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研究活動報告
聖典の試訳:『歎異抄』研究会
 最終章は「後序(ごじょ)」と呼ばれてきた。文章の構成は、まず師の法然と親鸞の信心がひとつであることを押さえ、さらに親鸞が語った「つねのおおせ(常の仰せ)」を記し、最後に『歎異抄』を執筆した理由が述べられる。師法然と親鸞の信心に変わるところがないということは、『歎異抄』全体が真実の教言であることを裏打ちしている。また、「つねのおおせ」は、親鸞直筆の他の文献には見ることができないものである。果たして、この教言は実際に親鸞が語ったものか、唯円(ゆいえん)の創作かはわからない。しかしそれは、どちらでもよい問題であろう。〈真宗〉が、よく表現されていれば、誰が語ろうが、それはよい。
 『歎異抄』には、聖教(しょうぎょう)の絶対化という陥穽(かんせい)をまぬがれる装置がある。それは「おおよそ聖教には、真実権仮(しんじつごんけ)ともにあいまじわりそうろうなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人(しょうにん)の御本意(ごほんい)にてそうらえ」である。たとえ、お釈迦さまが説かれたお経であっても、仮の部分とほんとうの部分があるのだから、仮の部分は差し置いて〈真〉を採用していけ、という。『歎異抄』には、誰が語ったかではなく、何を語ったかという〈真〉の文脈に着眼していけという鉄則がある。(親鸞仏教センター元嘱託研究員・武田定光)
『歎異抄』試訳 <後序> >> PDF版はこちら
原文
 右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。
現代語訳
 右にかかげた八カ条(第十一―十八条)の異義は、真実の信心に異なることから起こってきたものであろうか。
 故聖人(こしょうにん)の御ものがたりに、法然聖人(ほうねんしょうにん)(1)の御とき、御弟子(おんでし)そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞(しんらん)(2)、御同朋(どうぼう)の御なかにして、御相論(ごそうろん)のことそうらいけり。
 いまは亡き親鸞聖人は、かつてこのようなことを話されていた。法然上人がご在世のとき、弟子はたくさんおられたが、その一方で真実の信心に生きるひとは少なかったので、私(親鸞)は、同門の人たちの間で、信心についての論争をしたことがあった、と。
 そのゆえは、「善信(3)が信心も、聖人(しょうにん)の御信心(ごしんじん)もひとつなり」とおおせのそうらいければ、勢観房(せいかんぼう)(4)、念仏房(ねんぶつぼう)(5)なんどもうす御同朋達(どうぼうたち)、もってのほかにあらそいたまいて、「いかでか聖人の御信心に善信房(ぜんしんぼう)の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、「聖人の御智慧(おんちえ)才覚(さいかく)ひろくおわしますに、一(ひとつ)ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、
 というのは、親鸞聖人が「私(善信)の信心も、法然上人のご信心もひとつである」とおおせられたところ、勢観房や念仏房などという同門人たちが、意外なほどに語気を強めて反論し、「どうして法然上人のご信心と善信房の信心がひとつであろうか」と言われたので、「法然上人の知恵や学識が広くすぐれておられるのに、もしそれと私がひとつだというのであれば、それこそまったくの心得違いであろう。しかし往生の信心にあっては、まったく異なることはない。ただひとつである」とお答えになったけれども、
 なお、「いかでかその義あらん」という疑難(ぎなん)ありければ、詮(せん)ずるところ聖人の御まえにて、自他の是非をさだむべきにて、この子細をもうしあげければ、法然聖人のおおせには、「源空が信心も、如来(にょらい)よりたまわりたる信心なり。善信房(ぜんしんぼう)の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土(じょうど)へは、よもまいらせたまいそうらわじ」とおおせそうらいしかば、
 それでもなお、「どうしてそのようなことが言えるのだろうか」という疑いや非難があったので、結局、それでは法然上人の前で、自分と相手のどちらの主張が正しいかを決めることになり、詳しい事情を申し上げたところ、法然上人は「源空(法然)の信心も、如来からいただいた信心である。また善信房(親鸞)の信心も、如来からいただかれた信心である。だから、まったくひとつなのだ。もしこの信心と異なる信心の方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よもや往いくことはないだろう」とおおせになられたのである。
 当時の一向専修(いっこうせんじゅ)のひとびとのなかにも、親鸞(しんらん)の御信心にひとつならぬ御(おん)こともそうろうらんとおぼえそうろう。いずれもいずれもくりごとにてそうらえども、かきつけそうろうなり。
 だから昨今の、ひたすら念仏のみに生きるひとのなかでも、親鸞聖人の信心とひとつではないということもあるだろうと思われる。どれもみな同じことの繰り返しではあるけれども、書きつけたものである。
 露命(ろめい)わずかに枯草(こそう)の身(み)にかかりてそうろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審(ごふしん)をもうけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかせまいらせそうらえども、閉眼(へいがん)ののちは、さこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめと、なげき存(ぞん)じそうらいて、
 露のようにはかないいのちが、枯れ草のように老いさらばえたこの身に、わずかに残っているあいだに、ともに連れだって念仏の教えを歩まれた方々の疑問をもお聞きし、親鸞聖人の教えられた教えを、お話してお聞かせすることもあろうが、この私の目が閉じた後は、さぞかしさまざまな考えが入り乱れ、混乱することになるであろうと、歎(なげ)かわしく思われてならない。
 かくのごとくの義ども、おおせられあいそうろうひとびとにも、いいまよわされなんどせらるることのそうらわんときは、故聖人(こしょうにん)の御(おん)こころにあいかないて御もちいそうろう御聖教(おんしょうぎょう)どもを、よくよく御らんそうろうべし。おおよそ聖教(しょうぎょう)には、真実権仮(しんじつごんけ)ともにあいまじわりそうろうなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人(しょうにん)の御本意にてそうらえ。かまえてかまえて聖教(しょうぎょう)をみみだらせたまうまじくそうろう。(6)大切の証文(7)ども、少々ぬきいでまいらせそうろうて、目やすにして、この書にそえまいらせてそうろうなり。
 また、このような議論などを言い合っている人びとのなかにおいて、もしそのようなことで迷わされるときには、いまは亡き親鸞聖人がお心に適(かな)って用いられたお聖教(しょうぎょう)などを、よくよくご覧になるがよい。およそ聖教には、真実がそのまま説かれた部分(真実)と、真実に導き入れるために説かれた部分(権仮)とがまじり合っているのである。そのなかから権仮の部分を差し置いて、真実の部分を用いることこそが、親鸞聖人のご本意なのである。どうかくれぐれも、聖教を読み誤らないように注意していただきたい。そこで証拠となる大切な証文などを少々抜き出して、わかりやすいかたちで、この書に添えさせていただくことである。
 聖人のつねのおおせには、「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(しんらんいちにん)がためなりけり。されば、そくばくの業(ごう)をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐(ごしゅっかい)そうらいしことを、いままた案ずるに、善導(8)の、「自身はこれ現に罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)、曠劫(こうごう)よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(9)(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。
 親鸞聖人がつねづねおおせになっていたお言葉に「阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて、すべての存在を救おうという深い思いから建てられた誓願を、よくよくこの身に引き当ててみると、それはひとえにこの親鸞一人を救うためであったのだ。思えば、はかり知れない罪業をもったこの身であるのに、たすけようと思い立ってくださった本願の、なんともったいないことか」と、しみじみとご述懐されたことを、あらためて考えてみると、善導大師の「わが身は、現にこれ、罪深く迷いの多い凡夫であり、永遠の昔から、つねに苦悩の海に沈み、つねに生死の迷いに流転(るてん)して、ついにこの闇から抜け出る手がかりのない身である、と知れ」という、あの尊い不滅の言葉と少しも異なったところがない。
 されば、かたじけなく、わが御身(おんみ)にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来(にょらい)の御恩のたかきことをもしらずしてまよえるを、おもいしらせんがためにてそうらいけり。まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。
 このように受け止めてみると、もったいないことだが、親鸞聖人がご自身をとおして、私たち自身の罪悪の深いことを知らず、また如来のご恩の尊いことをも知らずに迷っていることを、思い知らせようとするためだったのである。まことに私たちは如来のご恩ということを少しも問題にすることもなく、だれもかれもお互いに、善いとか悪いとかということばかり言い合っている。
 聖人(しょうにん)のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知(ぞんじ)せざるなり。そのゆえは、如来(にょらい)の御(おん)こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来(にょらい)のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。
 親鸞聖人のおおせには「何が善であり、何が悪であるのか、私はまったく知らない。その理由は、如来が知っているほどに善を知っているのであれば、私は善を知っているともいえよう。また、如来が知っているほどに悪を知っているのであれば、私は悪を知っているということもできよう。しかし、あらゆる煩悩が具(そな)わっている私たち、そして、まるで燃えさかる家のように激しく移ろいやすいこの世界は、すべてが嘘(うそ)偽(いつわ)りや絵空事であって何ひとつ真実はない。ただ南無阿弥陀仏だけが真実なのである」と。
 まことに、われもひともそらごとをのみもうしあいそうろうなかに、ひとついたましきことのそうろうなり。そのゆえは、念仏もうすについて、信心のおもむきをも、たがいに問答し、ひとにもいいきかするとき、ひとのくちをふさぎ、相論をたたかいかたんがために、まったくおおせにてなきことをも、おおせとのみもうすこと、あさましく、なげき存(ぞん)じそうろうなり。このむねを、よくよくおもいとき、こころえらるべきことにそうろうなり。
 私もひとも、つくづく虚言ばかりを言い合っているなかで、ひとつ殊ことに痛ましいことがある。というのは、念仏するについて、信心のありようを互いに議論したり、ひとに説き聞かせるとき、ひとの口をふさいで論争に勝とうとするために、まったく親鸞聖人の語られなかったことを、これぞ聖人のお言葉であると主張する者がある。これは、なんとも浅ましく歎かわしいことである。このことをよくよく了解し、心得ていただかねばならない。
 これさらにわたくしのことばにあらずといえども、経釈のゆくじもしらず、法文(ほうもん)の浅深(せんじん)をこころえわけたることもそうらわねば、さだめておかしきことにてこそそうらわめども、古親鸞(こしんらん)のおおせごとそうらいしおもむき、百分が一(ひとつ)、かたはしばかりをも、おもいいでまいらせて、かきつけそうろうなり。
 以上、述べてきたことは、決して私の勝手な言説ではないが、経典や注釈書に書かれた筋道も知らず、教説の浅深をも心得ていない私なので、きっと理解のあやしいところがあるかもしれない。しかしながら、いまは亡き親鸞聖人の語られた教えのほんの一端を、思い出して書きつけたものである。
 かなしきかなや、さいわいに念仏しながら、直(じき)に報土にうまれずして、辺地(へんじ)(10)にやどをとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄(たんにしょう)』というべし。外見(げけん)あるべからず。
 まことに悲しいことではないか、幸いにも念仏しながら、直ちに真実の浄土へ生まれずに、方便の辺地にとどまることは。同じ念仏の教えに集う求道者のなかに、信心が異なることのないように、泣く泣く筆をとってこれを記した。名づけて『歎異抄』という。むやみにひとに見せるものではない。
 後鳥羽院御宇(ごとばいんぎょう)(11)、法然聖人(ほうねんしょうにん)他力本願(たりきほんがん)念仏宗(ねんぶつしゅう)を興行(こうぎょう)す。于時、興福寺僧侶敵奏之上、御弟子中狼藉子細あるよし、無実風聞によりて罪科に処せらるる人数事。
 後鳥羽上皇のご治世のころ、法然上人が他力本願念仏を宗(むね)とする教えを世にひろめられた。そのとき、興福寺(奈良)の僧侶たちが敵視して朝廷に上訴した。法然上人の弟子たちのなかに、無法な振る舞いをしたという、事実無根の噂により処罰された人びとの数は、次のとおりである。
 一 法然聖人並御弟子七人流罪、また御弟子四人死罪におこなわるるなり。聖人は土佐国番田という所へ流罪、罪名藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。
 一、法然上人とその弟子たち七人は流罪(るざい)。また四人の弟子たちは死罪に処せられた。法然上人は、土佐の国(高知県)の番田というところへ流罪。罪人としての名前は藤井元彦、男などとあり、年齢は七十六歳であった。
 親鸞(しんらん)は越後国、罪名藤井善信云々、生年三十五歳なり。
 親鸞は越後の国(新潟県)へ流罪。罪人としての名前は藤井善信、などとあり、年齢は三十五歳であった。
 浄円房備後国、澄西禅光房伯耆国、好覚房伊豆国、行空法本房佐渡国、幸西成覚房・善恵房二人、同遠流にさだまる。しかるに無動寺之善題大僧正、これを申しあずかると云々
 浄円房は備後の国(広島県)、澄西禅光房は伯耆の国(鳥取県)、好覚房は伊豆の国(静岡県)、行空法本房は佐渡の国(新潟県)。幸西成覚房と善恵房の二人は、同じく流罪に決定されたが、無動寺の前の大僧正(慈円)が申し出て、二人を預かることになったという。
 遠流之人々已上八人なりと云々
 流罪に処せられたひとは八人であり、
 被行死罪人々。
 死罪にされた人びとは、
 一番 西意善綽房
 一、西意善綽房
 二番 性願房
 二、性願房
 三番 住蓮房
 三、住蓮房
 四番 安楽房
 四、安楽房であった。
 二位法印尊長之沙汰也。
 これは二位の法印尊長の裁定で行われた。
 親鸞改僧儀賜俗名(しんらんそうぎをあらためてぞくみようをたまう)、仍非僧非俗(よってそうにあらずぞくにあらず)。然間以禿字為姓(しかるあいだとくのじをもってしょうとなし)被経奏問畢(そうもんをへられおわんぬ)。彼御申状(かのおんもうしじょう)、于今外記庁納云々(いまにげきのちようにおさまると)
 親鸞は僧の身分を捨てさせられ罪人としての名前を与えられた。これによって「僧に非ず俗に非ず」と宣言されたのである。このようなことで、「禿」の字を姓として朝廷に申し出て認められた。そのときの上申書は外記庁に納められている。
 流罪以後(るざいいご)愚禿親鸞令書給也(ぐとくしんらんとかかしめたまうなり)。
 流罪以後、愚禿親鸞と名のられたのである。
 右斯聖教者、為当流大事聖教也。
 この聖教は、当流(とうりゅう)ではとても大事な聖教である。
 於無宿善機、無左右不可許之者也。
 宗教的感性の未いまだ育っていないものには、むやみに勧めるべきではない。
   釈蓮如御判
   釈蓮如(花押) 
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
語注
(1) 【法然聖人】長承二(一一三三)年―建暦二(一二一二)年、八十歳没。親鸞の師である。法名は源空(げんくう)と言い、法然はその房号(ぼうごう)である。
(2) 【親鸞】原文の「親鸞」という一人称の表記は、法然の門下において、すでに「親鸞」と名告(なの)っていたことの傍証と受け取ることもできる。
(3) 【善信】親鸞の房号。もともとは僧房の名であり、日常的には房号で呼び合う習慣があった。
(4) 【勢観房】寿永二(一一八三)年―暦仁元(一二三八)年、五十六歳没。名は源智(げんち)。法然の高弟。京都知恩寺・知恩院第二世。
(5) 【念仏房】保元二(一一五七)年―建長三(一二五一)年、九十五歳没。法然の高弟。号は念(ねん)阿弥陀仏。京都往生院の開基。
(6) 【かくのごとくの義ども〜聖教をみみだらせたまうまじくそうろう】までが、本来は「いづれもいづれもくりごとにて」の前に置かれていたのではないかという錯簡(さっかん)説もある。
(7) 【大切の証文】この証文が何を指すかは諸説ある。一、前半の十カ条(第一―十条)という説。二、「後序」のなかの二つの「おおせ」の文章という説。三、他に証文があったが散失したという説。
(8) 【善導】大業九(六一三)年―永隆二(六八一)年、六十九歳没。中国唐代の浄土教の祖師。
(9) 【「自身はこれ〜身としれ」】善導の著した『観無量寿経疏(しょ)』「散善義」に由来する言葉。浄土真宗においては、「機(き)の深信(じんしん)」と呼ばれ、特に大切に受け取られてきた。
(10) 【辺地】方便化土(けど)の別名。第十一条の語註(【辺地懈慢疑城胎宮】『通信』第十二号)、第十六条の語註(【辺地】『通信』第二十号)第十七条の語註(【辺地】『通信』第二十一号)を参照。
(11) 【後鳥羽院御宇】天皇としての在位期間に、上皇として院政を敷いていた期間を含めて「御宇」という。
(訳・語註:親鸞仏教センター)
『歎異抄』の現代語訳を終えて  親鸞仏教センター元嘱託研究員 武田定光

 五年半(二〇〇二年一月十五日から二〇〇七年六月一日)にわたって、『歎異抄』の現代語訳の作業をおこなってきた。この間には、研究員の顔ぶれも代わり、時代の変化もあった。月に二回から三回の定例研究会には、親鸞仏教センター職員全員が参加して作業に当たってきた。ここに、本紙第二十二号をもって掲載をすべて終えることになった。
 今後、この成果を何らかの形にまとめていかなければならない。その方向性をもって新たな胎動が始まっている。今回、共同作業で現代語訳をおこなうということの意味が、あらためて教えられた。ひとつには、意訳(翻訳)の深度をどのあたりに設定するかという問題である。宗教語を現代語に意訳することは、本質的に不可能である。その不可能さを知りつつ、現代語に意訳するにはどうしても、翻訳をおこなうことになる。単に古語を現代語に意訳しただけでは済まない問題が起こってくる。そうなると、宗教語を現代の思想用語から意味づけて翻訳する作業になる。それを押し進めていくと、「鹿を逐おう者は山を見ず」ということになる危険性がある。そんなときには再び山を出て、遠くから山を眺め直さなければならなかった。
 もうひとつは、翻訳作業は個人でおこなうもので、共同作業には限界があるのではないかという問題である。出版状況をみると、個人訳が共同訳を圧倒している。個人訳は、ひとえに個人の読み込みに偏かたよる傾向がある。それが魅力でもある。その点、共同訳は個人への偏りが修正されるが、思い切った訳語が付けにくいという問題も起こる。脇本平也先生からは、共同で意訳作業をおこなうことで、「共同としての個」というものが誕生するのだ、と教えていただいた。これは、釈尊の語った「無我」ということに通じる。つまり、各人の脳が共同することで、大きなひとつの脳となり、課題に取り組むわけだ。もともと自我という実体があるわけではない。果実としての現代語訳を眺ながめてみると、そこには、まさに「共同としての個」が表現されているように思える。
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