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研究活動報告
清沢満之研究会
第4 回「清沢満之研究交流会」報告

精神主義とその時代
 清沢満之とその弟子たちが唱えた精神主義は、近代的な仏教信仰の有効なモデルとして評価されてきた一方で、当時から現在に至るまでさまざまな批判にも晒(さら)されてきた。また近年では、雑誌『精神界』における清沢満之の真筆/成文問題なども起こり、清沢満之と精神主義との関係そのものが問われている。
 とはいえ、明治中期という時代において精神主義が一定の影響力をもち、当時の「煩悶(はんもん)青年」たちに熱狂的に受け入れられていたことも確かである。精神主義という思想運動ないし信仰運動を今日において考えるためには、それが同時代の文脈を有していた意義をあらためて考える必要がある。
 そこで、2018年3月27日、求道会館を会場として、「精神主義とその時代」と題した第4回清沢満之研究交流会を開催した。以下、それぞれの発表の要旨とそれに対するコメント、および質疑応答の一端を報告する。 (親鸞仏教センター研究員 長谷川 琢哉)
■ 研究発表
Ⅰ 哲学者・清沢満之と「精神主義」という経験

名和 達宣(真宗大谷派教学研究所研究員)
 没後100年以降、清沢の「哲学者」としての側面が再評価されているが、重点的に読まれてきたのは、『宗教哲学骸骨』をはじめとする初期の論考である。しかし、清沢が「哲学者」としての波紋を実際に広げたのは、むしろ、晩年の「精神主義」であったのではないかと考える。
 例えば、門弟の安藤州一は、清沢を「近代のソクラテス」と称しつつ、師から聞いた言葉を「対話篇(ダイアローグ)(語録)」として遺(のこ)すとともに、その核心を「倫理以上の安慰」という講話として『精神界』に発表した。
 近年、清沢名で発表された言説(特に講話)中に混在する門弟の編集を批判的に見る傾向が強まっているが、「師弟の対話」という視点を導入することで、再検討の可能性が開かれるのではないか。
 現代、これほどまでに清沢の名が轟(とどろ)いている背景に、師との対話を遺した門弟たちと、その言説を読み継ぎ、水中から「砂金」を見つけ出した――すなわち、時代を越えて「精神主義」という経験を潜った――無数の人々が存在するという事実を、看過してはならないであろう。
Ⅱ 高山樗牛・姉崎正治の〈憧憬〉と宗教意識
     ―清沢満之「精神主義」との比較を通じて―


長尾 宗典(城西国際大学国際人文学部准教授)
 清沢満之の同時代人であり、明治中・後期の代表的な仏教思想として、しばしば清沢および浩々洞(こうこうどう)同人たちの「精神主義」と比較されてきた、高山樗牛の「美的生活」や「日蓮主義」について、高山の友人である宗教学者の姉崎正治の議論も踏まえながら比較検討を試みた。
 高山らの思想形成においては、井上哲次郎やケーベルを介したドイツ哲学の受容が大きな意味をもっていた。現象即実在の立場において高山らと清沢との間には共通性も認められるが、ケーベルからカントやショーペンハウアー哲学に触れた高山らにおいては、理想と現実の一致を断念しながら、偉大な人格を讃美し〈憧憬(しょうけい)〉していく独自の思想が芽生えていった。高山は、やがて日蓮に接し、自力の立場を掲げて清沢らの他力の立場を批判していく。今回の研究交流会の議論を通じて、『精神界』同人による高山の評価についてはなお未解明の部分が残されており、今後さらなる検討が必要であることが明らかとなった。
Ⅲ 明治宗教哲学における「立脚地」探求の諸相
    ―清沢満之、綱島粱川、西田幾多郎


水野 友晴(日独文化研究所事務局長)
 清沢満之「精神主義」、綱島梁川「神と倶に楽しみ、神と倶に働く」、西田幾多郎「唯一の統一力」(『善の研究』)を題材に、「世に処す」際の「立脚地」として、これらがどのような方向性と態度を提示してくるかについて見る。
 これらの主張は、「絶対無限」(「如来大悲の妙巧」、「神」、「統一力」)を活動的・創造的と見る点で共通する。彼らにとって「絶対無限」は遠くにあるものではなく、日常的に接しており、呼吸のごとく入出を繰り返しているものであった。
 これらの主張は、いずれも単に隠遁(いんとん)的でも、また、単に功利的でもない。彼らにとって「世」や「物質」は、「絶対無限」の活動と無関係でなく、むしろそれが具体的かつ実際的な姿から立ち現れてきたものであった。
 そこでこれらの主張は、「絶対無限」への合一を眼中に置きつつ「世」や「物質」に対処することを説いた。それは、人間存在を有限と無限の中間に位置するものとして見るものであり、そこから人間として生きることの意義と可能性が与えられると見るものであった。
■ 全体討議

コメンテーター 福島 栄寿(大谷大学文学部教授)
 テーマに相応しく、長尾・水野両氏は、清沢満之の同時代の思想家・宗教者たち(高山樗牛・姉崎正治・綱島梁川・西田幾多郎)を取り上げ、清沢の思想・「精神主義」との比較検討を行った。かかる試みは、早くは、島地大等の「明治宗教史」(『解放』大正10年)に始まり、柏原祐泉による「仏教近代化」の文脈での概観が思い起こされる(『日本仏教史 近代』吉川弘文館、1990年)。両氏の精緻(せいち)な考察は、従来の試みを深めるものでさらなる展開が期待される。名和氏は、山本伸裕氏のテキスト批判(『「精神主義」は誰の思想か』法蔵館、2011年)を意識し、純粋な清沢思想を追求する山本氏の志向とは一線を画し、清沢と門弟たちとの対話に加え、清沢没後の波紋にも着目し、「精神主義」が歴史的に形成された「複/雑」な思想だと主張し、むしろ、その積極的意味を指摘した。全体討議では、名和氏の主張を巡り、山本氏をはじめフロアと熱い議論が交わされたが、今後も検討されるべき重要な論点である。清沢・「精神主義」を同時代に相対化する試みは、近代仏教思想史のみならず、近代日本思想史・宗教史研究の活性化にも繫(つな)がるだろうし、その際には、清沢を時代の人として見る視座を失わないことが重要である。
 

司会進行 長谷川 琢哉(親鸞仏教センター研究員)
 今回の交流会で問題となったのは、精神主義をめぐる批判か讃仰かという不毛な二者択一を乗り越えるための思想史的アプローチの方法と有効性であった。一方で、精神主義の理解において、思想史研究をより精密にしていく必要性が認められた。姉崎や高山といった、従来は精神主義と直接比較されることの少なかった思想家たちとの比較研究を通じて、精神主義を見るための新たな視点を得ることはできる。しかし、他方では、そうした研究の精緻化は、清沢思想の今日的な受け止めにしっかりと結びつかなければならない。討議を通じて、この二つの課題の両立の難しさがあらためて浮き彫りとなった。従来の研究史を批判的に受け止めながら、いかにして現代の私たちが清沢満之を読み、受け止めるのか。この複雑にして単純な課題が、研究交流会全体の基調低音となっていたように思う。

(文責:親鸞仏教センター)


※研究発表・全体討議の詳細は、『現代と親鸞』第41号(2019年12月1日発行予定)に掲載予定です。

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