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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」の第9回から第10回が、東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第9回では「横超(おうちよう)―真宗における超越とは」について、第10回では「光顔巍巍(こうげんぎぎ)―釈迦仏の出世本懐」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第7回からその一部を紹介する。(研究員 羽塚高照)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

人間本来のあり方とは何か

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■諸仏に護念される身になる
 『無量寿経』(『大無量寿経』)を説き始めるその会座に集つどう菩薩方について語っている段に、「無量の諸仏、みな共に護ご念ねんしたまう」(『真宗聖典』5頁、東本願寺出版部。以下、『聖典』と略称)という表現があります。果の位である無量の諸仏が、因位である菩薩のはたらきを「護念」するということです。だから、因果が相呼応しているわけです。
 菩薩が生み出されるのは、仏を翼賛(よくさん)する、つまり仏をたすけ、ほめたたえるためだ、と曇鸞がおっしゃっています。仏に触れた存在である菩薩が仏をほめる。そのことで、仏のはたらきが衆生に伝わる。だから、あえて仏にならずに菩薩の位にとどまるという考え方もでてくるのです。弥勒(みろく)菩薩は、一切衆生の苦悩が尽きるまで、菩薩の位にとどまります。親鸞聖人は、本願の信心の行者は弥勒と等しい、とまで言います。われわれは、仏には成れない。しかし、仏をほめる仕事ができ、仏の功徳を伝える仕事ができる。その仕事の意味が弥勒菩薩だと、このように親鸞聖人は弥勒の名前をいただいています。本願を信じて念仏するところに、いま生きているこの生命が諸仏によって護念される身になる。念仏のはたらきのなかに、諸仏に護念されるという意味があるのです。これは、人間が苦悩から本当に脱出できることを具体的に教えている大事な方向性だと思います。人間は、時間的にも能力的にも、因縁という面でも有限です。そして「煩悩具足」で、たえず煩悩に突き動かされている。個人が閉鎖的になり、自分に苦しむ方向性になっていく。いま、「諸仏護念」ということが、「お前の行く方向は正しいよ」と護(まも)ってくださるという意味だとするならば、また、それを自分にいただくことができるならば、これは救いになるはずです。
 確かに、現代社会は豊かで便利になりました。では、人間が本当に明るくなれたかといえば、決してそうではない。いっしょに生きている人びととの深い共感がないわけです。むしろ、ますます孤立化している。どれだけ便利になろうと、人間は人との関係を生きていますから、そこに明るみが見えないならば、それは「地獄」です。地獄では、他人の声が聞こえないそうですね。人間であれば、隣で苦しみを味わっている人がいたら、何らかの苦しみを感ずるということはあり得るわけですが、地獄では、どれだけ隣で苦しんでいる人がいても、お互いに相手の苦悩を知ることができないのです。
 『無量寿経』には、「仏と仏と相(あい)念じたまえり」(『聖典』7頁)という表現があります。こういう関係は、人間にはほとんどつくれないのですが、もし成り立ったら、それは無上の意味をもつでしょう。人間の心には煩悩があって、恨みや妬(ねた)みがくっ付いていますから、相手のことを本当に知ることはできません。しかし、それを破る方向に触れることで、あるいはそちら側の眼が与えられることで、人間は救われる方向に歩み出せる。覚(さと)りを開くとか、仏陀に成れるのだというのは理想です。そうはなれないことを正直に認めたのが親鸞聖人でしょう。人間は煩悩具足である。仏からの光を仰いで、仏の智慧のはたらきによって、こちらの眼の間違いが知らされていくしかない。そこに歩みがあって、仏から護られているという感覚が与えられる。それが救いなのです。これが、この『無量寿経』が開いてくる方向性だと思います。
 
■ 涅槃からはじまる仏教
 またこの段では、菩薩は「甚深(じんじん)の禅慧(ぜんえ)をもって衆人(しゅにん)を開導(かいどう)す」(『聖典』5頁)と言われます。「禅慧」、すなわち、精神的な統一の世界から出てきた智慧を仏教は大切にします。精神統一された状況のなかで、この人生の大切さを見つめていって、なにがしかの体験をもつ。精神を統一していくことによって、本当のことを見抜いていこうとする。そして、そこから智慧を開く。この智慧がないと意味がないわけです。禅定は沈黙の方向ですが、それが智慧となったときに言葉が生み出されてくるのです。そのような静けさから出た本当のはたらきが、仏教の特質だと思います。
 また、仏教は、「涅槃」を抜きには成り立ちません。釈尊が涅槃に入ったということは亡くなったということですが、そこから本当のはたらきが出るのが、大乗の涅槃です。涅槃から仏法の真実性が明らかになるのです。大乗の涅槃は、「無住処(むじゅうしょ)涅槃」と言われます。迷いの生しよう死じにも、涅槃にもとどまってはならない。だから、生きて迷っている世界から、単にさとりに往こうという発想ではないのです。
 仏説は、お釈迦さまが亡くなって初めて記録されました。つまり、お釈迦さまが亡くなったところから、本当の仏教が伝えられてきたと言えるのではないでしょうか。そこから、初めて弟子たちは自立し、本当の仏教が始まったのです。
 親鸞聖人は、「釈迦如来(しゃかにょらい)かくれましまして 二千余年になりたまう 正像(しょうぞう)の二時(にじ)じはおわりにき 如来の遺弟(ゆいてい)悲泣(ひきゅう)せよ」(「正像末和讃」『聖典』500頁)と謳うたいます。釈尊の人格的保護のもとでの仏教は滅んだのだと。時代が大きく変化していくなかで、言葉も、考え方も、そして受け取られる感覚も変わっていく。仏の言葉を聞くということは、表現が難しいと思いますが、死んだ立場からの言葉を聞くことだ、と言ってもいいと思います。そういう眼が開けると、仏陀の言葉が聞こえてくるのだと思います。理性が求めるようなものではなく、人間の本来のあり方を―お前は何処に立っているのか、自分の生きている根拠を確かめなさい、と仏教は呼びかけるわけです。
(文責:親鸞仏教センター)
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