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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んできた。この「化身土巻・末巻」には法琳『弁正論』(べんしょうろん)が長く引用されている。第19回報告ではその引用を大きく四つの段落にわけたが、現在はそのなかの第二段落を考察している。今回は、前回に引き続き第二段落の二つ目の引用になる引用⑧の議論の後半を見ていく。
 『弁正論』引用の読解 Ⅸ ―仏に出遇ったが故の反逆―
 元親鸞仏教センター研究員  藤原 智

■ 引用⑦と引用⑧の連続性
 前回から『弁正論』引用⑧の考察に入っている。引用⑧は九箴篇(きゅうしんへん)第一箴であるが、この引用の特徴として、初めの道教側の主張が引用されていないことを見た。そして、その意図について、直前の引用⑦での十喩(ゆ)篇(下)第十喩の議論と接続させようとするものではないかと指摘した。
 引用⑦の議論は、中国では古来より、国・家を治めるのに忠・孝の教えが伝えられてきたのに対し、仏教は不仁・不孝の教えであり、それを世の規範とすれば悪を増長させることになる、という道教側の批判に始まる。その批判に仏教側は、仏教は一見不孝の教えのようだけれども、その実はあらゆる人々を平等に利益しようとするものなのだ、と応答していくのであった。
 では、それに続く引用⑧がどのような議論をするのかというと、古代から中国では二皇(伏羲〔ふくぎ〕・女媧〔じょか〕)、三聖(老子・孔子・顔回)といった人々が教えを説いてきたのであり、それが儒教・道教である。しかし実は、彼らはみな仏弟子であり、その説くところの教えは冥に仏理と一致するのだ、というものであった(この議論は現代的には荒唐無稽だが、法琳の当時は盛んに行われた)。
 このようにみると、引用⑦で道教側が中国古来の教えと主張した忠・孝の教えは、引用⑧に接続されることにより、実は仏弟子の説なのだと位置付け直されることになる。もしそうだとすると、なぜそれが初めから仏教という体裁をとらず、儒教・道教として説かれ、かつ理解されてきたのかという問題が出てくる。これに応えるのが、今回考察する引用⑧の後半部分である。以下、それを見ていこう。(一々指摘はしないが、引用文は親鸞の自筆本に従い適宜『真宗聖典』の記述を訂正した文を示す)

■ 漢字の異なりによる『教行信証』の文脈

なお、道を瘖聾(おんりょう)謗る。方(ほう)を麾(おしまど)いて遠迩(えんじ)を窮(きわ)むることなかれ。 律を菟馬に問う。済(わた)るを知りて浅深を測らず。 (改行筆者、『真宗聖典』393頁)

ここで二つの譬えが出される。双方、『大正蔵』と漢字の異なりがあるが、これは親鸞の見たテキストによるものである(本報告第18回参照)。この字の違いに親鸞が意識的であったかどうかは不明である。
 第一文を『大正蔵』に従って見れば「道を瘖聾に訪らう」(『大正蔵』52-530a)であり、「謗(そしる)」が「訪(たずねる)」になっている。「瘖聾」は耳が聞こえず話すことのできない人であり、「麾方」は方向を指さすことの意である。つまり、話すことができない人に道を尋ねて、方向を指さしてもらっても、それで遠い近いを知ることはできない、という意味である。
 対して、『教行信証』で「謗」になっている文について、藤場俊基は無理があるとしつつも「瘖聾が道を謗る」の意味に取っている(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』105頁、文栄堂、1991)。さらに「麾」に親鸞が「オシマトイテ」と仮名を付けており、藤場はこれを「怖じ惑う」の意とする(同前)。また最後に「莫」を「なし」ではなく「なかれ」と命令形に読んでいることも注目される 。合わせると、「教えを聞かない者は道を謗るものだ。そうして行くべき方向に惑ったまま、道の遠い近いを決めてはならない」という意味になるだろうか。
 第二文も『大正蔵』では「津を兎馬に問う」(『大正蔵』52-530a)であり、「問律」と「問津」との異なりがある。それは、津(=川の渡し場)の場所を兎や馬に問うても、彼らは渡ることは知っているがその川の浅い深いは知らないという意味である。しかし『教行信証』の「律」に注目する藤場は、これを「律令」や「戒律」の意味に取り、「形骸化した仏教および仏教界に対する批判的意味」(前掲書106頁)として積極的に受け止める。その場合、「戒律について問うても、彼らは、それが仏の済度の教えだとは知っているが、その浅い深いは考えたことがない」という意味に理解できるだろう。
 このように見てきたとき、親鸞は底本の漢字の異なりを通して、「道」とは何か、「戒律」とは何かを真剣に問うことのない在り方を批判している文章として読み込んでいるのだと言えよう。前段からの繫(つな)がりを見るならば、中国古代から説かれてきた儒教・道教が、実は仏弟子によって説かれたものであるにもかかわらず、その内実が充分に確かめられていないことにより、仏教批判へと展開してしまっているということである。

■ 仏教を受け入れる素地の有無

これに因って談ずるに、殷周(いんしゅう)の世は釈教(こう)の宜(よろ)しく行(こう)するべき所に非ざるなり。
なお、炎威、耀(ひかり)を赫(かが)やかす。童子、目を正しくして視(み)ることあたわず。
迅雷(しんらい)、奮(ふる)い撃つ。懦夫(たんぷ)、耳を張りて聴くことあたわず。
ここをもって、河池(かち)涌(わ)き浮ぶ。昭王、神を誕ずることを懼(おそ)る。
雲霓(うんけい)、色を変(はん)じ、穆后(ぼくこう)、聖を亡(うしな)わんことを欣(よろこ)ぶ。
〔『周書異記』に云、昭王廿四年四月八日、江河泉水悉(ことごと)く泛漲(はんちょう)せり。穆王五十二年二月十五日、暴風起(た)ちて樹木折れ、天陰(くも)り雲黒く白虹の怪あり〕
豈(あ)によく葱河(そうか)を越えて化(け)を禀(う)け、雪嶺(せつれい)を踰(こ)えて誠(まこと)を効(いた)さむや。
『浄名』に云く、これ盲者遇(もうあ)えり。日月の咎(とが)に非ず。 (改行筆者、〔〕内割注『真宗聖典』393頁)

これまでの『弁正論』引用の展開が何を意味するのかというと、「殷周の世」、つまり二皇・三聖が教えを説いた中国古代は、仏教が流布する時代ではなかったのだという結論になる。それは、子どもが「炎威」太陽の光を見ることができず、「懦夫」臆病者が雷の音を聞くことができないようなものだ、というのである。
 そして、その歴史的事実として、古代中国の皇帝が釈尊生没時の奇瑞を見た際の態度に尋ねていくことになる。これは割注に示される『周書異記』という書物(法琳と近い時代に作られた偽書とされる)にある二つの出来事に基づく。「昭穆間在世説」(本報告第21回参照)の根拠たる『周書異記』は、釈尊生誕の昭王24年4月8日に川や池の水があふれ出たとし、また穆王52年2月15日の釈尊入滅には暴風や黒雲、白い虹などが現れたという奇瑞があったとする。そして、その奇瑞を見た昭王は釈尊が生まれたとして恐れ、穆王は釈尊が入滅したとして喜んだという。そのような者が葱河(パミール高原)、雪嶺(ヒマラヤ山脈)を越えて、仏陀の教化を受けようとするだろうか、と述べられていくことになる。こうして古代中国の者が未だ仏教受容の素地を持たず、釈尊に反逆してしまっている有り様を描き出すのである。それは、「唯孝唯忠」の教えとはそのような者を仏教の本質に導くための、当面の教えだということでもある。
 その問題が、次に『浄名経』(『維摩経』)の引用で押さえられる。ところがこの文も問題がある。引用文の「盲者遇えり」は、『維摩経』原文は「盲者の過(とが)なり」(『大正蔵』14-538c) であり、『弁正論』もこの箇所は筆者の見た限りでは諸本全て「過」である。『教行信証』の「遇」の字は底本に由来すると推測されるが、親鸞が『維摩経』の言葉を知らなかったとは考え難く、すぐ誤記だと気付いた筈である。恐らく親鸞はそこに積極的な意味を認めて、あえて「盲者遇えり」と記したのであろう。それにより、昭王や穆王は確かに釈尊の奇瑞に出遇っているのだと明確にし、しかも見る眼をもたない者はその出遇いを拒否してしまうのだとするのである。そしてそれは「日月」(=仏陀)の咎ではない。

たまたま、その鑿竅(しゃくきょう)の弁を窮(きわ)めんと欲す。恐らくは吾が子混沌(こんとん)の性を傷む。爾(それ)、知る所に非ず。その盲(めしい)、一なり。 (『真宗聖典』393頁)
「鑿」はうがつ、「竅」は穴。これは、混沌に人間の顔に似せて七つの穴を開けたら、その混沌は死んでしまったという中国の故事に基づく。つまり、人間の浅智慧で物事の本質を―この場合は、忠・孝の教えの表面的理解で真理たる仏法を、ということであろう―傷つけてしまうことになる、というのである。そして、「爾、知る所に非ず。その盲、一なり」と、物事の本質をあなた達は知ってはいないのだとして、引用⑧は締めくくられるのである。この「盲」といった身体表現を否定的に用いることは、非常によくないものであるが、『高僧和讃』には「本願毀滅(きめつ)のともがらは 生盲闡提(しょうもうせんだい)となづけたり」(『真宗聖典』497頁)とある。
 このような引用⑧に込められた意味は、ここでの仏陀の存在を法然の存在と同一視し、法然の説く本願念仏の教えを批判してしまっている者に、法然の教えの問題ではなくそれを正しく聞くことのできない―人倫の道と仏道の区別を付けられない―自己の在り方を顧みてほしいということではないだろうか。

※『弁正論』引用の全体については『現代と親鸞』第31号(2015年12月1日号)に論文として掲載しています。(出版物紹介のページから見ることができます)

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