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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」の第69、70回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、「重誓偈」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第67回から一部を紹介する。 (嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」

精神的な事実

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 無上道に終わりはない
 「重誓偈」に「志求無上道」(『真宗聖典』25頁、東本願寺出版部。以下、『聖典』と略記)、無上道を志求するとあります。仏道は無上道と言います。成仏道とも言われるから、なかなかわかり難いのですけれども、本当は仏道に終わりはないのです。仏さまは一切衆生を救いたいという行に入られてはたらくわけですから、一切衆生が生まれ変わり死に変わりしている間は、終わらない。終わりがない道というのが、これが人間には耐えきれない。『華厳経』などの菩薩行でも終わりがないことを語っているのですけれど、早く終わりが欲しいものだから、読む側が何か適当に終わりを作ってしまうのです。本当は、終わりがない道に生きて死んでいくのではないかと思うのです。
 終わりのない道みたいなものではしようがないではないかと。いや、終わりがある道のほうがしようがないのだと。終わりのない道が見いだされたら、もうそれは尽きることがない。法蔵菩薩の願もそうなのです。われわれの願は大した願ではない。ちょっとしたことで、すぐなくなってみたり増えてみたりするわけです。でも、本当の願は消えることがない。本当の願に触れたら、その願は終わることがない。そういう願です。法蔵菩薩の願が、自分にとって、ああ、尊いものだといただけたら、その願が自分にとって無上の意味をもってくる。それが歩ませてくる。そういうものが無上道です。
■ この世的にはないもの
 そうした終わりのないものを、仏陀は「法身」とおっしゃったわけです。肉身が死んでも法身は死なないと。死なない法身とは何だろうと考えてもわけがわからない。法身という言葉はあるけれど、実体はない。実体ではなくて、触れた人が感ずるものです。でも、それを出して見ろと言われても出せない。けれどないのかといったらある。そのあるなしは物質的なあるなしではないわけです。執(とら)われている精神が解放されるとか、闇に閉ざされていた精神が明るみになるとか、そういう事実が起こってきて、それを起こすはたらきが法身ですから、精神的事実はあるわけです。
 こういうものが言葉になっていますから、仏法はなかなかわからない。結局、私も長い間、仏教の言葉を聞いても聞いても、何を言っているのかさっぱりわからなかったのは、全部、何か形あるもの、物質的なものに換算してわかろうとするものですから、どうしても意味がわからない。出遇(あ)ってみないとわからないものは、ないものですよ、この世的には。この世的にはないものだけれど、精神にとってはあるものです。その精神にとってあるものを開いてくるために言葉があるわけです。
 本願はどこにあるか、どこにもない。けれども、本願はある。本願がはたらいているということを感ずる。感ずる人間には、別にどっちの方角にあるとか、どれだけの大きさだとか、そういう形であるのではない。でも、あると感ずる。「南無阿弥陀仏」を念ずるところに、闇が晴れていくという事実が起こる。「南無阿弥陀仏」と念ずると心が落ち着いてくるとか、執われていたことがほぐれてくるとか、そういう事実が起こるわけです。それは精神的な事実です。精神的な事実というのは大きいのです。心配していた、でも何でもなかった。そうしたら、ほっとするでしょう。別に何もないのだけれど、心配しているということはあったわけです。それで、「ああ、よかった、何でもなかった」と。そのときには、何も変わってなくても、思っている心が変わるわけです。
 仏法の言葉は、そういう執われを破って、それに触れることによって人間が解放されるようなあり方を呼びかけるための言葉ですから、こう言っては変かもしれませんけれど、ないものを語っているのだと言ってもよいわけです。ないものを語っているのだから、そのようなものは要らないのだ、そんなものではない。人間にとっては絶対に必要なもの、ものというよりも、必要なはたらきなのです。
■ 念仏するところに阿弥陀仏はおられる
 親鸞聖人は、信心が現生に獲る十種の益のなかに、「心光常護の益」(『聖典』241頁)ということをおっしゃっています。念仏の信心をもつと、心の光、これは阿弥陀如来の心の光、あるいは法蔵菩薩の心の光と言ってもよいのですが、如来の心の光がいつも護ってくださると。それは、自分の闇の心、愚かな心が、「南無阿弥陀仏」を思い起こすと阿弥陀如来の摂取不捨のはたらきが来ていると、こう感ずる。独り不安になっているけれども、いつも護っていてくださるのだよと。
 阿弥陀の名で願いを呼びかけて、それは心を開くはたらきをもちますから、闇を明るくする。 心の闇は物質的闇ではなくて、自分で勝手に暗くなっているわけですから、暗くなっている心が明るくされる。それが光のはたらきです。別に物質的光ではない。誰であっても、どこであっても、闇をもって苦しんでいる衆生に光を届けたいという願いが阿弥陀の願いですから、まだはたらいていないように見えても、はたらきたいという願いからすれば、あらゆる世界に阿弥陀の光は行っているわけです。感じない人間にとってはないわけでしょう。ないけれども、教えに触れて開かれてみれば、本来照らされていたのだと。気づかなかっただけなのだと。
 だから、曽我量深先生が、阿弥陀如来はどこにいるのですかという問いに、「南無阿弥陀仏」と念ずる人のところにいますと。お浄土はどこにあるのですか。阿弥陀如来のおられるところにあります。だから念仏するところが浄土なのです。阿弥陀如来のおられるところが浄土なのですから。それは果てがない。「重誓偈」の「普く無際の土を照らし」(『聖典』25頁)の「無際の土」というのは、そういう意味です。
(文責:親鸞仏教センター)
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