親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 研究活動報告 > 聖典の試訳:『尊号真像銘文』研究会
研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 念仏は、「この現実」に何をもたらすのか。それによって私たちは何を得るのか。この問題を親鸞は、「念仏すれば」ではなく、「信じる人は」と読み替える。「何をなしたか」ではなく、「何がいただけたのか」。自己は、世界はいったいどのようなものとしてあるのか。己を規定する尺度によって、生活することそのものの意味はまったく異なる。ここで言う、本願力が護(まも)ってくれる、とは、根源的な何ものかが私たちの人生を貫き、駆り立てるということ。不都合や不幸が起こらない、苦悩に苛(さいな)まれない、というのではなく、個々の歩みがそうした善し悪しの〝彼岸〟から突き動かされる。行為の個別性を破って、私たちを超えたところから、私たち自身のことが問題となるのだ。
 ○○すると、私たちにはいったいどんな「善い」ことがあるのか、あるいはどんな「悪い」結果を生むのか。私たちの日常は、この問いと答えの複雑な絡み合いだ。この思考は私たちの身に染みついて、離れない。仏教はここに、人間の執着心、迷いそのものの根を見た。親鸞はここに、阿弥陀が必ず護ると誓う、自分たちの姿を見る。
『尊号真像銘文』試訳 27
「善導大師の銘文」(五)
親鸞仏教センター元研究員 内記 洸
>> PDF版はこちら

現代語
  「言護念増上縁者(ごんごねんぞうじょうえんしゃ)」とは、真実の信心が芽生えた人を、この世界のただなかで常に護ってくださる、という言葉です。「但有専念(たんうせんねん) 阿弥陀仏衆生(あみだぶつしゅじょう)」とは、念仏において、ただ阿弥陀の心をいただく人は、というのです。「ああでもない、こうでもない」と絶えず揺れ動くこの身に、ただひとつ、阿弥陀の願いを受け取って生きるのです。「彼仏心光(ひぶつしんこう) 常照是人(じょうしょうぜにん)」というのは、「彼」はかの、ということ、「仏心光」は「無碍光仏」という、「光」である如来の心です。「常照」ですから、その心は常に照らすのです。「常に」とは、不浄のときを嫌ったり、臨終まで先送りしたり、特別な場所や立場を選(よ)り分けたりせず、真実の信心に目覚めた人を常に照らし出してくださるというのです。「照らす」とは、かの仏の心がおさめ取ってくださるのだと。「仏心光」とはつまり、個々のありようを超えて、阿弥陀の心のうちにおさめ取ってくださることだとよくよく心得るべきなのです。「是人」とは、信心を得た人のこと。常に護ってくださる、とは、どれほど恐ろしい「魔」に襲われようとどれだけ深刻な「悪」にさらされようと、信心を得た者が無明の〝闇〟に飲み込まれてしまうことは決してないということ。それもこれも、阿弥陀が「摂護不捨(しょうごふしゃ)」してくださるからです。「摂護不捨」とは、阿弥陀の心のうちにおさめ取り、護って、絶対に見捨てることがない、というのです。

原 文
 た曰(い)わく、「言護念増上縁者(ごんごねんぞうじょうえんしゃ) 乃至 但有専念(たんうせんねん) 阿弥陀仏衆生(あみだぶつしゅじょう) 彼仏心光(ひぶつしんこう) 常照是人(じょうしょうぜにん) 摂護不捨(しょうごふしゃ) 総不論照摂(そうふろんしょうしょう) 余雑業行者(よぞうごうぎょうじゃ) 此亦是(しやくぜ) 現生護念増上縁」(観念法門)
 「言護念増上縁者」というは、まことの心をえたる人をこのよにてつねにまもりたまうともうすことばなり。「但有専念 阿弥陀仏衆生」というは、ひとすじにふたごころなく弥陀仏を念じたてまつるともうすなり。「彼仏心光 常照是人」というは、彼はかのという。仏心光は無碍光仏の御(おん)こころともうすなり。常照は、つねにてらすともうす。つねにというは、ときをきらわず、日をへだてず、ところをわかず、まことの信心ある人をばつねにてらしたまうとなり。てらすというは、かの仏心のおさめとりたまうとなり。仏心光は、すなわち阿弥陀仏の御こころにおさめたまうとしるべし。是人は、信心をえたる人なり。つねにまもりたまうともうすは、天魔波旬(てんまはじゅん)にやぶられず、悪鬼悪神にみだられず、摂護不捨したまうゆえなり。「摂護不捨」というは、おさめまもりてすてずとなり。 (『真宗聖典』522~523頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

まことの心をえたる人をこのよにてつねにまもりたまう
・問うて曰(い)わく、阿弥陀仏を称念し礼観(らいかん)して、現世(げんぜ)にいかなる功徳利益かあるや。答えて曰わく、もし阿弥陀仏を称すること一声(いつ しよう)するに、すなわちよく八十億劫の生死の重罪を除滅す。礼念已下(らいねんいげ)もまたかくのごとし。『十往生経』に云わく、「もし衆生ありて、阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、かの仏すなわち二十五菩薩を遣(つか)わして行者を擁護(おうご)して、もしは行、もしは座、もしは住、もしは臥(が)、もしは昼、もしは夜、一切時・一切処に、悪鬼悪神をしてその便(たより)を得しめざるなり。」また『観経』に云うがごとし、「もし阿弥陀仏を称礼念してかの国に往生せんと願えば、かの仏、すなわち無数の化(け)仏・無数の化観音・勢至菩薩を遣わして、行者を護念したまう。」また前(さき)の二十五菩薩等と、百重千重、行者を囲遶(いにょう)して、行住坐臥、一切時処、もしは昼、もしは夜を問わず、常に行者を離れたまわず。いますでにこの勝益まします、憑(たの)むべし。願わくはもろもろの行者、おのおの至心を須(もち)いて往くことを求めよ。 (175頁「行巻」『往生礼讃』)

・「護」の言は、阿弥陀仏果成(かじょう)の正意を顕すなり、また摂取不捨を形(あらわ)すの貌(かおばせ)なり、すなわちこれ現生護念なり。 (456頁『愚禿鈔』)


ひとすじにふたごころなく阿弥陀仏を念じたてまつる
・『経』に「聞(もん)」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。「歓喜」と言うは、身心の悦予(えつよ)の貌を形(あらわ)すなり。「乃至」と言うは、多少を摂するの言(ことば)なり。「一念」と言うは、信心二心なきがゆえに「一念」と曰う。これを「一心」と名づく。一心はすなわち清浄報土の真因なり。 (240頁「信巻」)

・「念」は如来の御ちかいをふたごころなく信ずるをいうなり。 (544頁『一念多念文意』)

・「専復専(せんぷせん)」というは、はじめの「専」は、一行を修すべしとなり。「復」は、またという、かさぬという。しかれば、また「専」というは、一心なれとなり。一行一心をもっぱらなれとなり。「専」は、一ということばなり。もっぱらというは、ふたごころなかれとなり。ともかくもうつるこころなきを「専」というなり。この一行一心なるひとを摂取してすてたまわざれば、阿弥陀となづけたてまつると、光明寺の和尚(かしょう)は、のたまえり。この一心は、横超の信心なり。 (555頁『唯信鈔文意』)


仏心光 / 無碍光仏の御こころ / つねにてらしたまう
・摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧、常に真実信心の天に覆(おお)えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇(くら)きことなきがごとし。 (204~205頁「正信偈」)

・「信珠在心(しんじゅざいしん)」というは、金剛の信心をめでたきたまにたとえたまう。信心のたまをこころにえたる人は、生死のやみにまどわざるゆえに、「心照迷境(しんしょうめいきょう)」というなり。信心のたまをもって愚痴のやみをはらいあきらかにてらすとなり。「疑雲永晴(ぎうんようじょう)」というは、疑雲は願力をうたがうこころをくもにたとえたるなり。永晴というは、うたがうこころのくもをながくはらしぬれば、安楽浄土へかならずうまるるなり。無碍光仏の摂取不捨の心光をもって信心をえたる人をつねにてらし、まもりたまうゆえに、「仏光円頂」といえり。仏光円頂というは、仏心をしてあきらかに信心の人のいただきをつねにてらしたまうとほめたまいたるなり。これは摂取したまうゆえなりとしるべし。 (526頁「源空銘文」)


天魔波旬にやぶられず、悪鬼悪神にみだられず
・『入法界品』に言(のたま)わく、「たとえば人ありて不可壊(ふかえ)の薬を得れば、一切の怨敵(おんてき)その便りを得ざるがごとし。菩薩摩訶薩(まかさつ)もまたかくのごとし。菩提心不可壊の法薬を得れば、一切の煩悩・諸魔・怨敵、壊(やぶ)ることあたわざるところなり。たとえば人ありて住水宝珠を得てその身に瓔珞(ようらく)とすれば、深き水中に入りて没溺(もつにゃく)せざるがごとし。菩提心の住水宝珠を得れば、生死海に入りて沈没(ちんもつ)せず。たとえば金剛は百千劫において水中に処して、爛壊(らんえ)しまた異変なきがごとし。菩提の心もまたかくのごとし。無量劫において生死の中・もろもろの煩悩業に処するに、断滅することあたわず、また損減なし」と。  (222頁「信巻」『往生要集』)

Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス