう闇を孕(はら)んで生きていることが、人間が宗教を求める原因でもあり、そして宗教に出遇(であ)うことによって、その深い闇を超える。だから仏教に触れてみると、仏教の本質をいただいてみると、ああ、人間に生まれてよかったなと。
 人間は闇を抱える存在であるということを、よくよく見つめますと、闇がなくなることはない。人間の闇は人間存在に深くはりついている。浄土教という教えの、浄土を求めずにおれないという心情は、実は、浄土でない生命を人間は生きているということです。悲しみと苦しみを感ずる人間。つまり、人間は煩悩の生命を離れることができない。いくらごまかそうとしても、どこかで、ちくりちくりと突いてくる不安。比喩的に言うなら、人間の後ろに影があるように、いつも人間の闇が影としてついている。影がないということは、存在の意味が薄いということです。存在が濃ければ、影も濃いわけです。そういう意味で、「浄土」という言葉を出して、しっかりと教えの言葉を依(よ)り処(どころ)にしながら、宗教の教える意味をいただき直してみたいと思うわけです。
 
■人生を引き受ける手がかり
 私はとても皆さま方の要求に応えるとか、皆さまがもっている問題にお答えするとかということはできません。答えはないのです。答えを要求して聞くということが蔓延(まんえん)していて、いまの日本の文化になってしまっています。これは本当に悲しいことだと私は思います。なぜこの世に、いま私が生まれてきたのか。答えはない。不可思議なのです。不可思議の生命なのだけれど、ああ、この生命がありがたかったという、そういう感動をもたらすものに出遇いたいというのが、宗教を求める心だと思います。
 それは一人ひとりが自分で考えて、自分で探すしかない。一人ひとりが出遇うしかない。その出遇った表現が、「ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」(『歎異抄』)なのです。親鸞聖人は、無限なる大悲が十方衆生を潤(うるお)そうという願いが、私一人のためにあったのだと頷いた。そういうことが、あとから尋ねる私どもにとって手がかりになるし、これに出遇うことが本当にありがたいと思うのです。
 ですから、私のこのつたない営みが、皆さま方に答えを与えるというのではなくて、ご自分がご自分の人生を引き受けていく手がかりの一端にでもなればと、やらせていただこうと思っているわけです。私の話のなかに、一つでも、一語でも、何か気にかかる言葉が残ったら、それが手がかりです。きっと何かあるに違いない。この智慧は、私の知恵というより、親鸞が出遇った智慧であり、三世諸仏が伝えてきた智慧であり、尊い経典として、無数の方々が命がけで伝えてきた言葉の歴史ですから、きっとそういうところに、皆さまが手に入れることのできる言葉があるだろうと、私は信じております。
(文責:親鸞仏教センター)
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