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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第76回〜78回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、第76回では「法蔵菩薩の修行と成仏」等について、第77回では「阿弥陀の光」等について、78回では「寿命無量」等について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第75回から一部を紹介する。 (嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」

業因縁の存在の翻り

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 不可能を実現する願い
 法蔵菩薩の願いは、一切衆生をたすけたいという願いです。これは不可能です。不可能だけれども、それが成就しないならば自分は仏に成らないと。これは自分が完成できることを期待している願いではない。にもかかわらず、物語としては十劫の昔にもう阿弥陀仏に成っていると言うのです。それは矛盾しているわけです。しかし、そういう物語なのです。自力の教えと違って、他力の教えは、有限な人間を無限がたすけたいというわけでしょう。有限な人間を無限にしたいと。不可能です。しかし、不可能を不可能ではないのだと。不可能を実現したいという願いが本願であると。
 われわれは分別の衆生ですから、考えたり、計算したり、比較したりということで苦しんでいます。そういう存在が、如来を思議することはできません。思議することのできない人間にどうやって如来を教えるか。そのときに、如来の側から衆生になってあげようと。衆生になって衆生のなかで立ち上がるのだと。こういう願が、至心・信楽(ししんしんぎょう)・欲生(よくしょう)の三心だと。三心共に如来の心である。如来の心は兆載永劫(ちょうさいようごう)の修行の心である。兆載永劫の修行の心が、愚かな人間のなかに立ち上がるのだと。これを如来回向の信心と言うのだと。こう親鸞聖人はお考えになっていかれたのです。
 つまり、有限を無限にするには、無限が有限になるほかないのです。有限はどれだけ有限を積み重ねても無限にはならない。しかし、無限は有限を包んでいる。だから無限の側が有限になることはできる。有限になった無限だと。これが「南無阿弥陀仏」なのだと。無限の大悲の願心が名になった。名において有限の衆生に無限を教える。そのためには、信じさえすれば無限の功徳、無上功徳を与えますと。無上功徳はわれわれからはつかまえられない。けれども無限の側から、わざわざわれわれのために身を投げてくださるのだと。このようにいただきなさい、というのが回向のはたらきです。
 われわれは本当に信じているのかと問われたら、 信じているなどととても言えない。けれども、われわれが信じないならば、如来は成就しないのです。 如来は成就しているとおっしゃるのだから、それを信ずるしかないのだと。われわれができるできないではない、初めからわれわれはたすからないのだと。たすからない存在をたすけずんばやまんという願がここに成就しているのだと。
「ああ、そうですか」といただくしかない。これが親鸞聖人の言われる回向成就の信心という意味でしょう。
 法蔵菩薩の修行が何のためかと言ったら、たすけることのできない愚かな衆生を、どうしてもたすけたいのだと。だから悲願なのだと。「諸仏の護念証誠(ごねんしょうじょう)は 悲願成就のゆえなれば 金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし」(『真宗聖典』486頁、東本願寺出版部)という和讃がありますが、「諸仏」とは、本願によって先に救われた方々のことを、後から行く人間が諸仏と仰ぐわけです。諸仏が護ってくださる。後から来る凡夫に、どうか凡夫よ、「南無阿弥陀仏」を信じてほしいと呼びかける。この極悪深重の世の中に、極悪深重の衆生に念仏を呼びかける。悲願成就のゆえなのだと。そして護ってくださる、護念証誠である。だからそれに出遇うということが、金剛の信心を得ることだと。
■ 業因縁の存在としての自分
 われわれの心は、愚かな心だし、弱い心で、本当にしょっちゅうコロコロ変わります。クッキーというお菓子があるでしょう。私はおいしいと思いますが、置いておくとすぐに湿気たり、少しの衝撃で粉々になってしまったりする。譬(たと)えて言うなら、われわれの心もクッキーみたいなものです。少し雨模様だと湿気て、天気が良いと元気になる。だからお天気次第です。いくら強そうに見える人でも、人には言わないけれど、心は弱い頼りないものなのではないでしょうか。「俺の心は変わらないぞ」と言える人はいないと思うのです。嘘では言います。「私、一生あなたを愛します」と言って、リングを取り交わして三日後に離婚したり。嘘八百です。けれど、嘘でもよいから信じたいのです。狐と狸の化かし合いと言いますが、凡夫は凡夫で、狐と狸で結構成り立っているわけです。だから、それをだめだとは言えない。そこに真実があるなどと言うから嘘なのです。
 人間レベルの誓いなどは、いくらそのとき本当だと思っても、たちまち雲散霧消します。これは人間が悪いからではないのです。人間とはそういうものなのです。人間は状況存在ですから。だから、状況が悪いからそうなったと思うわけです。でも存在自身が、そうなるような存在なのです。そういう状況を引いてくる存在なのです。
 「引業(いんごう)」という言葉があります。業を引くのです。業とは、自分で思っていないけれども、そうなっていってしまうのです。そして、相手の責任にするのです。自分は悪くない、相手が悪い。しかし、そういう悪い相手と出会う因縁は自分なのです。自分なしに勝手に出会うわけにいかない。だからやはり人間は縁を生きる存在なのです。
 仏教の教えは厳しいと思うのです。嫌な教えだと思うのです。凡夫は自分の好きにしたいのです。だけど仏教はそれを許さない。お前は因縁の存在なのだ、業因縁を生きているのだと。それを、「ああ、そうだったな」と、逃げられない因縁をいただいていたからこそ、本願がありがたいのだと。そのように翻(ひるがえ)ったときに、初めて他力の本願が自分の身に起こってくるのです。翻りなのです。翻るまでは徹底的に、できの悪い存在だと教えてくるのです。それが嫌なのです。けれども、これは真実の教えだと、人間にとってどれだけ嫌でも逃げられない、そうだんだん言い当てられてきて、「ああ、本当にそうでした」となると、南無阿弥陀仏がありがたいのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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