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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの−『大無量寿経』を読む−」の第38回、39回が東京国際フォーラム(千代田区)で行われ、「第18願(続)」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行なわれた第36回からその一部を紹介する。(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

絶対受身に立つ

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 往相・還相回向の問題
 親鸞聖人がおっしゃる回向によって成り立つ教え、回向によって成り立つ「行」、回向によって成り立つ「信」、回向によって成り立つ「証」、こういう教えが立つということは、自分は徹底して回向をいただく身、絶対受け身と言いますか、回向のはたらきに歩まされる存在である。能動は如来のはたらきであって、人間は受動であるという立場をくずさない。そういうことがはっきりしないと、この回向の教えは本当には明らかにならないのではないか。
 それは、これまでの教えの了解に、どうにもわからない問題があった。何かというと、回向に二種の相あり、往相の回向と還相の回向の二つの相があると曇鸞が言っていて、今までの教義学の正統的理解というのは、回向のはたらきは如来からいただく。浄土に往相するのが衆生の相(すがた)だと。浄土に往相したら、今度は浄土から還相するのも衆生の相(すがた)だと。だから往相と還相という相は衆生に属すると。そうすると、この愚かな凡夫が念仏に出遇って浄土に往き、浄土から還ってくるという、往ったり来たりは衆生に属するというイメージが残る。どうもそれはおかしい。それは中途半端なのです。往相・還相が衆生の相だと解釈するところには自力のなごりがあるのではないか。そう私は問題提起したわけです。
 親鸞聖人の書いておられるものを読むと、衆生が往ったり来たりするイメージとは矛盾する言葉がいっぱいある。二種の回向、往相・還相の回向は弥陀の回向である。この往相・還相の回向にもうあう、値遇すると言っている。如来二種の回向によって信心を得ると書いてある。自分が往ったり来たりするなどと、親鸞聖人はどこにも書いていない。今までの教義学が間違っていたのではないか。解釈学が間違っているのであって親鸞聖人は間違ってない。それは徹底的に受け身で如来の本願力をいただく。教義学は受動のような顔をしながら、回向だけいただいて、自分でやるという話にした。その他力は本当の他力ではないのではないか。
■ 南無阿弥陀仏が体
 こちらに穢土があって、向こうに浄土を立てて、人間は浄土に往ったらたすかるという、そういう浄土教に対して、親鸞聖人は本願が中心だと。念仏が体だと。善導大師は、『観経』は「一心に回願(えがん)して浄土に往生するを体とす」(『真宗聖典』333頁、東本願寺出版部)と。往生浄土がこの経典の体だとおっしゃっているのです。「往生」をもって体とする。ところが親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」が体だと言っているのです。『教行信証』に「『大無量寿経』、真実の教、浄土真宗」と、こう書いて『大無量寿経』の体は仏の名号、「南無阿弥陀仏」だと。このことの意味の違いをはっきりさせてこなかったのが今までの教義学です。
 穢土と浄土を立てて、穢土から浄土に往ったらたすけてやると教えるのは方便化身土だと親鸞は言うのです。すごい考え方だと思うのですよ。真実には「南無阿弥陀仏」に本願の体がある。「南無阿弥陀仏」の体をもって宗教的満足をいただくことが信心だと。そうすると、この信心は信ずることを出発点として何かをやっていくのではない。譬(たと)えるなら、あなたを信じて結婚します、それから生活していきましょうねと、そのような頼りない話ではないのです。信ずることがもう結論だと。本願を信ずればたすかる。信ずるということがたすかることだと。
 でもみんなそれを素通りして、今、信をもててたすかっても、浄土に往って本当はたすかるのだという二重写しで考えた。そうすると生きている間はやはり本当にはたすからない。あるいは、まあ、二回たすかるというか、今生(こんじょう)でたすかって、もう一回浄土でたすかる。そういう教え方をするわけです。現生(げんしょう)の利益(りやく)と当生(とうしょう)の利益とか、此土の利益と彼土の利益とか、二重構造で救いを考える。
 でも、親鸞聖人はそのようなことを言っていないのです。だから難しいと言えば難しいのですけれど、本願の救いをどこでいただくのか。如来が本願の教えを立てて、本当に衆生を救いたい、衆生を絶対満足させたいと誓っているのに、美味しいケーキだけれど半分だけ今日いただいて、後の半分は明日食べますと言って腐ってしまったような話でね。そういう救いが本願の救いではないのではないか。本願の経典、本願の救いの体は「南無阿弥陀仏」であるということは、「南無阿弥陀仏」以外にもう一つ救いが欲しいということが教えられているのではないのだということです。
 自分が往ったり来たりする、そうしないとまだ自分が自分になっていないというのは、自力が残っているからです。まだ自分が何かをしたい。自分が本当の仏道の仕事をしたい。今はできない、だから如来さまのはたらきをいただいて、浄土に往って、それからやりましょうと。これは表現としてはあってもしかるべきで、『歎異抄』にはそういう表現があります。あるけれども『歎異抄』は唯円にわかり易いように、ある意味で方便しているところがあると思うのです。親鸞聖人の本質は『教行信証』にある。「南無阿弥陀仏」を手段としてそれを使ったらいいところへ行けますよという教え方は、方便なのです。でも、「南無阿弥陀仏」が人間をたすけるための手段だという考え方を親鸞はとらない。「南無阿弥陀仏」は「大行」だと。そこに本願が全面的にはたらくのだと。一部分「南無阿弥陀仏」としてはたらいて、一部分浄土を建立して、「南無阿弥陀仏」を使ったら浄土に入れますよと、そんなことを親鸞は書いていないです。
 いや、教義学というのはこわいなと思って。長い間教えを聞いていましたから、私もそうかと思って、そういうふうに考えようとすると、どうしても親鸞聖人の言葉にわからない言葉が出てくるのです。ですから絶対受け身に立つという姿勢、その立場を離れないということが、親鸞の教えの本質だと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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