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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
  連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第26回から28回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われた。第26回では、「第十一願(続)」について、第27回では、「第十一願(続)と第十二願」について、そして第28回では、「第十二願(続)と第十三願」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第23回からその一部を紹介する。(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

「天耳」―聞くという力

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 聞くことは信ずること
 四十八願の第七願に来ますと、「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、天耳(てんに)を得ずして、下(しも)、百千億那由他(なゆた)の諸仏の所説を聞きて、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじ」(『真宗聖典』16頁、東本願寺出版部<以下、『聖典』と略記>)と。これはすごい願だなと思うのですが、「天耳」というのは、天に通ずる耳といいますか、「諸仏の所説」とありますから、仏さま方の説かれるところを聞く。聞くというのは、諸仏が説く言葉を通して、存在の真理、命の真実を聞く。
 聞くということは、身体の機能としての耳で聞くという形になっているのですけれども、先に真理に出遇った人たちが、ああ、このことを知ることによって、これだけ歓びがある、これだけ解放される。そういう自分の出遇った体験内容を伝えようとして言葉にする。その言葉を通して、真理に出遇った人の体験をいただく。自分がまた新たにその真理に出遇う。その出遇う方法を「聞く」というのだろうと思うのです。
 親鸞は、信ずることと聞くことは一つのことだと言います。本当に聞くということは、本当に信ずることがなければできない。「「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし」(『教行信証』『聖典』240頁)と。何のために仏の願いが語られるのか、その起こってくるいわれ、それを聞く。聞くといっても、耳で聞くのではない。言葉は、一応、耳を通すこともありますけれども、耳を通すにしろ、言葉が言われたら、そのことを、譬喩的に言えば、胸で受けとめてしっかり味わう。そして、疑いが晴れる。何を言っているのだろうということから始まって、大体こういうことだろうかということから、ああ、そうだったのだというように腑(ふ)に落ちる。五臓六腑に染み渡るまで、真理が自分の中に入ってくる。そういうことを聞くというのでしょう。
■ 聞くことの難しさ
 だから、聞くというのは難しいわけです。疑心が、その壁になるわけです。そんなことを言ったってとか、そうは言うけれどもとか、何か自分勝手な論理とか言葉で遮(さえぎ)る。だから、すっと真理自身に出遇えない。聞きながら疑いが晴れないということは、聞いてないということです。音は聞いているけれど、聞き当てていない。言葉が何を言い当てようとしているのかが見えないままに素通りしているのです。なかなかわからない。それでやたらに言葉に取りつかれれば、譬えるなら、この道をこう行けばいいものを、横の路地のことばかりをいっぱい書いて、どこに行ったらいいのかわからなくなってしまうというような解釈をすることが多いわけです。それに後から行く者は惑わされる。汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)している解釈学に惑わされて、大事な筋が見えなくなる。
 そもそも「聞其名号 信心歓喜」(『聖典』44頁)の、名号を聞くということは、発音された音を聞くという意味ではない。ところが、「聞其名号」とあるから、名号を聞くというのは、誰かが発音した音を聞くのだろうと読んでしまうわけです。なぜ阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏という名号を選んだのか、選択したのか。ああ、私のためであったのだと、「親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』『聖典』640頁)と聞き当てる。それは容易なことでないから、他人のためだと思ったり、愚か者のためだと思ったり、自分のためだとは思わない。
 道綽禅師が引用している「耳なき人」(『教行信証』『聖典』173頁)、無耳人(むににん)という譬喩を親鸞は和讃で使っていますが(『聖典』487頁)、その耳なき人というのは、耳が聞こえないという意味ではない。本当のことを聞き当てる力がない。肉体としての耳はあっても、耳なき人である。それは、本願を聞くことができないのを哀れんで、仏陀がおっしゃる言葉です。われわれは、仏陀の言葉、親鸞の言葉を読み過ごしながら、何かよくわからない。本当に耳がないなというか、そういう感じが深いのですが、そういう意味で、誰であっても浄土に触れるならば、天耳(てんに)を得ると。天耳を得れば、無数の諸仏の言葉を聞いて、ことごとく受持する。「受持」というのは、智慧として保って失わないということです。仏陀の教えに本当に腑に落ちて頷くことが起こると、それはもう忘れない。
 われわれは、 愚かな凡夫ですから、 天耳も何もないのですけれど、 しかし、 信心ということを問題にするときには、 これはどこか響き合うところがある。何か、人間存在にとって大事なものを、本願が、今、呼びかけようとしている。そういうことは、 いただけるのではないかと思います。
 
■ 聞くという力
 最近は、ヨーロッパやアメリカのような考え方で、ディベート(debate)、自分の言いたいことをどんどん言う、そういうことを奨励する。これはやはり、グローバルに他の文化と接していくためには、向こうがどんどん言いますから、こっちが黙っていたら居ないのと同じことになってしまいますから、どんどん言えというわけでしょうけれど、言うというところに、聞くということがついていることが大事なのではないかと思うのです。仏教は一番最初から「如是我聞」ですから、聞くことから出発して真理に出遇っていく。言うことの根に聞くということがあって、真理に聞いて、聞いていることを言う。私が先生方の仏法の話を聞いていて、ああ、この先生の話を聞きたいなと思ったのは、その先生自身に聞いている姿勢があったからですね。聞かずに説こうという話は、全然聞きたくなかった。聞く耳をもとうとは思わなかった。やはり自分が聞いていくという、その姿勢が親鸞にもあったから、親鸞という人にもこうして引かれるし、まあ、とても尋ね当てられるものではないけれども、できるだけ親鸞という人の出遇った真理の近くまでは行きたい、そういうふうに思わされるのは、やはり聞くという力だと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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