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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んできた。「化身土巻・末巻」には法琳の『弁正論』(べんしょうろん)が長く引用されている。その引用文を第19回報告では大きく四つに分けたが、最後の第四段落を前回の第35回報告に引き続き見ていく。
 『弁正論』引用の読解ⅩⅥ―親鸞が想定した老子の邪風―
 元親鸞仏教センター研究員  藤原 智

■ 邪偽を捨て正真に入る態度
 『弁正論』引用箇所の第四段落、引用⑬は梁(りょう)の武帝による「捨道勅文(道教を捨てることの勅文)」である。前回はその前半部分を見てきた。
 そこではまず、「『大経』(涅槃経)の中に説かく。「道(とう)に九十六種(きゅうじゅうりくしょう)有り。ただ仏の一道、これ正道(せいとう)なり。その余の九十五種においてはみなこれ外道なり」と。」(『真宗聖典』396頁)と記し、『涅槃経』を通して、仏道こそ正道であり、その他の思想はことごとく外道(邪道)というべきものであるとの立場が示された。そのうえで「老子・周公・孔子等、これ如来の弟子として化をなすといえども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり。凡を隔(へだ)てて聖(せい)と成ることあたわず。公郷(こうけい)・百官(はくかん)・侯王(こうおう)・宗室(そうしつ)、宜(よろ)しく偽を反(かえ)し真に就(つ)き、邪を捨て正(せい)に入るべし。」(同前)と語られていた。それは、孔子・老子は仏の弟子として中国で教化をしたけれども、その思想は時を経て邪偽なるものになっているとして、それを捨てて真正なる仏道に入ることを勧めるものであったといえる。存覚『六要鈔』は、「今『弁正論』この事を明かすをもって要須となす」(原漢文『真宗聖教全書』2-435頁)と指摘し、この梁の武帝の態度・発言こそ『弁正論』引用の要だとする。
 では、その仏道に入るとはいかなる態度をもつべきなのか。それが今回見ていく箇所に示されることになる。(引用文は親鸞の自筆本に従い適宜『真宗聖典』の記述を訂正した文を示す。また、改行は筆者による。)

ゆえに、経教(けいこう)『成実論』に説いて云わく、
もし外道に事(つか)えて心重く、仏法は心軽し。すなわちこれ邪見なり。
もし心一等なる、これ無記にして当たらず。
もし善悪、仏に事えて孝子に強(こわ)くして心少きは、すなわちこれ清信(せいしん)なり。 (『真宗聖典』396頁)

まず『成実論』が証文として出されるが、この文は『成実論』自体には見えないという(真宗教学研究所東京分室『現代教学』第10・11号117頁、1985年)。それはさておき、ここでは「もし」という語で、三つの態度が示される。
 その第一は、仏教以外の思想(外道)に重きを寄せ、仏教を軽んじている態度である。これは邪見であるとされる。
 第二は「心一等」とある。これは仏道と外道のどちらかを重んじるのではなく、その双方を等しくする態度であろう。それが「無記にして当たらず」と言われる。この言葉について、井上円は善導『観経疏』深心釈の「無記・無利・無益の語」(『真宗聖典』216頁)を挙げて、「利益が無いだけではなく不当である」(「学びを共にする」『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』増補第3刷234頁、文栄堂、2000年:初出『親鸞教学』第60号1992年)という理解を示す。これによるならば、仏道と外道とを平等に接する態度も邪見に等しいものということになるだろう。
 第三の文は、諸本により異同が大きい。本報告では、親鸞はあくまで底本通りに引用したものとして考察する(参照拙論「日本古写経『弁正論』と親鸞『教行信証』」〔『日本古写経研究所研究紀要』第二号2017年 〕)。まず、「善悪」とは善人・悪人、つまり「どのような人でも」という意味だろう。そしてその者たちが、仏に仕えると同時に「孝子に強(こわ)くして心少き」という態度をとることを「清信」とする。藤場俊基は「強く」を「厳しい」と理解する(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』155頁)。それによると、孝子に対して厳しい態度をとり心寄せることが少ない者ということであろう。この点については後で再度考えたい。
 そして続けて、この「清信」についての解釈が施される。

清と言うは、清はこれ表裏ともに浄(きよ)く、垢穢(こうわい)惑累(わくるい)みな尽くす。信はこれ正を信じて邪ならざるがゆえに、清信仏弟子と言う。その余、等しくみな邪見なり。清信と称することを得ざるなり。乃至 (『真宗聖典』396頁)

「清」とは、表裏ともに浄(きよ)らかで、煩悩の穢(けが)れ・惑いわずらいが尽き果てていること。「信」とは、正道を信じて、邪ではないこと。そのような在り方をする者を、清信なる仏弟子という。そして、その他はみな等しく邪見であって、清信と呼ぶことはできないのだと押さえられていく。こうしてどこまでも「邪見」を見据え、正真の道に入ることが求められていく。その「邪見」こそ、「化身土巻・末巻」初めの『大集経』の引用から一貫する課題であった(本報告第5回 参照)。
 こうして最後に「乃至」という省略の語が置かれ、もう一文が引かれる。これは梁の武帝の勅文ではなく、これに応答する息子の邵陵王の言葉とされるが、親鸞は一連の文章として命令形で読む。

老子の邪風を捨てて、法の真教に入流せよ、となり。 已上抄出 (『真宗聖典』396頁)

この一文で『弁正論』の引用は締めくくられることになる。ここにこそ、これまでの長い『弁正論』引用の結論があるといえよう。そこで次に、親鸞がここで念頭に置いていた「老子の邪風」とは具体的にどのような事柄であったのかを考えたい。

■ 「孝」を中心とした価値体系
 『弁正論』引用の最後の一文での「老子の邪風」を考えるにあたり、『弁正論』引用全体において、仏教と対比的に語られた道教の思想的特徴を振り返りたい。そして、それは引用⑦に明確に語られていた(本報告第25回 参照)。
 それが「老君、範(はん)と作(な)す。ただ孝、ただ忠、世を救い人を度す、慈を極め愛を極む」(『真宗聖典』391頁)である。このように、道士が主張する老子の教えの特徴が「唯孝唯忠」であった。それに対して「釈教(しゃくこう)は、義を棄(す)て親を棄て、仁ならず孝ならず」(『真宗聖典』392頁)と、法琳の当時、仏教の出家主義は道士たちにより不孝の教えとして非難されていた。この引用⑦の文章は、中国での「出家不考論」を代表するものである(道端良秀『仏教と儒教倫理』250~254頁、平楽寺書店、1968年)。
 親鸞がこの「出家不孝論」に着目したきっかけが、本報告で何度も指摘したように、貞応三年/元仁元年(1224)に提出された専修念仏批判の奏状「延暦寺大衆解」である。この奏状は「人倫の行は、孝より大なるはなし」と述べ、これまでの仏教的伝統に順守しない専修念仏を「不孝の罪」として断罪した(原漢文『大系真宗史料』文書記録編1-88頁、法藏館、2015年)。いわば「専修念仏不孝論」である。親鸞の『弁正論』引用は、この批判への応答という意味があると言える。そうすると、問題になるのは仏教/専修念仏を「不孝の教え」として批判する思想なのであり、それこそ親鸞が想定した「老子の邪風」であったと考えられるのである。
 繰り返し行われた専修念仏への非難・弾圧。そこでは仏法としての正当性を真摯に問うというよりも、むしろ伝統化した体制に従うか否かが問題にされた。それは世間の価値観に流されてしまっているだけではないのか。これが親鸞の問いかけである。
 この点から再び引用⑬を見よう。梁の武帝が公郷・百官・侯王・宗室に向けて出したこの勅文を、親鸞の当時に置いてみるならば、想起されるのは次の指摘に見るように、親鸞も直接経験した弾圧と、それを主導した者として後序において明瞭に批判された「主上(しゅしょう)臣下(しんか)」(『真宗聖典』398頁)であろう。

親鸞が右のような引文によって言わんとするは、つぎのごとくであろう。〝日本の「公卿百官侯王宗室」は、われわれ専修念仏集団を「多く疑謗して」「十悪五逆」の姿をあらわしている。これは「邪を信じ、鬼に事へ」ているからである。彼らは、このような「邪を捨て」て、専修念仏の正道に入るべきである〟。と。 (『古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編Ⅱ 親鸞思想』221頁、明石書店、2003年)

「化身土文類」引用の『弁正論』に「公卿百官侯王宗室宜しく偽を反し真に就き邪を捨て正に入るべし」とあり、この「公卿」以下が後述の「洛都の儒林」「臣下」を暗示していること。 (加来雄之「已に僧に非ず俗に非ず」『親鸞教学』第90号15~16頁、2008年)

武帝の勅文の引用は、専修念仏を非難・弾圧した「主上臣下」たちに、「老子の邪風を捨てて、法の真教に入流せよ」と呼びかけるものである。そして、その「老子の邪風」こそ、「孝」を中心とした価値体系である。
 そこまで至って、注目されるのが「仏に事えて孝子に強くして心少きは、すなわちこれ清信なり」の一文であろう。清信なる仏弟子、それは「孝子」に強くして心少き者である。これまでの研究では、この「孝子」は、「老子」(『大正蔵』52-549c)の写誤として、ほとんど考察されてこなかった。しかし「老子の邪風」を上記のように考えたとき、ここで親鸞が「孝子」と記していることは、極めて重大な意味をもつであろう(なお親鸞は「孝」に「カウ」と読み仮名を振っており、「老子」の写誤はあり得ない)。
 この「孝子」とは、今の文脈で言えば「唯孝唯忠」という道士のイデオロギーに染まった者と言える。そして、それが専修念仏を「不孝の罪」と批判する延暦寺の立場であった。度重なる弾圧は「諸寺の釈門」(『真宗聖典』398頁)が仏教とは何かを見失い、「洛都の儒林」(同前)の邪(よこしま)な価値観でしか判断できなくなっていることによる。その状況こそ親鸞にとって「行証久しく廃れ」(同前)た末法五濁そのものであった。
 それに対して、そのような価値体系(ここで言う「老子の邪風」)を邪見として徹底的に自覚的に対峙(たいじ)すること、それこそが清信なる仏弟子のとるべき態度なのだ。これが、親鸞が『弁正論』の引用の結論として提示した事柄なのであった。 (文責:親鸞仏教センター)

※『弁正論』引用の全体については『現代と親鸞』第31号(2015年12月1日号)に論文として掲載しています。(出版物紹介のページから見ることができます)

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