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研究活動報告
英訳『教行信証』研究会
 英訳『教行信証』研究会では、2018年11月20日にステファンP.グレイス氏をお迎えして講義をいただいた。当日は「『教行信証』「証巻」における法身の「意志」問題―鈴木大拙の解釈を中心に―」と題されて、鈴木大拙の『教行信証』についての思想が語られた。2015年まで、当センターの研究員であった氏との再会は、大拙の「法身」理解をめぐって、大切な議論の場となった。ここにその一端を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳)
『教行信証』「証巻」における法身の「意志」問題
 ―鈴木大拙の解釈を中心に―


早稲田大学大学院非常勤講師/大正大学非常勤講師
ステファン P. グレイス氏

■ 「シカゴ万国宗教会議
 1893年にシカゴで「万国宗教会議」が開催されました。ここには鈴木大拙や、その師匠である釈宗演も参加しました。清沢満之の著作も紹介された大会でした。このイベントが大切なのです。このころは、ちょうど明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を仏教界は受けていました。仏教がもしかしたら無くなるのではないか、という心配もあったのです。日本仏教にとっては、非常に大変な時期だったのです。
 当時の西洋は東洋の宗教を悪く見ていました。その最大のポイントが「ニヒリズム」でした。覚(さと)ったら無であるというふうに、西洋の学者はインド仏教を見ていたのです。そのように、仏教は世界的な批判を受けていたのです。
 もちろん、仏教界もそれは感じていました。ですから、仏教をアピールしなければいけないと思うわけです。国内では廃仏毀釈があり、国内外から厳しい批判を受けていましたから、なおのこと仏教を美しく見せたいという思いは強かったのではないでしょうか。そこには政治的な意味合いもあったと私は思うのです。

■ 対西洋としての「法身」
 そこで目をつけたのが“trikāya”、つまり「法身」というアイディアでした。研究によりますと、この法身という概念が1893年、つまり「万国宗教会議」以前は、そこまで注目されたり、語られることはなかったそうです。つまり、仏教を説明する際に「法身」はあまり用いられなかったのです。
 実は「万国宗教会議」で一冊の本が出されました。“Outlines of the Mahāyāna as Taught by Buddha”という本でした。それは浄土宗の黒田真洞という方が書かれた本です。西洋の学者の中には、日本仏教が大乗仏教ですから、釈尊の教えとは遠く離れていると考えている人が多かったのです。宗教としては正当ではないと思われていたので、「ブッダが説かれた教えとしての大乗仏教」というタイトルにしたのかもしれません。
 この本を読んでみて気づくことがあります。それは、本の内容が大拙の“Outlines of Mahāyāna Buddhism”、つまり『大乗仏教概論』とそっくりなのです。「業」に対する考え方、また「法身」の考え方などが、とても似ています。ですから、大拙がこの本を読んでいないとは、私は考えられません。あるいは、大拙がもしかしたら、この本に関わっていたかもしれません。証拠はありませんが、可能性はあると思います。
 大拙の法身理解の背景には、やはり西洋の仏教に対する理解、つまりニヒリズムに異論をとなえたかったことがあるのだろうと思います。西洋人にわかりやすく日本仏教を説明するには、キリスト教にもあるような汎神論(はんしんろん)的な理論を用いる方法もあったかもしれませんが、彼は法身を用いました。そして大拙が『大乗仏教概論』を書いて以降、この本の理解が後の彼の仏教理解の基盤となるのです。その他の著作は、この『大乗仏教概論』に対する注釈書のようなものなのです。

■ 法身と意志
 具体的に大拙がどのように法身について見ていたか。それを考えるときに、やはり「法身には意志がある」というのが大切ですね。つまり、法身に意志があるのならば、キリスト教の神とどのように異なるのか、ということが大問題となります。

 The Dharmakāya... is capable of willing and reflecting, or to use Buddhist phraseology, it is Karunā (love) and Bodhi (intelligence), and not the mere state of being.

 これは大拙の“Outlines of Mahāyāna Buddhism”からの文章です。やはりこの英文で注意されるのはwillですね。ここにはwillingと書いてありますが、つまり意志です。頻繁(ひんぱん)に出てきますが、日本語の意志よりも少し意味が広いように思います。
 ここでは法身がnot the mere state of being、つまり「ただの生命体ではない」と書いてあります。やはり、法身が何かをするのです。人をコントロールするような感じになるのです。またはreflectingとありますが日本語で直訳すれば「反省」といった意味ですね。つまり法身が何かについて考えたりするのです。何があったのかについて、考えていけるのです。このような点においては、やはりキリスト教の神と非常に近い理解がされていると思います。

■ 法身とは何か
 大拙の法身の定義について確認してみましょう。1973年版の英訳『教行信証』には、たくさんの注釈が施(ほどこ)されています。その中に、法身についての注釈もあります。私はそこに晩年の大拙の法身理解があると思っていたのですが、そうではありませんでした。それは後に、編集者によって加えられたものだったのです。そして、その注釈のもととなったのが実は『大乗仏教概論』だったのです。
 それでは英文を確認してみましょう。

 The Dharmakāya is therefore a person whose bodily or organic or material expression is this universe, Dharma.

と書いてあります。ここではDharmakāyaという人間が万物として現れるということです。このようにpersonを用いてしまうと、ますますキリスト教の神と似ているような感じがしてきます。
 私は大拙が考えていた「意志」とは「力」や「方向性」というふうに解釈すればよいのではないかと考えています。法身が我々の心にはたらいて、智慧を探させる。そしてさらに慈悲を起こさせる。これらが法身の力です。大拙はそれを浄土真宗の往相回向と還相廻向なども念頭に置きながら考えていたのかも知れません。

(文責:親鸞仏教センター)

ステファン P. グレイス氏
早稲田大学大学院非常勤講師/大正大学非常勤講師
 ニュージーランド出身。カンタベリー大学日本語・日本文化学部(ニュージーランド)卒業、駒澤大学大学院人文科学研究科博士課程修了。学位は博士(文学)。
 研究領域は仏教、近代日本思想など。2012年から2015年までの3 年間にわたって親鸞仏教センター嘱託研究員として、英訳『教行信証』(鈴木大拙著)の現代日本語訳版の刊行などにご尽力をいただいてきた。
 現在は、早稲田大学大学院非常勤講師(担当科目は「Introduction to Japanese Thought and Religion」)、大正大学非常勤講師(担当科目は「英語で学ぶ仏教」)として活躍されている。
 論文に『鈴木大拙の研究 : 現代「日本」仏教の自己認識とその「西洋」に対する表現』(2014年)、「The Political Context of D.T. Suzuki’s Early Life( 鈴木大拙の少年時代の政治的な背景について)」(『THE EASTERN BUDDHIST 2016』Vol.47,No.2、東方仏教徒協会、2019年)などがある。
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