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研究活動報告
英訳『教行信証』研究会
 英訳『教行信証』研究会は、月2回の輪読会を行い、前回報告(本紙第13号)以来、「行巻」の読解を進めている。
 今号では、「行巻」の経文結釈まで(『真宗聖典』〈以下、『聖典』と略記〉156〜161頁・鈴木大拙師英訳『教行信証』〈以下、『英訳』と略記〉15〜20頁)の読解のなかから、研究会の成果の一端を第3回の報告とする。また、2005年2月3日開催の、「大悲の解釈学――鈴木大拙訳『教行信証』私見――」と題する大谷大学教授・安冨信哉先生の講義については、研究誌『現代と親鸞』第10号(2006年6月1日号)において掲載する予定である。
はたらきかける仏応える衆生

大谷大学非常勤講師 櫻井 智浩
■英訳『教行信証』読解をふりかえって
 これまでの英訳『教行信証』読解を通じて、仏の出世本懐の意味、本願、二種回向といった課題を、われわれ自身がもう一度捉え直す視座を、大拙師の訳文から学んできた。その後、2005年3月までに、「行巻」『悲華経(ひけきょう)』引文までの読解内容を総括し、龍樹『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の四品九文(『聖典』161〜167頁、『英訳』20〜27頁)の英訳の読解を進めた。ここは、名号が「大行」であることを明かす箇所である。その「大行」を The great living〈大いなる生〉(〈 〉は、英訳『教行信証』研究会による試訳。以下、同様)と訳すことに代表されるように、英訳では『教行信証』の言葉が動的に表現されていることが多い。また、これまでの研究会報告において指摘したように、釈尊、阿弥陀仏、諸仏、衆生の関係が、つながりをもって表現されている。そういった大拙師の英訳表現からは、言葉が生み出された背後にある生きたはたらきを、英語を通じて、まざまざと再現されるような印象を受ける。今回も、そのような一例を紹介したい。
■『悲華経』の引文
 大行釈の経引文の最後には、『悲華経』「大施品(だいせほん)」(『大正新脩大蔵経』所収本では「授記品」)の「願わくは、我(われ)、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成り已(おわ)らんに、無量無辺阿僧祇(あそうぎ)の余仏の世界の所しよ有うの衆生、我が名を聞かん者、もろもろの善本(ぜんぽん)を修して我が界に生まれんと欲(おも)わん。願わくはそれ捨命(しゃみょう)の後(のち)、必定(ひつじょう)して生(しょう)を得しめん。ただ、五逆と、聖人(しょうにん)を誹謗(ひほう)せんと、正法を廃壊(はいえ)せんとを除かん」(『聖典』161頁・『英訳』20頁)という文が引かれる。一見して、『大無量寿経』十八願文の内容との関連がうかがえる箇所である。
 大拙師は、次のように英訳している。
I pray:“When I finish attaining the「incomparably」perfect Supreme Enlightenment, let all beings inhabiting the other Buddha-lands, the number of which is altogether beyond calculation, hear my Name, and let them start disciplining themselves in everything that will bear good fruit. If they desire to be born in my Country, let them be assured after death of being born therein, excepting only those who have committed the five grave offenses, the slanderers of the wise, and the destroyers of the Right Dharma.”
〈私は次のように祈る。わたしが「比類無き」最上で完全な悟りを獲得し終わったとき、他の仏国土――その数は全く計算を超えている――に住むあらゆる者たちに我が「名」を聞かせ、良い結果を生じるもの全てを修行するきっかけにしよう。もしも彼らがわが国に生まれたいと願うなら、その死後にそこに生まれることを確信させたい。ただし、五つの重大な違反を犯してしまった者たち、賢者を中傷する者たち、正しい教法の破壊者たちだけは除く〉。
 このように、原典と英訳では文の構造が異なっている。「我が名を聞」き、「もろもろの善本を修」すといった衆生の行いが、英訳では使役形で(let all beings...... hear my Name/let them start disciplining......)で表されている。衆生がこれらの行いの担い手であることは変わらないが、それが阿耨多羅三藐三菩提によってもたらされるという関係にあることが強調されていると言えよう。
 さらに、ここで文を一旦区切り、衆生が「我が界に生まれんと欲わん」という内容を条件節(If they desire to be born in my Country)として、「それ捨命の後、必定して生を得しめん」(let them be assured after death of being born therein)と結びつけている。この箇所では、「我が界に生まれんと欲わん」という内容は、使役形で表されていないことが目を引く。
 いずれにせよ、以上の英訳からは、菩薩の誓願の内容として、仏となったときの衆生へのはたらきかけを、大拙師が腐心して英訳の表現に盛り込んでいることがうかがわれる。前回(本紙第13号)紹介した、願名の英訳では受動態が多用されていたが、今回の例では使役表現が用いられている。いずれも、動詞表現について、誰が誰にはたらきかけているのか、という点に配慮がなされている。例えば、称名といった、表面上は一つの行為であっても、そこには、衆生にはたらきかける仏とそれに応える衆生という重層的な構造がある。そこにわれわれは、仏と衆生の関係を生き生きとしたものとして感じ取ることができるのではなかろうか。
■大拙師の真宗理解の立場
 大拙師の英訳からは、このような、仏と衆生の呼応関係に留意された表現が、至るところに見受けられる。ただし、これまで他の箇所でも確認されたように、英訳の表現に、宗祖の読み方と異なる点があるのは否めない。これからの課題としては、読み方や表現上の相違などについて、大拙師が『教行信証』をいかに読み、英訳として表現されようとしたのか、底本なども参照して確認していくことも必要であろうが、大拙師が真宗を理解するにあたって、どのような立場に立っておられるかを確認しておくことも重要であろう。この点について、2005年2月3日の研究会にお招きした、大谷大学の安冨信哉先生は「宗祖が根本視されるのは本願であるが、大拙師が英訳にあたって『教行信証』を解釈したときに、大悲ということが非常に大きな意味をもったのではないか(取意)」と指摘された。
 禅仏教出身の大拙師が、特に、般若(はんにゃ)思想を重視されることは言うまでもないことであるが、今回紹介した『悲華経』引文の英訳は、般若に基づきながら、如来の大悲のはたらきを、より積極的、具体的に表現しようとしたものと見ることができる。たとえ宗祖の読みと異なるとしても、大拙師の表現が大乗仏教の精神に則ったものであることは間違いない。そういった大乗仏教の精神から、もう一度『教行信証』の思想を生きたかたちで捉え直す。そこに英訳『教行信証』の魅力があるように思う。
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