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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んできた。前回は慈雲遵式(じうんじゅんしき)の引用の意義について考察した。今回は、それに続く諦観(たいかん)『天台四教儀』の引用について報告する。
 鬼神の仏教的解釈―諦観『天台四教儀』の引用―
 元親鸞仏教センター研究員  藤原 智

■ 遵式以降の展開について
 前回見た慈雲遵式(964-1032)の引用から、続けて天台典籍が列挙される。このような展開について、これまで当時の天台宗比叡山を意識したものだとする諸氏の見解を紹介した。しかも単に天台宗というのではなく、例えば法住(1806-1874)が「神道即ち餓鬼道の所摂なる事を釈し給ふ御引用」(『続真宗大系』8-432)と述べたように、日本の神道と渾然(こんぜん)となった思想である。
 具体例を挙げれば、本報告で繰り返し言及してきたように(第11回第25回など)、貞応三年/元仁元年(1224)の延暦寺大衆による奏状がある。その第二条では「一向専修の党類、神明に向背するの不当の事」と題して次のような議論がなされる。

わが国は神国なり。神道を敬ふをもって、国の勤めとす。謹んで百神の本を討(たず)ぬれば、諸仏の迹にあらざることなし。いわゆる伊勢大神宮・正八幡宮・賀茂・松尾・日吉・春日等、皆これ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり。(中略)又『大集経』等の説を案ずるに、仏、一代聖教をもって、十方霊神に付属したまふ。すなわち仏勅を奉り、法宝を鎮護す。この故にもし経教を受持せば必ず衛護せむ。 (中略筆者、原漢文『大系真宗史料』文書記録編1-86~87、法藏館、2015年)

こうして伊勢や八幡などの日本の神が、釈迦や弥陀など仏の日本的現れであると押さえられ、かつ『大集経』など仏教経典を根拠に、そのような神々が仏法護持の働きをなすことを確かめていく。それにより、弥陀一仏以外を尊ぶことのない専修念仏の輩を、国土を乱す者として批判していくのである。
 こうした日本的神仏習合理解に基づく批判に対し、親鸞は天台典籍の引用により中国以来の仏教的鬼神理解をもって応答しようとしていると考えられよう。
 さて、これから『天台四教儀』以下の引用を見ていくが、そこではまず餓鬼道についての解釈が引かれる。前回 見たように、天台浄土教の大家たる遵式は念仏を勧めるとともに鬼神祭祀の法を誡めていた。では、なぜ鬼神を祭祀すべきでないのかについて、遵式は仏教的六道の世界観から、鬼とは悪道たる餓鬼道を指し、人間がそれに仕えることは道理に逆らうことであって、当然なすべきことではないと答えていた。親鸞は直接その文章を引いてはいないが、恐らくはそれが念頭にあり、次に鬼神と餓鬼道との関係についての仏教的解釈を引用するのである。

■ 神となる福徳ある餓鬼

高麗(こうらい)の観法師の云わく「餓鬼道、梵語には闍黎多(じゃれいた)、この道、また諸趣に徧ず。福徳ある者は山林塚廣神(せんりんちょこうじん)と作(な)る。福徳なき者は、不浄処に居(こ)し、飲食を得ず、常に鞭打(べんちょう)を受く。河を塡(ふさ)ぎ、海を塞(ふさ)ぎて、苦を受くること無量なり。諂誑(てんおう)の心意なり。下品(げぼん)の五逆十悪を作して、この道(どう)の身を感ず」と。已上 (文字は親鸞自筆本に従った。『真宗聖典』397頁)

まず「高麗の観法師の云わく」として、諦観(?-971)『天台四教儀』(『大正蔵』46-776a)を引く。引用箇所は、「蔵・通・別・円」の四教を説く中で、蔵教(小乗三蔵教)の説として四諦(苦・集・滅・道)が示される。その苦諦について、総じていえば六道だとして、その六道の一々を説明する中の第三番目に餓鬼道を説く箇所である。
 餓鬼道は梵語、すなわちインドでは闍黎多(preta)と言い、それはあらゆるところに行き渡っている。その上で、諦観はこの餓鬼を福徳の有無によって二種に分ける。まず、福徳がある者は、山林や塚廣(廟)において神とされる。そして、福徳のなき者は、不浄の処にいて、飲食を得ることができず、常に鞭で打たれ、河や海を塞ぎ、苦しみを受けること計り知れないという。
 ここで語られる二種のうち、普通「餓鬼」という言葉で想像するのは後者であろう。しかし、親鸞の注目はむしろ前者の神とされる福徳ある餓鬼ではなかろうか。この福徳ある餓鬼について、いくつかの指摘がなされている。
 まず道隠(1741-1813)『教行信証略讃』は「今の人、祀るところの廟神、多くはこれなり」(原漢文『仏教大系 教行信証』9-666)とし、法住『金剛録』は「俗に所謂神明なり」(『続真宗大系』8-432)と指摘する。つまり、この福徳ある餓鬼とは、現に日本で諸所に祀られている廟神を指すとする理解である。
 また『教行信証』の文脈から、興隆(1759-1842)『教行信証徴決』では「山林塚廣神」について「大集経のごとし、いわゆる曠野鬼神」(原漢文『仏教大系 教行信証』9-667)と指摘する。これはすでに引かれた『大集月蔵経』「諸天王護持品」において、梵天・帝釈・四天王などとともに、この娑婆世界を護持するものとして語られた以下の存在を指摘するものであろう。

その国土・城邑(じょうおう)村落・塔寺・園林(おんりん)・樹下・塚間(ちょけん)・山谷(せんこく)・曠野(こうや)・河泉・陂泊(ははく)、乃至、海中宝洲(かいちゅうほうす)・天祠(てんし)に随いて、かの卵生・胎生・湿生・化生(けしょう)において、もろもろの龍・夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)・餓鬼・毘舎遮(びしゃしゃ)・富単那(ふたんな)・迦咜(かた)富単那等、かの中に生じて、かの処に還住(げんじゅう)して、繫属(けぞく)するところなし。他の教えを受けず。このゆえは願わくは、仏、この閻浮提(えんぶだい)の一切国土において、かの諸鬼神、分布安置して、護持のためのゆえ、一切もろもろの衆生を護らんがためのゆえに、我等、この説において随喜せんと欲(おも)う、と。 (『真宗聖典』376頁)

『大集月蔵経』においてこの言葉は梵天の発言であるが、直ちに釈尊によって一応承認されている事柄である。ただし、親鸞が問題にしたのは上記の諸天・諸鬼神による護持というよりも、それが何を中心になされるのかであり、「諸天王護持品」の引用はこれを称名念仏だと位置付けようとするものであった(本報告第7回参照)
 ともかく、ここに言う一切国土に分布し護持する諸鬼神こそ、『四教儀』に言う福徳ある餓鬼に相当するであろう。それを現実の具体的存在に見るならば、日本の諸所に祀られる神ということになる。そして、それら神とされるものは福徳あるものだが、あくまで餓鬼道の存在だと押さえ、それに仕えて専修念仏を妨げることの非を述べようとしたのが『四教儀』の引用だと言えよう。

■ 日本中世における実類神と権化神
 けれども話はもう少し複雑である。というのも、日本の中世において神は「実類神」と「権化神」との二種に分けられていた。「実類神」とは言わば狐や蛇を祀ったような低級な神であり、対する「権化神」とはまさに釈迦や弥陀といった仏の示現としての神である。
 やはり専修念仏を批判した『興福寺奏状』(1205年)には「霊神に背く失」として次の批判がある。

念仏の輩は、ながく神明を別る。権化実類を論ぜず、宗廟大社を憚らず。「もし神明を恃めば必ず魔界に堕つ」と云々。実類の鬼神をば置きて論ぜず。権化の垂迹に至りては既にこれ大聖なり、 (原漢文『大系真宗史料』文書記録編1-38)

ここに言われるように、「実類の鬼神」を尊重しないことは批判対象ではなかった。そして、『四教儀』に言う福徳ある餓鬼とは、直接的にはこの実類の鬼神に該当するだろう。しかし、問題とされているのは「実類の鬼神」ではなく、「権化の垂迹」としての神なのである。先に見た延暦寺の奏状における伊勢・八幡などは、当然この「権化の垂迹」に当たる。もし先の『大集経』の文脈に還元すれば、諸鬼神と区別される梵天・帝釈・四天王といった存在である。これは六道で言えば「天」の存在であって、「餓鬼」ではない。さらには、仏の示現と理解されるのであれば、いわゆる「天」をも超越しているかもしれない。そうであれば『四教儀』の引用では、批判への応答としては実質的な意味をもちえないのではないか。
 『四教儀』の引用について言及したものではないが、平雅行の次の指摘は重要であろう(本報告第2回参照)。

『教行信証』「化身土巻」に即してもう少し付言しますと、「余の諸天神に帰依せざれ」というのは、実類神への批判としては有効です。しかし、中世での神仏習合の進展によって、ほとんどの神が仏の化身に転化しています。仏教化された神が大勢となった中世において、親鸞のこの発言がどこまで批判として有効であったかは、よく考えてみなければならない問題だと思います。 (「顕密体制と専修念仏」『現代と親鸞』29-140、親鸞仏教センター、2014年)

「親鸞の発言は権化神への批判として有効なのか」というこの平の指摘は、『四教儀』引用にも当てはまる。では、親鸞はこの問題を意識していたのだろうか。もし意識していたのだとしたら、どのような形で応答することができると考えていたのだろうか。この点については、『四教儀』以降の引用を見ながら、次回以降に考えたい。

■ 諂誑の心たる鬼神
 本文に戻ろう。『四教儀』は餓鬼道について、福徳の有無によって分類した後、次のように言葉が続く。

   諂誑の心意なり。下品の五逆十悪を作して、この道の身を感ず

なお親鸞は「諂」に「ヘツラフ」、「誑」に「クルウ」、「感」に「ウク」という仮名を付けている。また、始めは「諂誑の心意にして」と送り仮名を付けていたのを、「諂誑の心意なり」に変更している(大谷大学編『顕浄土真実教行証文類 翻刻篇』662頁、真宗大谷派、2012年)。
 言葉の意味としては、餓鬼道の存在は諂誑の心であるということ、そして五逆十悪をなすことによって、その餓鬼の身を受けることになるというものであろう。しかし本来的には、諂誑の心をもって五逆十悪をなすことによりその身を受けるという文章であったと考えられる。つまり親鸞は「諂誑の心意」の主体を、五逆十悪をなす者から餓鬼それ自体へと変えたのである。そこには、すでに引かれた以下の『大乗起信論』の言葉が念頭にあると考えられる(本報告第17回参照)。

『起信論』に曰(い)わく、あるいは衆生ありて、善根力なければ、すなわち諸魔・外道・鬼神のために誑惑(おうわく)せらる。 (『真宗聖典』387頁)

こうして『起信論』は衆生を誑惑する存在として諸魔・外道・鬼神を語るが、そのこととこの『四教儀』が餓鬼道を語る言葉が重ねられているのであろう。神として祀られている鬼神は、実のところ衆生を誑惑する存在なのだと。
 そして、そのような餓鬼道の身を受けるものとして下品の五逆十悪をなす者が語られる。原文では、上品の五逆十悪をなす者が地獄道の身を、中品の五逆十悪をなす者が畜生道の身をそれぞれ感ずるとされており、ここの「下品」とはそれに対応する。けれども『教行信証』の文脈では、そのような相対的意味を見出すよりも、むしろ想起すべきは直前に引かれていた以下の善導『法事讃』の言葉である。

裟婆(しゃば)の十悪・五逆、多く疑謗(ぎほう)し、邪を信じ、鬼(き)に事(つか)え、神魔を餧(あ)かしめて、妄(みだ)りに想いて、恩を求めて福あらんと謂(おも)えば、災障禍(さいしょうか)横さまに転(うたた)いよいよ多し、 (『真宗聖典』396頁)

ここで五逆十悪の者とは、念仏を疑謗し、邪を信じ鬼に仕える者である。その者がまた鬼神の身を受け、衆生を誑惑していく。そして、この悪循環が何をもたらすのか。「五逆」に関して「信巻」の末尾に記された次の言葉がそれを示唆していよう(言葉自体は永観『往生拾因』〔『大正蔵』84-94b〕からの孫引きである)。

   倒見して和合僧衆を破する、これ虚誑(こおう)語なり。略出(『真宗聖典』278頁)

 和合衆―仏の平等の慈悲を現実化せるもの―を、鬼神を中心とした諂誑・誑惑の悪循環が無残にも破壊していく。親鸞の諸引用を通じて見えてくるのは、このような痛ましき事態である。
 その事態を前にし、対峙していくには、何を明確にしなければならないのか。このために親鸞は、『四教儀』に対する注釈書を重ねて引用し、さらに問題点を浮き彫りにしようとしていく。この点については、次回に考察したい。

※本文に出た親鸞の『教行信証』執筆と比叡山の奏状との関係について、近日「『教行信証』撰述の意図をめぐる研究の展開―元仁元年の意義を中心にして―」(『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』創刊号、親鸞仏教センター、2018年)という論文を発表した。参照されたい。

(2018年5月、文責:親鸞仏教センター)

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