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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んできた。「化身土巻・末巻」には法琳の『弁正論』(べんしょうろん)が長く引用されている。その引用文を第19回報告では大きく四つにわけたが、今回からはそのなかの第三段落、引用⑪と⑫を見ていく。
 『弁正論』引用の読解 XIII ―道士が描く世界―
 元親鸞仏教センター研究員  藤原 智

■ 『弁正論』引用の第三段落について
 本報告では、仏教と道教との論争書である『弁正論』の親鸞による13箇所の引用を、大きく四つに分けた。その際、注目したのが、道教側から仏教側へ向けられた批判の引用である。なぜかと言えば、『弁正論』の引用は当時専修念仏に対して向けられた批判に応答するものと考えるからである。つまり、道教側からの批判の箇所にこそ親鸞が受け止めた課題が表わされているのである。
 そこで第一段落として、まず老子と釈迦を対比的に議論する十喩篇(上)を中心とした引用群(引用①~⑥)を押さえた。次に、第二段落を引用⑦から引用⑩までとしたが、それは引用⑦で道士による仏教不孝論という批判が引かれ、そこから引用⑩まで道教側の主張が一切引かれないことから、これらを引用⑦の批判に応答する一連の文章だとして確認してきたのである。
 そして、今回から見る引用⑪と⑫を第三段落としたい。引用⑪は『弁正論』気為道本篇の文であるが、この文は道教側からの批判ではない。けれども、占衡の君子という仏教側の論者によって取り上げられた道教経典の文章であり、道教側の主張として押さえることは、不当とは言えないであろう。そして次の引用⑫は、『弁正論』出道偽謬篇の文章であるが、この引用⑪と⑫の間には、改行はなされるものの「乃至(ないし)」という言葉が置かれず、一連の文章のように引かれている。これは古く興隆(1759~1842)『教行信証徴決』巻第十八(文政六年〔1823〕)に「しかるに「乃至」の語を安ぜず。今の断章の意は、下の文を引接して、道書の偽を顕さん為の故なり」(原漢文『仏教大系 教行信証』第9巻644頁)と指摘されているように、引用⑪での道教経典の主張を⑫でもって批判する意図なのであろう。
 こうして本報告では引用⑪と⑫をもって第三段落とするのであるが、ここにも種々の疑念がある。以下、引用⑪の本文を見ながら、その諸問題を検討し、親鸞の意図を探っていきたい。

■ 引用⑪の引き方への不審
 引用⑪は気為道本篇第七の文である。気為道本篇はこれまでの十喩九箴篇を受けて展開する箇所であるが、それは次の言葉に始まる。

考古の通人と、占衡の君子とあり。李卿の誹謗(ひぼう)の論を観、開士の弁正の談を閲(けみ)し、詳に之を議し、憤を発して歎を興こし、邪正をして轍(わだち)を異にし、真偽をして流を分ち、其の是非を定め、以て得失を明かにせしめんと欲す。 (『大正蔵』52-536a、『国訳一切経』和漢撰述部 護教部四268頁)

 ここでの「李卿の誹謗の論」と「開士の弁正の談」がこれまでの十喩九箴篇を指す。そして、その主張の是非を定めるため、考古の通人と占衡の君子という二人の人物(二人とも仏教側の論者)が議論するという展開となる。その「占衡の君子」の発言箇所を親鸞は引用する。次に見るように、引用が「君子曰」で始まるのは、そうした理由による。
  ではさっそく引用⑪の本文を見てみよう。(引用文は親鸞の自筆本に従い適宜『真宗聖典』の記述を訂正した文を示す。また改行は筆者による。)

君子曰わく、
 道士、大霄(たいしょう)が『隠書』、元上が『真書』等に云わく、
  元上大道君、治、五十五重(ちょう)無極大羅天(ぶきょくたいらてん)の中、玉京(ぎょくけい)の上、
  七宝台・金床(きんしょう)・玉机(ぎょくき)に在り。仙童(せんとう)・玉女の侍衛(じえい)するところ、
  三十二天三界の外に住す。
 『神仙五岳図(しんせんごかくず)』を案ずるに云わく、
  大道天尊は大玄都(たいけんと)・玉光州(ぎょくこうしゅう)・金真(きんしん)の郡・天保(てんぽう)
  の県・元明(げんめい)の郷(けい)・定志(ていし)の里を治す。災、及ばざるところなり。
 『霊書経(れいしょけい)』に云く、
  大羅はこれ五億五万五千五百五十五重天の上天なり。
 『五岳図』に云く、
  都(と)は都(みやこ)なり。太上大道道之中道・神明君最、静を守りて太玄の都に居り、
 『諸天内音(しょてんないいん)』に云わく、
  天と諸仙と楼都(ろうと)の鼓(つづみ)を鳴らす。玉京に朝晏(ちょうあん)して、もって道君を
  楽しましむ、と。 (『真宗聖典』395頁)
ここで占衡の君子は、道士の用いる道教経典の五つの説を挙げている。見慣れない言葉が並ぶが、藤場俊基の言葉を借りれば「要約すれば「道君は超越的存在として玉京(都)にあって世を治めている。その治政のもとでは一切の災は及ばない。そして都に安穏と居して、楼閣で酒宴を開いて楽しむ」ということである」(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』134頁、文栄堂、1991年)。
 引用⑪はこれだけなのであるが、ここに一つの不審がある。本来この文章は次のように続いている。

…もって道君を楽しましむ、と。この謬談(びゅうだん)を推せば、則ち道君は、これ天の神明にして、既に州県に属すれば、則ち天尊は復たこれ天の民伍たり。仏家の経論に、三界の外は、生死を出でて分段の形なく、色心の境を離る、と名づくるが如くんば何ぞ更に宝臺・玉山・州郡・郷里あることを得んや。虚妄の甚しき、転また矜(ほこ)り難し…
(『大正蔵』52-536b、『国訳一切経』和漢撰述部 護教部四269頁)
つまり、親鸞が引用した「君子曰」以下の箇所は、君子が「謬談」として批判するために挙げた道士の主張の箇所のみなのである。そうであるから「親鸞がなぜ道教側の主張だけを引用し仏教側の反論を引用していないのかは、検討の余地がある」(真宗教学研究所東京分室『現代教学』第10・11号113頁、1985年)などと疑問視されてきた。
 しかし、すでに述べたように、親鸞は恐らくこの引用⑪と⑫を一連の文として引いているのであり、仏教側の反論はその引用⑫に託しているのだと考えられる。そして、なぜそのようなことをするかといえば、本来の気為道本篇での反論では、親鸞が課題としたことには応えられていないということであろう。上記の文を見ると、ここでの反論は三界の外に州郡・郷里などと名付けられる場所があるのはおかしいとするものである。けれども、おそらくこういう点に親鸞の関心はなかったのであり、代わりの反論として⑫を引用したのであろう。
 では、引用⑪と引用⑫に連関はあるのだろうか。すでに藤場俊基は「両者は『弁正論』原典の中では文脈上の繫がりは全くない」(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』137頁)と指摘している。しかしこの藤場の指摘には首肯しかねる。ここの君子の指摘の最後には「偽を保ちて真となす、良(まこと)に羞恥すべし。その根脈と本末は、並びに『笑道論』中に委(くわ)しく出だすが如し」(『大正蔵』52-536b)と、道教経典の偽謬の根本は甄鸞『笑道論』(天和五年〔570〕)に指摘されていると記される。そして『弁正論』のなかでこの『笑道論』が唯一直接引用されているのが、次の引用⑫の箇所なのである。この意味で、引用⑪と⑫には深い連関がある。
 つまり親鸞は、道教経典の主張に対し、気為道本篇での当面の反論ではなく、出道偽謬篇での主張、すなわち『笑道論』を下敷きにして述べられた道教への根本的反論をもって、その応答と位置付けたのである。だからこそ親鸞は引用⑪と⑫を全くの一連の文章としたのであろう。その⑫の内容については次回の報告で見ていきたい。

■ 引用⑪に対する親鸞の問題意識
 では引用⑪自体をもう一度見てみよう。ここで君子は、道士が用いる道教経典に大羅天・太玄都・玉京といった災いの及ばない静かで楽しい場が描かれていることを取り上げている。親鸞はなぜこの文を引いたのか、ここにどのような課題を見いだしたのか。
 ここで注目したい言葉が、「都者都也」である。これは一見して意味不明であるが、親鸞は二番目の「都」に「ミヤコ」と仮名を振っているので、「都はみやこなり」とあえて読んでいることになる。(なお本来は「都者覩(みる)也」〔『大正蔵』52-536b〕である。本報告第18回及び拙論「日本古写経『弁正論』と親鸞『教行信証』」〔『日本古写経研究所研究紀要』第二号、2017年〕参照)
 この「都はみやこなり」という親鸞の振り仮名と思い合わされるのが、『教行信証』後序の「洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁(わきま)うることなし。」(『真宗聖典』398頁)という文章であろう。ここでの「洛」と「都」の字にも、親鸞はやはり「ミヤコ」と仮名を振っている。ここに連関が認められるならば、引用⑪で挙げられる道士が描く世界とは、親鸞当時の世俗の学者が理想とした世界、すなわち「みやこ」そのものの象徴として引用されているのではなかろうか。
  このように考えた際、福永光司の次の指摘は重要に思える。「「道士の大霄隠書」。これは道教の経典で五世紀の頃に江南の道教で作られた経典です。京都の御所にこの経典のことばがいろいろ使われています。」(『弁正論講義』291頁、九州教学研究所、2003年)、「これは平安朝の天皇家が神仙道教を全面的に採り入れたことからくるわけで、そういう点からいえば、親鸞さんが法琳の『弁正論』の神仙道教を批判する文章を引用しているということは、ある意味で親鸞さんを流刑にした朝廷に対する批判が込められている可能性が大いにあると私は解釈します。」(同296頁)。ここで福永は、引用⑪に説かれる情景とは、当時の朝廷がモデルとした思想であり、この親鸞の引用はその朝廷への一種の批判であると指摘する。福永ほど明確ではないが、藤場も同様に「宮中の様子を描いていると見る以外、『教行信証』の文脈の中ではほとんど意味を持ち得ない内容であると思います。」(『親鸞の教行信証を読み解くⅤ―化身土巻(後)―』236頁、明石書店、2001年)と指摘する。
 親鸞は、ここでの道士が描くような理想郷を求めさせる思想こそ、人間の迷いを深めさせていくことになる、というようにとらえたのではなかろうか。こうして、その道士の主張を押さえたうえで、次の引用⑫において、その主張がまったくの偽謬であると断じていくことになるのである。

※『弁正論』引用の全体については『現代と親鸞』第31号(2015年12月1日号)に論文として掲載しています。(出版物紹介のページから見ることができます)

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