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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
■ 問題提起
 「末巻」の二番目は、親鸞の師・源空(法然)聖人の真影に記された銘文である。それは、親鸞の兄弟子・隆寛が、法然の徳を讃えた文である。その讃銘文の意を、親鸞が解き明かすという展開になっている。ここでは、親鸞が隆寛の文をどう受けとめたのかに重点を置く。

 はじめの一句、「普勧道俗」。ここに、「誰も皆が仏道を信じ志す存在である」という、法然および親鸞の「人間を見据える眼差し」があらわれていると感じる。それは、「十方衆生の救いを誓う」本願の眼差しを、我が身の上に受けとめることに基づいているのだろう。普遍的な立場から関係がはじまることの大切さを思う。

 翻って、私自身はどうであろうか。日ごろ、本願の眼差しはさておき、「あの人は、仏法を聞かないだろう。どうせ言ってもわからないだろう」と人を見限り、関係を分断している。口では、「浄土真宗は、皆、本願を信じ念仏を申さば仏に成る教えです」等と言いながら…言葉と心が食い違う。親鸞は、そういう自己矛盾する存在の闇に向かって光を当てる。「名号を深く信じる人は、皆、阿弥陀の化仏菩薩を拝見する。必ず出遇う」と言い切ってくる。真実の言葉には、こちらの迷いをひっくり返す力がある。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣)
聖典の試訳(現代語化)
『尊号真像銘文』末巻② 「源空聖人の銘文(隆寛による銘文)」前半

原文
 日本源空聖人の真影

 四明山権律師劉官讃「普勧道俗 念弥陀仏 能念皆見 化仏菩薩 明知称名 往生要術 宜哉源空 慕道化物 信珠在心 心照迷境 疑雲永晴 仏光円頂 建暦壬申三月一日」
 「普勧道俗 念弥陀仏」というは、普勧はあまねくすすむとなり。道俗は道にふたりあり、俗にふたりあり。道のふたりは、一には僧、二には比丘尼なり。俗にふたり、一には仏法を信じ行ずる男なり、二には仏法を信じ行ずる女なり。念弥陀仏ともうすは、尊号を称念するとなり。「能念皆見 化仏菩薩」ともうすは、能念はよく名号を念ずとなり。よく念ずともうすは、ふかく信ずるなり。皆見というは、化仏菩薩をみんとおもう人は、みなみたてまつるなり。化仏菩薩ともうすは、弥陀の化仏、観音勢至等の聖衆なり。「明知称名」ともうすは、あきらかにしりぬ、仏のみなをとなうれば、「往生」すということを「要術とす」という。往生の要には如来のみなをとなうるにすぎたることはなしとなり。

現代語化
日本源空聖人の真影

 四明山(比叡山)に所属する、権律師の劉官(隆寛)が、源空(法然)聖人を讃嘆している文である。「普勧道俗 念弥陀仏 能念皆見 化仏菩薩 明知称名 往生要術 宜哉源空 慕道化物 信珠在心 心照迷境 疑雲永晴 仏光円頂 建暦壬申三月一日」(普く道俗を勧めて弥陀仏を念ぜしむ、能く念ずれば皆化仏菩薩を見たてまつる。明らかに知りぬ、名を称するは往生の要術なり。宜きかな、源空、道を慕ひて、物を化しむ、信珠心に在り、心迷境を照らす、疑雲永く晴れて、仏光頂に円かなり。建暦壬申三月朔日)
 「普勧道俗 念弥陀仏」の「普勧」とは、源空聖人が、あまねく「道俗」に念仏を勧めるということである。「道俗」には、「道」と「俗」とそれぞれに、二通りがある。「道」とは、一には出家修行者の男性であり、二には出家修行者の女性である。「俗」とは、一には在家で仏法を信じ生活する男性であり、二には在家で仏法を信じ生活する女性である。つまり源空聖人は、出家もまた在家も、男性もそして女性も、誰も皆が、仏道を信じ志す存在であると見きわめて、念仏を勧めたということである。「念弥陀仏」というのは、源空聖人の勧めを受けた者が、阿弥陀仏の尊い名号を称え、念ずるというのである。

 ※銘文(漢文)に付した訓読文の出典は、『本尊色紙文』である。『真宗聖教全書』五所収のものによった。

《語 註》

源空:法然(一一三三~一二一二)のこと。源空とは法名で、法然はその房号である。親鸞の直接の師匠。『選択本願念仏集』を著し、南無阿弥陀仏という称名念仏の一行こそ、如来が選び取った、衆生が浄土に往生することが正しく定まる行為であると明らかにした。

劉官:隆寛(一一四八~一二二七)のこと。吉水の法然門下の一人で、親鸞の兄弟子。著作に『自力他力事』『一念多念分別事』等がある。親鸞はそれらを自ら書写し、関東の門弟方に送り、拝読するように勧めた。この銘文になぜ「劉官」と表記されているのか、その理由は不明である。

建暦壬申三月一日:建暦壬申は建暦二年(一二一二)。同年三月一日は法然の命終後、五七日(三十五日)に当たる。その法要の際に、隆寛が導師をつとめ、この法然を讃嘆する文を表白したとされる。

化仏:我々衆生の求めに応じて、仏が様々な姿かたちをとって、仮に現れ出たもの。

 
■現代語化をめぐって

 「普勧道俗 念弥陀仏」というのは、隆寛が讃える、法然の念仏を勧める姿勢であろう。親鸞は、その「道俗」について、「出家と在家、男女を問わず、全て仏道に関わる存在」であるという解釈を施している。ここをどう読み解くのかが現代語化のポイントである。

 「俗」という時、現代では、「仏道に直接関わりがあるもの」とは見ないのではないか。しかし親鸞は、ここで「俗」を「仏法を信じ行ずる男なり、女なり」と押さえている。それは特に、親鸞の心の眼に映った、「法然の人間を見る眼差し」に基づいているのではないか。

 法然のもとに集う人々の中には、在家で五戒等を守り生活する信者もいれば、そうではない、戒を犯さずには生きられない、武士や遊女、漁師のような存在もいたのだろう。「そういう誰しもが、仏道を信じ志す存在である」と、法然は見きわめているからこそ、普遍的に念仏を勧めることが、成り立つのだと思われる。

 親鸞は、「道」(出家修行者)だけではなく、そういう、一切のものに仏法の光を当てようとしたのではないか。それを「俗」という一語に託して、「信じる」というキーワードを付して、ここでは、「俗」を強調しているのではないか。

 また、親鸞は、「ふたり」という言葉を繰り返し用いている。「俗」についても、「一には男なり」「二には女なり」と反復して表現する。そのように一つ一つ当たっていくことは、尊重をあらわしているとも言える。仏法を信じ生活するものとして、「男」が、「女」が、誰かの付属物でもなければ従属物でもない。それぞれが、人生の主人公として生きていく道に目覚めるということである。親鸞は、ここでは特に、当時、現実に疎外を受けていた「女」に光を当て強調しようとしていたのではないだろうか。

 仏道を信じ志す存在として、一人ひとりを徹底して尊重する。そうすることで、差別的な社会構造を相対化する、絶対化しない。それは、親鸞にとって「化仏菩薩」となって現れてきた法然から受けた尊い教化であり、また、我々が受け取るべきメッセージであると言えるのではないか。

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