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研究活動報告
英訳『教行信証』研究会
 英訳『教行信証』研究会では、2002年7月から毎月2回の読解並びに中間総括の研究会を開催している。また、2003年2月には、「鈴木大拙師の英訳本に学ぶ」、同年11月には「『浄土論註』と二種回向」と題して元大谷大学教授の坂東性純氏を迎え、講義をいただいた。現在、「教巻」を一旦訳了し、引き続き「行巻」の読解を進めている。  今号では、「教巻」までの研究会の成果の一端を紹介し、第1回報告とする。
「問い」をひらく

―『教行信証』「教巻」の引文について―

親鸞仏教センター研究員 櫻井 智浩
坂東性純氏を迎えての研究会
■英訳『教行信証』を読むにあたって
  ―問題提起としての読み―

 英訳『教行信証』の講読を通じて、いかにそれに向き合うべきか、その方向性についても浮き彫りになってきた。
 いまでは、宗祖親鸞聖人の真筆である坂東本の影印版(えいいんばん)、坂東本を底本とした『定本 教行信証』が出版され、宗祖の了解を厳密にうかがおうとするならば、宗祖自身の左訓(さくん)等を重視して『教行信証』を読むのが通例となっている。
 しかし、鈴木大拙師は英訳にあたって、西本願寺蔵版木版本を底本にし、坂東本を対校に用いた(英訳『教行信証』「編集者序」)とされる。さらには、近代的な宗学が確立する以前から、諸先輩方によって訓読の作法についても仔細な吟味が重ねられてきており、それに対して大拙師も目を配っておられる。したがって、大拙師は『教行信証』を英訳される際、必ずしも坂東本の訓にしたがった読みを英訳したとは限らないのである。
 しかし、英訳から現代語訳することで、大拙師がいかに原典を読み取っているかをうかがい知ることができる。それを再び宗祖の左訓等にしたがった読みと照らし合わせてみると、そこに大拙師の独創的な了解が浮かび上がってくる。それは、確かに宗祖の了解そのものということはできないかもしれないが、そこに留意するならば、大拙師の了解は、われわれが『教行信証』を学ぶにあたって、貴重な問題提起となってくるのである。
 大拙師の了解を潜ることで、われわれもそこから再び問い返されてくるように思われる。その端的な例を次に紹介する。
■「教巻」の引文
 周知のように、「教巻」では宗祖の御自釈(ごじしゃく)の文(もん)に次いで、浄土教としての出世本懐(しゅっせほんがい)(仏がこの世に現れた理由)を説く『大無量寿経』(以下、『大経』)、さらにその異訳である『無量寿如来会』、『平等覚経』が引文されている(当該箇所は、東本願寺発行『真宗聖典』152−154頁、鈴木大拙師英訳書9−11頁)。それらは、いままさに法蔵菩薩の物語が語られ始めようとする、その同じ場面を対象としている。そこでは、これまでにない容貌の輝きを示される釈尊に阿難(あなん)が問いを発し、それに対して釈尊がその意義を明かし、ほめたたえる。そして、仏がこの世に出現することの得難さを、開花することが稀なウドゥンバラ華(霊瑞華(れいずいけ)、優曇華(うどんげ)、優曇鉢樹(ばつじゅ))の喩(たと)えを用いて語られる様(さま)が描かれるが、その描写は各々異なっている。これら三つの経典の内容が相俟(あいま)って、浄土教としての出世本懐の事実が語られているのだが、ではこれら各々を宗祖がいかなる観点から引文されているのか、それについて御自釈から直接的にその意図をうかがうことは困難である。
 しかし、大拙師はこれら各々に異なった役割を読み取り、それを踏まえて訳出されていると考えられるのである。
■各引文の位相
 正依の『大経』では、この場面がもっとも詳細に説かれているが、ここでは文字どおり、釈尊と阿難との対話を通じて、釈尊の出世本懐のみを明らかにするものとして語られている。
 『無量寿如来会』では、阿難の問いが自分自身によるものかどうかを問う釈尊に、阿難が答える場面から引文されている。一見、『大経』と同じ場面が語られているようであるが、『無量寿如来会』では、「一切如来・応(おう)・正等覚(しょうとうがく)」のこの世への稀な出現が、阿難の問いの理由とされている。つまり、『大経』では釈尊を指すものと解されていた「如来」に対し、ここでは「諸仏」に意味領域が広がっている。この点を踏まえて、大拙師も All the Tathagatas「あらゆる如来方」と意訳されている。
 『平等覚経』では、仏の出現が稀なことを説いたうえで、問いの内容を普く明らかに聞くように勧められている。ここで注意されるのは、「も(若)しわすれずは、仏辺にありて仏に侍(つか)えたてまつるなり。もし今問えるところ、普(あまね)く聴き、諦らかに聴け」という箇所である。
 it is not an inconsequential matter that you are near the Buddha and attending on him. Listen well and attentively concerning what you have now asked him.
 「君が仏に近づき、付き従うことは、理にかなっている。君が彼に尋ねたことを、よく、注意深く聞け」と、これを訳されている。そこでは、歴史的実在者としての釈尊に語らせるかたちで、あたかも教法を内実とする普遍的存在として、「仏」が三人称で語られている。この英訳から、宗祖が「若し」と訓じているところを、大拙師は「なんじ」と読んでいることがわかるが、これによって阿難の問いを通じて、われわれの問いがひらかれる地平が表現されているのである。
 以上の『大経』『無量寿如来会』『平等覚経』の引文について、『大経』は釈尊の出世本懐、『無量寿如来会』は諸仏の出世本懐、『平等覚経』は釈尊に語らせながら、仏のはたらきとして仏の出世本懐の意義がわれわれの問いとしてひらかれたことが説かれているというように、大拙師はそれぞれ異なる役割を踏まえて訳出されている。
■出世本懐の意義
 ―われわれにひらかれた問い―

 出世本懐とは、単に仏がこの世に現れた事実というだけの意味ではないことが、以上から明らかであろう。そこには、歴史的実在としての釈尊と諸仏、そして問答を通じての仏と衆生との呼応する関係が暗示されている。
 この点について、坂東性純氏は「仏がこの世に現れたということは、それを受け取る人の心境と無関係ではない。受け取る人に回心がないと、仏があるかどうかということは論外であり、『仏まします』とは、受け取る人の心境を離れて言えない。釈尊の出世も、一人ひとりの回心と同時に出世ということがはじめて問題になるのであり、そこでは教と仏の存在が同時に問われる(取意)」と指摘された。
 ここでは、あらためて「仏とは何か」ということが問われているのである。大拙師の英訳は、この点を鋭くついている。

※坂東性純氏の講義は、『現代と親鸞』第7号(2004年12月1日号)に掲載しています。
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