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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 親鸞の生きた人生態度を、現代社会の大切な思想として掘り起こそうと、親鸞の思想・信念を時代社会の関心の言葉で思索し、考え直す試みとして公開講座を行っています。
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第79回と80回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、第79回では「七宝樹」について、第80回では「道場樹」について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第77回から一部を紹介する。(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」

宗教的な光明

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 本当のいのち
 本願の第十二願、第十三願が「光明無量の願」、「寿命無量の願」と言われていますが、無量寿仏と無量光仏とは一体なのです。本当は別の願ではなくて、無量寿仏と無量光仏とは、大きなはたらきの二面を取り出した言葉だと言ってもよいわけです。光となってはたらき、寿(いのち)となってはたらく。
 寿となってはたらくとはどういうことか、難しいことですけれど、本当のいのちを与えるというような意味で考えたらよいのだと思うのです。普通のわれわれの生命は因縁で生まれ、因縁で滅んでいく、因縁所生(しょしょう)の命ですけれど、その因縁所生の命を生きているなかに、命それ自身とは何であるか、何のためにここに今の命が与えられてあるかという問いをもつときに、それはこの世の命の成り立ちを問題にしているのではなくなるわけです。この世の普通の問いは、生まれたうえで、どうしたらよいかというものです。どうやって稼ごうかとか、今日は何を食べようかとか。そういう生まれているうえでのいろいろなことではなくて、生まれるということが一体何なのだと。これは答えがないと言ってもよいわけです。答えがないような問いをもつ。人間の闇、人間の苦悩が、何でこんな自分がここに生きていなければならないのだろうという問いになる。
 そういう問いに対して、本当に明るみが与えられ、本当に感謝しながら生きていける智慧が与えられる。それをいのちが与えられると表現するなら、無量寿仏の寿は本当のいのちを与えるのだと。 本当のいのちと言うと、何か別の命がくるみたいなイメージですけれど、そういう意味ではない。今生きている命が暗い、闇のような命だとするなら、それが明るくなった。「ああ、明るいな」と喜んで生きていける智慧が与えられたときのいのちです。別の命になるわけではないけれども、新しいいのちが感じられる。このいのちは、いわゆる因縁で生まれ、因縁で滅ぶ命とは違う質のものです。
■ 悪業因縁を選ばず
 この世の因縁は、友だちができたり、夫婦になったりいろんな因縁がありますけれど、出会いうる因縁があって出会うわけです。ところが阿弥陀如来は因縁を選ばない。どういう苦悩の情況であろうと、どういう悪業因縁に苦しむ場合であっても、それを選ばない。あらゆる衆生を救い遂げたいと。
 これはだんだん触れてくるととてもありがたいのですけれど、初めのうちはどういうわけか因縁が薄く感じるのです。宿業因縁が近いとありがたいということがあって、例えば、病気をしていたときは薬師如来がありがたいとか、子どもさんを亡くした場合は地蔵さんがありがたいとか、何か因縁が近いとありがたいわけです。ところが、阿弥陀如来は何がよいのか、何だかわけがわからない。別に病気に効く薬をくれるわけでもないですし、なぜありがたいのか。どんな苦悩であっても明るくしなければやまないということは、情況的苦悩を除く光ではないのです。ですから、出会う初めは、あまりありがたくないというか、あってもなくても同じじゃないの、という感じを受けるのです。それがじわっと効いてくる。譬喩(ひゆ)的に言えば、空気のようなありがたさと言うか、空気がないなどということは考えられない。あるからこそ生きていられる。そういう気づきが起こってくると、どれだけ深い闇に苦しもうと、それを思い起こすと阿弥陀の光が射(さ)してくる。そういう意味で阿弥陀の光は、無量光、限りがない。限りがあったならば自分は覚(さと)りを開かない、つまり仏に成らないと誓っているのですから、限りはないのだと。
 「もし三塗(さんず)・勤苦(ごんく)の処(ところ)にありてこの光明を見たてまつれば、みな休息(くそく)することを得て、また苦悩なけん」(『真宗聖典』30〜31頁、東本願寺出版部)。阿弥陀如来の光は、三塗、地獄・餓鬼・畜生のような苦悩の深い場所、悪業因縁でたすからない場所のところにあっても、この光明を見ることができる。そういう場所にあってこの光明を見るならば、みんな心が安まると。
■ 闇へ闇へ
 阿弥陀の光がわれわれの苦悩の闇を本当に明るくするということは、なかなか体験的には、よくわからないのです。曽我量深先生は、われわれにとって闇が晴れるということは、法蔵菩薩と出遇(あ)うことだと教えてくださった。つまり、法蔵菩薩は一切衆生を救わずんばやまんと誓って、どのような苦悩の闇をも厭(いと)わない。苦悩の衆生となって、どんな苦悩も引き受けて歩もう、そういう願心ですから、自分が感じているつらさとか苦悩はこの願心のむしろエネルギーになるのだと。だから曽我先生は、凡夫は明るみを求めるけれど、法蔵菩薩はむしろ闇へ闇へなのだと。闇こそ我(わ)がはたらく場所だと言ってそこへ入ってくださる。そういう場所をわれわれは生きていると思ったらかたじけないではないかと。私個人では嫌でしかたがない。けれども法蔵菩薩がはたらいてくださる場所なのだと。このように意味転換が起こるわけです。法蔵菩薩のお心は私のこの苦悩を晴らさんがためなのだと、法蔵菩薩を身近に感ずると、自分独りで苦悩を背負っていると思って、逃げたい逃げたいと思って逃げられなくて、つらくてたまらなかった命の見方が変えられるということが起こるのです。そうすると、嫌だなどと思っていたのはもったいない根性だと。こういう命があってこそ生きている意味があるではないかと、そういう眼の転換をもたらすわけです。それが宗教的な光明、光という意味を持つのです。
 われわれは物質的光明を求める。苦悩はなくなって明るくしてほしいと思う。でも、なくなってほしいと思えば思うほど闇は深い。われわれが光を求めても光などもらえない。けれど、闇を生きてくださるものがあると教えられると、南無阿弥陀仏と共に明るみがくるのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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