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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第86回と87回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、この両回で第十七願成就文について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第84回から一部を紹介する。(嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」

苦悩の場所で光に遇う

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 本当に自分が出遇(あ)ってたすかるかどうかが勝負
 出遇った仏教が本当に自分を解放するかどうかということを、自分の全力をかけて、自分の言わば命をかけて求めて、『無量寿経』こそが本当の仏教、真実教であると親鸞は信じた。あっちにも真実がある、こっちにも真実がある、比較してどっちかと、そのようなことではないのです。自分にとってはこれしかないと。愚かな自分にとってはこの教えであれば自分を解放してくれると。そのようなことに出遇ったから、それまで学んできた比叡山の学びを捨てた。親鸞が尋ねて、これが真理だと言ってくださったその真理は、われわれのような愚か者にとって、今でも当てはまる。それ以後の人間が、とてもそこまでは掘り下げられないほど人間の闇を深く掘り下げてくださった。その真理性というのは、その親鸞の言おうとしたことを尋ねることで、われわれのような愚か者が「ああ、そうか、こういうふうに考えればたすかるのだ」という意味の真理性です。
 つまり、本当に自分が出遇ってたすかるかどうかが勝負なのです。精神的な闇が開かれる真理性。これは客観的な真理性ではないのです。精神の明るみを求める心は、客観的な真理ではたすからないのです。いくら科学が客観的な真理を分析して、科学的に真理だと言っても、そのようなもので人間の心の闇は晴れないのです。心の闇を晴らすということは、人間がどういう存在であるか、自分は本当にどういう存在であるかが照らし出されて、「ああ、そのとおりでありました」と。何も無理することもないし、頑張ることもない。この通りの人間でありますと開かれることによってたすかるわけです。科学的に分析して、細胞が何億ありますとか、なかの遺伝子がどうなっていますとか、そのようなことをいくら聞いても何もたすかりません。そのようなことは、どうでもよいと。今、自分の心が暗いのをどうしてくれるのだと。そのような問題は科学的真理と違うわけです。そこが一番の問題です。
■ 苦悩の場所を生きていく
 われわれはどこまでも暗い、どこまでも闇である。闇があっても、闇に苦しまないで、闇を引き受けて歩んでくださる法蔵菩薩が存在するということが、本願のはたらきとしてわれわれに聞こえてくると、阿弥陀の光が差してくる。ですから親鸞のような、自覚的に自分が罪業深重であることに苦しまれた方にとっては、この法蔵願心がありがたい。そして、阿弥陀の光が「南無阿弥陀仏」の名となって呼びかけてくださることが、自分のような愚か者にとっては本当に唯一の救いであると。ですから法然上人が行くところなら自分は一緒に行きますと。もし、地獄に行くなら地獄に行ってもよいですと。地獄にも阿弥陀の光は来るのだと。そこまで信頼するわけです。自分は楽なところに行きたいのではない。苦悩の場所であろうと何であろうと、光に遇える、そういう場所を生きていくのだと。これが、親鸞の決断です。
 これが、われわれにとっては大変勇気を与えられるのです。どうしても宗教というのは、苦しいから楽なところ、つらいから楽しいところ、暗いから明るいところに行ける。このようにイメージして、よいところに行けると考えてしまう。闇の人間に明るみが来ると教えるのですけれど、その明るみは本当は、闇が明るくなるというよりも、闇に苦しんでいた心が明るくなる。闇が単なる闇でなくなって、闇を生きることが自分の人生の意味になる。そういうことにおいて闇は単なる闇でない明るみの場所になるわけです。このような道が仏教の自覚だと思うのです。
 これはなかなかわからないことです。どうしても相対的に、暗いところから明るいところへ行けるのだと考えてしまう。それで教えを聞いたり、一生懸命求めたりするけれど、いつまでたっても闇が晴れない。それで、聞き方が悪いとか、努力がたりないとか、挙(あ)げ句の果てに教えが悪いなどと言って、たすからない。結局、それは、間違っている意識が転換され翻(ひるがえ)されるということが、なかなか自分のこととして受け入れられないのです。受け入れられないから、生きているうちはだめだ、死んでからだということを平気で言い出す学者がいるわけです。われわれの眼を翻しさえすればよい。どうやったら翻るのですか。自分では翻せない。人間の努力ではできません。本願が与えたいと言っているのです。その本願を「南無阿弥陀仏」を通して信じますという、その信じた心には、もう大涅槃はきているのです。ただこのこと一つを信じなさいと。そのような教え方が『無量寿経』なのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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