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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第53回、54回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、第53回では「第二十三願と第二十四願」について、第54回では、「第二十五願と第二十六願」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第52回から一部を紹介する。
(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」

往相(おうそう)の回向(えこう)と還相(げんそう)の回向

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 往相の回向・大涅槃を得る
 『教行信証』の「行巻」に非常に考え難い一連の言葉があります。「しかれば、大悲の願船に乗じて光明(こうみよう)の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍(しゅか)の波転ず。すなわち無明(むみょう)の闇(あん)を破し、速やかに無量光明土に到りて大般涅槃(だいはつねはん)を証す、普賢(ふげん)の徳に遵(したが)うなり。知るべし」(『真宗聖典』192頁、東本願寺出版部。〈以下、『聖典』と略記〉)。そして、曇鸞和讃では「還相の回向ととくことは 利他教化(りたきょうけ)の果をえしめ すなわち諸有(しょう)に回入(えにゅう)して 普賢(ふげん)の徳を修(しゅ)するなり」(『聖典』492頁)と。「諸有」というのは迷いの世界、生死の世界です。如来の回向に値遇(ちぐう)するということは、往相の回向と還相の回向に値遇する。往相の回向の利益として大涅槃にまで至る。それでおしまいかというと、おしまいではない。大涅槃を得れば普賢の徳を修すると。そのようなことは凡夫にできるはずがないから、死んでから浄土に往ったら還って来られると。以前はそう解釈したわけです。しかし、親鸞聖人は、そのように書いてはいないのです。
 われわれが大涅槃を得るということを考えると、われわれは煩悩具足だから大涅槃などとても得られないと思います。しかし親鸞聖人は、曇鸞和讃で「往相の回向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 悲願の信行(しんぎよう)えしむれば 生死(しょうじ)すなわち涅槃なり」(同上)と、往相回向の利益には大涅槃を得る、と言ってくださっている。ここに、親鸞聖人が語っておられることの、現代人ばかりでない、親鸞聖人の弟子にしてもなかなかわからない問題があったのではないかと思うのです。つまりわれわれは、時間的にも空間的にも、有限のなかに遠近感があったり、過去・現在・未来と時間が過ぎていく感覚があったりして、そのなかでものを考えていきますから、いくら「すなわち」、「即」と言われても、今でない即だから、その次だろうと。わからないところはしようがないから死んだ後にしておけば、一応、事は済む。しかし、親鸞聖人はそうは言っていない。死んだら、とは「証巻」のどこにも書いていません。
 これは私の了解なのですが、本願に帰する、このこと一つを信じようということが起こったときに、正定聚に住する。正定聚に住するということは、往相回向、還相回向の利益のはたらく場所になる。本願力を依(よ)り処(どころ)にして、私どもがこの煩悩の命を喜んで生きる力が与えられ、本願力を証明するような命が与えられてくるということです。ですから「光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず」と。衆禍の波が無くなるのではないけれど、それを転じていく生活が与えられてくる。そうすると、「速やかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す」という意味をもつのだと思います。
 われわれは「浄土」と教えられても、妄念としてどこか違うところにあると思い込んでいますから、こちらにいるのだから浄土には往ってはいないと考えるのですが、浄土は、教えの世界、本願が荘厳している世界ですから、どこかにある世界ではないのです。われわれは煩悩を地として煩悩の生活をしているので、浄土ではないのです。しかし、本願がはたらく世界を感じたら、そこが浄土なのです。そうすると、譬喩(ひゆ)で言えば、足は煩悩の大地に立って、信心は浄土の功徳を呼吸する。膝から下は泥田の中にあって、首から上は浄土を呼吸する。それが往相回向の信行を獲ることによって成り立つ信心生活なのではないかと思うのです。
■ 還相の回向・普賢菩薩の仕事
 そうすると、その時に、時を隔てず、日を隔てず、大涅槃の利益と接し、大涅槃の利益と接するということは、もう、即、大涅槃のなかに還相の回向がはたらいてくる。普賢菩薩の仕事は、衆生を仏道に入らしめる。つまり、凡夫として生きているのだけれども、本願を信じ喜んでいるということが何かのかたちで影響を及ぼすという生活もありえる。これは自分でやるのではありません。自分で光るのではないのですが、本願があると少し人間が楽になるのかなとか、信心を生きていると自由なのかなとか、何か感じさせるものがあるのです。法蔵願心が人にはたらいて、人を通してまた伝わっていくというようなことを起こしてくる。
 本願力をいただいたものは、いただいただけでは済まない。いただくことができたならば、それが縁となって本願力はどのようなものだろうかと語れば、またそれが縁となって知ってくださる方も現れてくるわけです。自分でやるのではないのです。自分はどこまでもいただく立場です。いただくことを証明することはできます。人間が信じてたすかっていると、本願力がはたらくことが証明されますから、それで伝わっていくこともある。親鸞にとっては法然上人が生きてくださっていた。親鸞が生きていれば、弟子がそれを見て生きていく。親鸞は、それは面々のおんはからいだと言います。私が伝えるわけではない、私の弟子ではないと。一人ひとりが本願を信ずるかどうかなのだと。本願がはたらくのです。
 宗教的時間は「信の一念」、「今」です。いつかどうかなるという話を語ったら、これは宗教的時間ではありません。生死無常の時間です。宗教的時間は、千載の一遇、今、ここに出遇うか出遇わないかしかありません。今、涅槃を得なかったなら意味がない。今、信心を獲れば、往相回向の利益として必ず涅槃を与える、その「必ず」に出遇うのは、今なのです。そこに、普賢の徳を修するということが、その「必ず」の内容として、今、与えられる。自分でやるのではない。法蔵願心のはたらきが自分を通してはたらくのです。
 体(たい)は名号の信心です。体は名号なのですが、名号を信ずる心がなければ、名号ははたらいていませんから、人間にはたらくときには名号の信心としてはたらく。これが、正像末和讃で「南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入(えにゅう)せり」(『聖典』504頁)と言われる内容なのではなかろうかと思うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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