親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 公開講座 親鸞思想の解明
研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」の第11回と第12回が、東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第11回では「五徳瑞現(ごとくずいげん)―<世>に立つことの意義」について、第12回では「<自在>ということの意味」について、センター所長・本多弘之が問題提起を行い、参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第10回からその一部を紹介する。(研究員 羽塚高照)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

光顔巍巍(こうげんぎぎ)―出世本懐の証明―

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■救われ難き存在
 『無量寿経』(『大無量寿経』)の序分で、対告衆(たいごうしゅ)である諸菩薩が広く大きな功徳をもった存在として説き示され、最後に、一切の衆生が対告衆の視野に入ってきて、その段が終えられます。つまり、ここでは、お釈迦さまが教えを説くときの視野が、目の前で教えの言葉を聞いている存在だけではなく、それを遙かに超えて、時間的にも空間的にも広がって、あらゆる世界の衆生に響くような真理を語ろうとされることが示されているのだろうと思います。
 そして、いよいよ教えを説き始めようとするお釈迦さまは、全身が喜び出し、姿色(ししき)は清浄(しょうじょう)であり、「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」(『真宗聖典』東本願寺出版部、6頁。以下、『聖典』と略称)として、つまり、「お顔全体が大きな光となっている」と表現されています。すなわち、阿難(あなん)はお釈迦さまが何かを説こうとしていることを感じて立ち上がり、「今日(こんにち)、世尊、諸根(しょこん)悦予(えつよ)し姿色清浄にして、光顔巍巍とまします」(『聖典』7頁)と申し上げるわけです。阿難は、釈尊の従兄弟(いとこ)で、ほぼ同じ歳に生まれて、お釈迦さまの一番身近に、いつも付き従って教えを聞いていたと伝えられます。それで、お釈迦さまが亡くなった後、教えを記録しようとなったときには、記憶力が抜群であった阿難の言葉が依(よ)り処(どころ)になった、と伝えられています。しかし、そのぐらい身近にいたにも関わらず、お釈迦さまは「あなたは必ず仏に成る」という「授記(じゅき)」を、阿難にはなされなかったと言われます。
 どうも、阿難という方は、慈悲心があるというか情にもろいというか、そういうお方であったらしいのですが、出家して修行する者にとって、日常性の方向に眼を向けたり、感情をもったりすることは、世俗に戻ってしまうことですから、それを断ち切って修行しなくてはならない。出家主義の教えでは、そう教えるわけですが、ところが阿難は、どうしてもそうはなれない。お釈迦さまは、阿難がそのような出家の道では仏に成れないということを見抜かれて、授記をなさらなかったのだろうと思います。阿難はお釈迦さまの一番身近にいた。しかし、仏法の真理性に触れることができなかった。そういう存在が、この『無量寿経』の対告衆であり、教えを聞いていたということが、非常に大事な意味をもっている、と親鸞聖人は着目したわけでしょう。
 
■ 出世本懐の証明
 日本に伝わってきた仏教の学びとしては、『涅槃経』や『華厳経』が一番大事な経典とされていたところに、親鸞聖人は『無量寿経』こそ「大経」である、仏陀の願いが本当に実現している経典である、と見られたわけです。衆生は小さい。しかし、仏陀の願いは、あらゆる衆生を包んで、真理を呼びかけていこうとする大いなる用(はたら)きです。その『無量寿経』の会座(えざ)に立った釈尊は、阿難の前に、光り輝くお姿で立ち上がられた。ここから親鸞聖人は、お釈迦さまがこの世に現れた本当の意味は、この経典(『無量寿経』)を説くためであったのだ、と見られたわけです。全身が光り輝いたということは、それこそが「出世本懐」であり、この世に生まれた意味を初めて発見した喜びを象徴しているのが「光顔巍巍」であると。
 こういう意味で、親鸞聖人は『教行信証』「教巻」で、『無量寿経』のこの箇所を引かれる直前に、「何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば」(『聖典』152頁)という言葉を添えておられるわけです。その『無量寿経』が教える本願の真実は、「ひとえに親鸞(しんらん)一人(いちにん)がためなりけり」(『歎異抄』『聖典』640頁)である。こういう感動が、この「光顔巍巍」こそが出世本懐の証明だ、と感じさせたのでしょう。
 さらに阿難は、「今日(こんにち)、世尊、奇特(きどく)の法に住したまえり」(『聖典』7頁)と、以下、「今日」を4回繰り返しながら、「世雄(せおう)」「世眼(せげん)」「世英(せよう)」「天尊(てんそん)」と言葉を変えながら、お釈迦さまの徳を讃(ほ)めていきます。阿難が、いま、ここに、光り輝いているお姿に出遇(であ)っている事実において讃めているわけです。
 いま、本願の教えとして、存在の真理を一切衆生に分かち与える方法が見いだせた、そういう直感が内に響いたお釈迦さまには、いわゆる「努力主義」や「自力主義」ではないかたちで真理を感じ取っていける道が開ける、そういう新しい教えの説き方が見えてきた。それを、いま説かんとするお釈迦さまが、喜びにあふれて立ち上がられた。お釈迦さまの中に本願が動き出して、本願が、いま言葉になってあふれ出ようとする力、それが「光顔巍巍」、あるいは「奇特の法」として阿難の眼に映っているということではないかと思います。
 本当の意味で、十方群生海を平等に仏にしうる大地が開かれた。一切の衆生が、平等に仏地をいただくことができる。こういう視野が、お釈迦さまが本願を説こうというところに、ふつふつと沸いてきて、そのことがお釈迦さまの姿を輝かせているのです。
(文責:親鸞仏教センター)
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス