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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2018年6月20日、刑法学者である平川宗信氏をお迎えし、「現代と親鸞の研究会」を開催した。氏は、近代西欧に由来する日本の法律学・法体系を、親鸞思想に立脚して、見直し、主体的に再構築することを課題とされている。
 親鸞聖人は本願に立脚して、祖師方の仏法の著作を、縦横無尽(じゅうおうむじん)に読み抜き、解体し、再構築するかたちで、いただき直しておられる。氏の「再構築する」というご姿勢には、相通じるものがあると感じた。ここにその一端を報告する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣)
親鸞思想に立脚した
      憲法的刑法学を求めて

      ―本願法学への歩みと現在―
名古屋大学名誉教授/中京大学名誉教授
平川 宗信 氏

■ 「仏教刑法学」の問題意識の始まり
 私は真宗関係の場で、憲法について話す機会が多いので、憲法学者だと思っている方もおられるようなのですが、本来の専門は刑法です。若いうちから自分の生きる根拠を仏教に求めて、40歳ころから自分は真宗念仏者であると名のっております。そこに立って、自分の仕事である刑法について考えるということを、ライフワークとしてきました。
 それではなぜ、仏教思想に基づいた刑法学というものを考えるようになったのか? それは大学時代、学部の法律学の講義に強烈な違和感をもったからです。そもそも、現在の日本の法律というものは、近代西欧からの「輸入品」です。法律学は「輸入学問」ですから、話されている中身は完全に西欧のことです。「これでは普通の日本人にわかるわけがない」と感じたわけです。法律が日本人一人ひとりのものになるためには、日本の伝統的精神の上に法律学を再構成しなければならないと学生のときに思いました。そして、日本にしか通用しないようなものではなく、日本人として世界に通用する、普遍性のあるものをつくっていかなければならないと。それで、仏教思想の上に法律学を再構築しようと思ったわけです。

■ 刑法研究者として「本願に生きる」
 それから紆余曲折(うよきょくせつ)あって、1986年に名古屋別院の公開講座で和田稠(わだしげし)先生に出遇(あ)いました。そのとき、「ああ、自分が先生とすべき人はこの人だ」と思いました。そこで教えていただいたことは、「仏法を聞くとは頭で理解することではなくて、人生の方向を決定することである。生き方を決定することである。すなわち本願に生きる」ということであったと思います。また、和田先生は、「本願・浄土とは我々を批判してくる原点である」と言っておられました。つまり「本願に生きる」とは、常に自分自身の生き方が、自分が関わっている社会の在り方が、本願・浄土から批判され続けながら生きていくということであると、そのように私としては先生の教えをいただきました。

■ 日本人の犯罪観と刑罰観
 日本人は犯罪というものを災禍(さいか)・災難として考えているところがあります。犯罪者に対する排除の意識、それが日本人の犯罪観・刑罰観の中に根強くあるように感じています。これは日本人の中にある神道的感覚ではないかと思います。古代日本人の罪・罰の意識にまで遡(さかのぼ)ると、犯罪は「穢(けが)れ」です。共同体に神の怒り、災いをもたらすものです。刑罰はその穢れに対する禊(みそぎ)、祓(はらい)であり、祭祀(さいし)という儀式によって神の怒りを鎮め、再び共同体に平安をもたらすものです。こういう感覚が、今も日本人に根深く残っているのではないかと思っております。
 日本人にとって犯罪は、穢れとして排除すべきものであり、穢れに関わった被害者も穢れです。加害者だけでなく、被害者も差別的な目で見られることがあります。その根底には、被害者に対する穢れ観があるのではないかと思っています。また、犯罪者に対しては拒否的、排除的で、そのため社会復帰が非常に困難になるのだと思います。

■ 「仏教刑法学(本願刑法学)」の犯罪論と刑罰論
 それでは本願に立って刑法を考えるとどうなるのか? 本願とは仏の大慈悲心のあらわれです。真宗では人間の行為を「宿業(しゅくごう)」としてとらえますので、「犯罪は宿業である」ということです。宿業という道理は、いわゆる運命とか宿命(しゅくめい)という考え方とは違います。また親鸞聖人は「横超(おうちょう)」ということを言われます。念仏して本願に出遇うことによって、その宿業の身のままにそれを乗り超えて、本願に生きるという生き方を、新たに始めることができる。それが親鸞聖人の人間観であると思います。
 そして「業縁」ということを言います。我々も実は犯罪の縁となっている。我々がつくっている社会が犯罪を生み出している。そういう意味では犯罪というのは、特定の個人だけの問題ではなくて、我々の問題でもあります。犯罪は犯罪者の宿業であると同時に、我々の共業(ぐうごう)であり、宿業であると言えるのではないか。
 また刑罰については、念仏して本願に出遇い、宿業としての罪を自覚し、新しい道を歩み出す機会になることが期待されるということだと思います。そういう意味では、刑罰は犯罪者に対する本願からの批判であり、我々に対する批判でもあるのです。刑罰を科するとは、苦痛・害悪を内容にした批判となるので、それは本願に背(そむ)く行為でもあります。だから、刑罰は本来的にはないほうがいいわけです。しかしそれでは、一人ひとりのいのちと暮らしは保てない。それが人間の現状であり、刑罰を必要とするのも、我々人類の宿業であると言わざるを得ない。
 しかし、それもまた我々の宿業であると自覚すると、刑罰の苦痛を緩和(かんわ)しようとする歩みが始まっていくはずである。そういう視点から、死刑は廃止すべきだと思います。また、いわゆる「修復的司法」という、加害者と被害者、地域の人々の和解を目指していくような刑事司法を、積極的に推進していくべきであると私は思っています。

(文責:親鸞仏教センター)

平川 宗信(ひらかわ むねのぶ)氏
名古屋大学名誉教授/中京大学名誉教授
 1944年生まれ。1968年東京大学法学部卒業、1968年同助手、1971年名古屋大学法学部助教授、1981年同教授、2004年中京大学法学部教授、2015年同定年退職。現在、名古屋大学名誉教授・中京大学名誉教授。「真宗大谷派・九条の会」共同代表世話人、(NPO法人)愛知部落解放・人権研究所副理事長。
 著書に、『刑法各論』(有斐閣)、『刑事法の基礎』(有斐閣)、『報道被害とメディア改革』(解放出版社)、『憲法的刑事法学の展開―仏教思想を基盤として』(有斐閣)、『憲法と真宗』(真宗大谷派京都教区・願生の会)、『真宗と社会問題〔増補改訂版〕 念仏者は憲法問題にどう対応するのか』(真宗大谷派・円光寺)、『日本国憲法と真宗〜宗教と政治』(真宗大谷派・全国教区会正副議長会)、『いのちの願い―憲法問題に学ぶ』(真宗大谷派・乗満寺)など。論説・講演録に、「裁判員制度と念仏者」(『anjali』19号)、「死刑制度と念仏者」(『身同』30号)、「日本における権力と宗教―砂川政教分離訴訟を素材にして」(『身同』31・32号)、「私たちの求める国家とは何か―本願に立って憲法を選ぶ」(『真宗』2014年6月号)など多数。
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