親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 公開講座 親鸞思想の解明
研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」の第15回から第17回が、東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第15回では、「六波羅蜜の行」について、第16回では「国土第一の願い」について、そして第17回では「真証と速」について、センター所長・本多弘之が問題提起を行い、参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第12回からその一部を紹介する。(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

自在―本当に自分が取り戻せる世界―

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 「姿色変ぜず」
 『無量寿経』(『大無量寿経』)で、釈尊が如来の正覚の功徳を自ら語るところですが、「姿色(ししき)変ぜず」(『真宗聖典』8頁、東本願寺出版部)、つまり、姿も色も変わらないと。たとえ、お釈迦さまであっても、肉体をもっている。肉身を生きている限り、肉身の面は変わっていく。 しかし、それを生きている如来自身、如来がこの世に現れ出た「出世の本懐」を生きているいのち自身は、変わらない。これも象徴的な表現だろうと思います。慧見をもった身体というのは、「法身(ほっしん)」と言ってもいいと思うのです。法身は変わらない。もちろん肉体は歳をとります。肉体は、生まれて生きて死んでいくものですけれど、認識する智慧自身が本当に翻(ひるがえ)った場合に、その翻った喜びが感じられてある時には、それは変化しない。変化しないということは、物質が変化しないのではなくて、智慧自身が、流れゆく時ではない時をもつといいますか、変化しない時をもつ。そういうことを象徴しているのでしょう。
 曽我量深先生という方がおられたのですが、私が出会ったときは86歳でしたから、普通でいえば、もう歳をとられたご老人ですけれども、仏法のはたらきのなかで語り始められるときの曽我先生のお姿は、まさに「光顔(こうげん)巍巍(ぎぎ)」で、年齢を感じさせない。皆さん、先生の若さというものに驚嘆の思いをもちました。その若さは身体的若さではない。身体は、もちろん86歳ですからどう見てもお年寄りです。でも、仏法を語っている、仏法に生きているその精神自身を人に感じさせる力は、少しも歳をとらない。そういう感じがしました。
 大谷大学の授業を毎週1回もっておられて、あとは、頼まれるままに日本全国を布教に回られ、説法してこられる。お疲れになって帰ってこられると思うのですが、「先生、お疲れでしょう」とお尋ねすると、「いえ、旅行してきましたから元気です」とおっしゃるのです。人にお聞きすると、曽我先生が1ヵ月も外に出られないと、本当に老人になっているというのです。おもしろいと思いましたね。普通は逆ですよね。仏法に生きているから、仏法のエネルギーが生かしている。仏法に生きている時間が多いと元気になる。そうでない時間、自宅で何もしないでいると、かえってへたばってしまう。
 そういう曽我先生のお姿を、私は大変おもしろいなと拝見したことでありました。事実、そういうことが起こるんですね。だから、「姿色変ぜず」と。これは何も変なことを言っているのではなくて、事実、そう感ずるのだろうと思います。そういうことがあるということを、目の当たりに知ることができました。どうしてそういうことがあり得るのだろう、曽我先生は何を依(よ)り処(どころ)に生きているのだろうというような、不思議な思いがしました。
 
■ 自分自身が自分に在る
 そして、「一切の法において自在を得たまえり」(『無量寿経』同頁)とあります。「自由自在」という言葉がありますけれど、これは鈴木大拙先生が、大谷大学に来られて講演をされたときに、よくお話になったことのひとつです。「わしは問題を感ずるんじゃ」と言われて、「自由、自由と言うけれど、制約からの自由、何々がないという自由、そういう自由は、どうもわしゃ、好きじゃない。仏教者のあり方は『自在』である。自在ということは、自分に在あるということだ」と。「自分自身が自分に在る」と。
 人間は、他の衆生といっしょに生きているということに対する感覚があるわけです。自分を他に見せて、他に引きずられている、他に影響を受けているということがあって、それに苦しむことがある。これは自分が自分になれないという問題です。「自分」というけれど、自分がなぜこういう自分なのかが、自分ではよくわからない。それでいつも他を気にして、他の前で自分を見せようとしている。そういう自分しかいない。
 そこで、「自由」を主張すると、自分を立てて、自分でやるのだという傾向が強くなる。だから、他を無視したり、踏みつぶしたり、他の制約を振りほどいたりして、わがままに通じるような傾向が強くなる。自由の主張が強いということは、人間の領分が広がって、自分の好きにやれる範囲がかなり広がったということなのかもしれませんけれど、それで本当に自分が取り戻せるのかというと、どうもそうではない。
 例えば、私たちは、普段は仕事があったり、人間関係があったり、うるさくて仕方がない。それで、自由になりたいなどと思うのだけれど、会社でさんざん地獄の目に遭っているとか、愚痴を言いながら仕事人間として生きてきて、いよいよ定年退職になったら、自由なのに、今度は、まったく生きがいがなくなって、気力喪失になってしまう。だから、本当は縛られてあることのなかで元気が出ているわけです。糸の切れた凧のようになったら、どうなるかと言えば、ふわふわとどこかへ落ちてしまう。引っ張られているから生きている。だから、自由を求めながら、本当に自由が与えられたら困ってしまうわけです。人間というのは、そういうところがあって、外からも縛られ、内からも縛られ、縛られているなかで何とか平へい衡こうを保とうとしている。でも、どうなったら本当に自分が取り戻せるのかということがわからない。
 そこに、鈴木先生は、自らが自らとしておれることが大切なのだと。「自在」、これがありがたいのだということをおっしゃっていました。自らが自らにあるということが、非常に暗示的に、ひとつのあり方を示しています。煩悩を抱えて生きている人間は、普通では、自分で自分を取り戻すなどということはできない。けれども、いま、この光顔巍巍たる如来がこれから説く法は、そうした愚かな凡夫が、自在を得ることができるのだと言うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス