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研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 2017年9 月8 日、ノートルダム清心女子大学教授である山根道公氏をお迎えし、「遠藤周作と井上洋治の思索」というテーマのもと「現代と親鸞の研究会」を開催した。氏は遠藤文学研究の第一人者であり、また遠藤と共にキリスト教の福音を日本人の心に届けようとした神父・井上洋治と出会い、2 人の志を受け継がれた方 である。
 今回は、遠藤と井上の生涯を追いながら、2 人が共に課題とした事柄について、浄土教との関連なども交えながら丁寧にお話いただいた。ここにその一端を報告する。 (親鸞仏教センター研究員 青柳 英司)
遠藤周作と井上洋治の思索
―現代日本人に南無の心に生きる喜びと
                    平安を届けるために―

ノートルダム清心女子大学教授
山根 道公氏

■ 遠藤周作の生涯と課題
 遠藤周作は大正時代の終わり、1923年の生まれです。伯母の影響で母親が熱心なカトリックとなり、遠藤も母の促しで中学2 年のときに洗礼を受けました。一時期は司祭を目指したこともあったようです。
 遠藤にとってカトリックの信仰は、母親が自分に着せてくれた服のようなものでした。ですが思春期に入ると、カトリックの思想に距離を感じるようになります。まるで、ダブダブの洋服を着ているような違和感があったと、遠藤は後に語っています。そこで遠藤は戦後すぐ、キリスト教との距離を埋めるためにフランスへ留学しました。その船中では偶然、生涯の同志となる井上洋治と出会いました。
 しかしフランスでは逆に、キリスト教との距離が広がってしまいます。遠藤は、西欧文化に身を置けば、そこに馴染(なじ)んで洋服を着こなせるだろうと思っていました。ですが逆に募っていったのは、西欧キリスト教の文化的背景と自分が背負っているものとはまったく違うという実感だったのです。
 遠藤は1953年に、肺結核のため帰国します。このときから遠藤は、キリスト教を自分の血の中にあるものでとらえ直して実感のもてるものにするという課題を背負って、小説を書き始めました。母親が着せてくれた信仰という洋服は、自分の身の丈に合わせて和服に仕立て直す必要があったのです。その努力をしてもうまくいかないのであれば、脱ぎ捨てるしかない。けれど、何の努力もせずに捨てるということは、母への愛着から遠藤にはできなかったのです。
 しかし、1960年には肺結核が再発します。当時の結核はまだ、死に至る病でした。遠藤の妻の順子夫人が、夫は二つの贈り物を神様からもらったと言っておられました。一つは文才で、もう一つは病気と。死と向きあう病気が遠藤文学を深めたことは、事実です。
 なぜ人間に苦しみが与えられ、その現実に対して神は沈黙しているのか。神はどこにいるのか。これは、遠藤にとって切実な問いでした。いくら祈っても、神は現実を変えません。ですが遠藤は、苦しんでいる人間に寄り添う神を見いだします。人間は独りで苦しんでいるのではありませんでした。その苦しみを共に分かちあっているキリストの眼差(まなざ)しに、遠藤は病床体験のなかで出会ったのです。
 遠藤の3 回目の手術は、極めて危ないものだったそうです。成功するかどうか、五分五分というものでした。寝たきりのままか、危険な手術を受けるか。でも遠藤は、寝たきりのままで小説が書けないのは嫌でした。人の苦しみに寄り添う同伴者としてのイエスを、小説に書きたかったのです。自分から申し出た3 度目の手術で遠藤の心臓は、数秒の間止まってしまったそうです。けれど遠藤は、死の淵(ふち)から生還しました。やっと実感できたイエスの顔を、遠藤は小説に書きたかったのです。その意欲が、彼を生還させたのではないかと思います。
 こうして世に出されたのが、『沈黙』でした。

■ 井上洋治の生涯と思索
 井上洋治は1927年の生まれですので、遠藤の4 歳年下になります。若いころは虚無感に苦しみますが、修道院に入った姉に紹介された小さき花のテレジアの『自叙伝』を読み、そこに光を見いだします。そして、テレジアと同じカルメル会の修道士となるため、フランスへと渡りました。その船中で遠藤周作に出会ったことは、先に述べた通りです。
 しかし、フランスの神学校で、トマス神学に基づく教科書を丸暗記させる教育は、井上にとっては精神的な拷問であったようです。
 転機が訪れたのは1955年に東方キリスト教の講義を聴いたときでした。そこで、グレゴリオ・パラマスの汎在神論に出会ったのです。汎在神論とは、すべてのものは神の中にあるという思想で、イエスの教えやパウロの言葉の中に見いだせるものです。これによって井上は、精神的な解放を得ました。東方には西欧と異なるキリスト教のとらえ方があるように、日本にも日本的なキリスト教のとらえ方があってよいという思いに至ったのです。それから井上は日本に戻り、日本人としてキリスト教を原点に立ち戻ってとらえ直そうとしました。キリスト教を日本人の心情で噛かみ砕いて自分のものにし、日本語で表現しようとしたのです。それを井上は遠藤と共に、自分の使命としたのです。
 しかし、キリスト教の仕立て直しの第一作といえる『沈黙』が世に出たとき、日本のキリスト教界から轟々(ごうごう)たる批難が沸き起こりますが、井上は遠藤を擁護できませんでした。そこから井上は、遠藤のキリスト教のとらえ方が聖書に則ったものであることを伝えるために、あらためて聖書学を学び始めます。
 そのなかで重要だったのが、聖書学者エレミアスの「イエスが示した神はアッバと呼べる神」だという指摘でした。「アッバ」とは「お父ちゃん」くらいの言葉です。幼子が父親を呼ぶ言葉なのです。
 また、井上は法然の思想にも触れ、大きな衝撃を受けました。法然の姿が、イエスと重なったからです。宗教者として生きるうえで何を大切にすべきかを、自分は法然から教えられたと言っています。そして1999年、けやき並木を散歩中に風の音を聞いて、「南無アッバ」という言葉を感得しました。信仰に生きる喜びが、「南無アッバ」という表現になったのです。以後「南無アッバ」の祈りに生きるということが、井上の信仰の中心になりました。井上の最期の言葉も、この「アッバ」という親しい神への呼びかけでした。
 彼は日本文化の中でキリスト者として到り着いた一つの姿を、私たちに示してくれた宗教家でした。

(文責:親鸞仏教センター)

山根 道公(やまね みちひろ)氏
ノートルダム清心女子大学教授
 1960年岡山県倉敷市生まれ。日本近代文学者。早稲田大学第一文学部卒業。立教大学大学院修士課程修了。「遠藤周作 その人生と『沈黙』の真実」で梅光学院大学より博士号(文学)を授与。
 1986年より井上洋治神父主宰「風の家」機関誌『風』編集。1998年ノートルダム清心女子大学キリスト教文化研究所講師、2007年同准教授を経て、現在はノートルダム清心女子大学副学長・キリスト教文化研究所教授。
 著書に『遠藤周作その人生と『沈黙』の真実』(朝文社 2005年、日本キリスト教文学会奨励賞を受賞)、『遠藤周作『深い河』を読む マザー・テレサ、宮沢賢治と響きあう世界』(朝文社2010年)、共著に 『風のなかの想い キリスト教の文化内開花の試み』(井上洋治共著 日本基督教団出版局 1989年)、『イーハトーヴからのいのちの言葉 宮沢賢治の名言集』(山根知子共編著 角川書店 1996年)など多数。『遠藤周作文学全集』全15巻(新潮社)編集協力、解題担当。『井上洋治著作選集』全10巻(日本基督教団出版局)編者、解題担当。
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