親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 公開講座 親鸞思想の解明
研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第88回から第90回が東京国際フォーラム(有楽町)で行われ、第88回では第十七願成就文について、第89回と第90回では第十八願成就文について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第86回から一部を紹介する。 (嘱託研究員 越部良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」

名が行となるということ

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 本願が行となる
 「諸仏称名の願」と呼ばれる第十七願に「十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ」(『真宗聖典』18頁、東本願寺出版、以下『聖典』)とあって、名を通して願いを与えたい、十方衆生を平等に救いたいという願いをもった名なのだと。こういう意味で、諸仏に名を咨嗟して、讃(ほ)めてほしいと。諸仏が讃めてくれなければ自分は覚(さと)りを開かないと。この願が成就して、「十方恒沙(ごうじゃ)の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神(いじん)功徳の不可思議なることを讃歎(さんだん)したまう」(『聖典』44頁)と、こういう言葉になってきています。
 親鸞にとっての真実行とは、諸仏が称名している、諸仏が讃めているということが行であるのです。行は念仏の行、「南無阿弥陀仏」が行であるわけですが、「南無阿弥陀仏」が行であるとは、十方恒沙の諸仏如来が讃めているというはたらきなのだと。名号の意味は、「諸仏称名の願」が行じている。名が行となっている。その場合の行は、本願が行となっている。これはわかりがたいですね。
 親鸞にとっての名は単なる名でなくて、選択本願が名をもって衆生に呼びかけようとしている、その名前自身が本願のはたらきなのだと。普通、名前は名詞、固有名詞であって、固有名詞は行ではないです。人間にとっての行とは、人間が努力して何かをする、人間が一つの行為をする、そういうことが行と言われる。ところが、諸仏如来が讃めていることが行だとは、名前が称えられるということは、十七願がそこに起こっているということだと。現実には、誰かが名を信じて発音するのかも知れないけれども、そのことは、法蔵菩薩の本願が、阿弥陀の願いに賛同して讃めるということが、ここに起こっているという事実なのだと。一つの名前があるということが、十方恒沙の諸仏如来が讃めるという事実の現れなのだと。
 これは「諸仏称名の願」ですから、凡夫称名ではないのです。だれが称えようと、どこで称えられようと、阿弥陀の名が称えられるということは、諸仏称名の願がそこに成就してきているという意味をもつということです。
■ 讃める人のところに阿弥陀が現れる
 諸仏称名の「諸仏」とは何だろうということはよくわからないのですけれど、仏法を求め、仏法に出遇(あ)い、仏法を語り伝えた方々の歴史が現代にまできている。そうした、自分が仏法を信じていける縁を残していってくださる方々は、私どもにとってはみな諸仏であると私は思うのです。阿弥陀如来自身が諸仏によって讃められたいと。諸仏によって讃められてこそ阿弥陀が阿弥陀に成る。阿弥陀を讃めるところに諸仏のはたらきが起こるわけです。仏法が起こるわけです。十方恒沙の諸仏如来がみな讃めているということを手がかりにして親鸞聖人は『教行信証』の「行巻」をお作りになるわけですけれども、そこで経典の言葉を置いた後、龍樹から始まって、歴史上、念仏を讃めてきた文章をずっと並べられるのです。これはつまり諸仏如来の伝承です。
 凡夫ですから、自分が諸仏だというふうには言えない。自分が諸仏だとは言えないけれども、仰ぐ側は念仏を伝えてくださる方を諸仏だと仰ぐことはできるわけです。信ずる人は凡夫なのだけれども、凡夫が信じてそのことを伝えてくると、それを聞いた人に念仏が伝われば、聞いた人間にとっては、伝えてくださっている方々は仏の仕事をしてくださっている、諸仏如来だというように仰ぐことはできる。信じたことを、このように信じたと伝えてくださって、それがまた人に伝わるという力をもったときには、伝えられた側は、伝えてくださった言葉や、そうした人たちを諸仏と仰ぐわけです。これが仏法の歴史、諸仏の歴史なのです。これは実体的に考えるのではないのです。象徴的に考える。そうすると、この十七願の意味が少しくわかってくるのではないかと思うのです。
 そして、「南無阿弥陀仏」と称える人々のはたらきが阿弥陀を生み出すわけです。阿弥陀がどこにいるかといったら、讃める人のところに阿弥陀が現れるわけです。讃めるところに阿弥陀が成就するわけです。不思議な話ですね。人間が念じないのにどこかに阿弥陀がいるという話ではないのです。阿弥陀は衆生を救いたいという願ですから、私のための本願でありました、「南無阿弥陀仏」と言うところに、阿弥陀が現れるわけです。これが第十七願成就ということではないかと思います。
(文責:親鸞仏教センター)
>>公開講座「親鸞思想の解明」のご案内
本講座は、公開(無料)で開催しています。
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス