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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 2013年12月24日、東京国際フォーラム(有楽町)において、大阪大学教授である平雅行氏をお招きし、「顕密体制と専修念仏」というテーマで、『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会を開催した。「末巻」は、初めに「余の諸天神に帰依せざれ」という文が掲げられるが、親鸞がこの文を掲げたときに見据えていたものは何であったのか。そのことを考えるため、親鸞がいかなる社会に身を置いていたのかについてお話いただいた。ここにその研究会の一部を紹介する。

 顕密体制と専修念仏

親鸞仏教センター研究員 藤 原  智


■ 中世的な宗教秩序の形成(1)
  大きな歴史の大転換が十世紀の初頭に起こります。それは律令体制の崩壊です。そこで朝廷の仏教政策や宗教政策も大きく変化していかざるをえなくなる。そういうなかで、奈良や白鳳時代以来のお寺がいっぱい消えていくわけです。
 しかし、この時代の転換期を見事に乗り切っていくお寺もあるわけです。その代表が興福寺や延暦寺ですが、そこで一つ大事だと思うのは民衆化です。その象徴的な事例が、強訴(ごうそ)であると思います。民衆の不満というものを延暦寺や興福寺の悪僧と言われる人達が組織をしていった。これが、彼らが中世的な仏教に生まれ変わっていくときの非常に大きな原動力となったということです。それは同時に教義の民衆化が行われているということでもあります。そこでは念仏による往生、あるいは専修念仏すら勧めているわけです。顕密仏教の世界では、悪人往生とか悪人成仏はある意味では常識であった。その教理的な背景として善導の本願念仏説が、顕密仏教の世界では広く取り入れられている。
 またこの時期、顕密仏教は国家との関係を再構築することに成功します。例えば末法思想。末法思想を顕密仏教の坊さんが意図的に流布させる。「現状のまま放置をしていたならば日本は破滅してしまう。だから仏法興隆が必要だ。そのためにお寺に荘園をください。そうすれば末法を克服できますよ」という格好の理屈でもって、荘園寄進を要請していくわけです。朝廷はそういう要請に応え、この時期に寺社勢力は急速に荘園というものを獲得し、寺院経済を安定させることに成功する。そして中世王権自体が仏法興隆というものを主導していく。院政時代に顕密仏教は最盛期を迎えるということです。

■ 中世的な宗教秩序の形成(2)

 そして、この時期に神仏習合が一般化していく。日本の中世にあっては、基本的に地域や国の平和と繁栄は誰が担うかというと、やはり神さまが担うというふうに考えられている。その神社の祭祀に仏事が入ってくるということが普通になってくる。例えば、読経をすれば豊作となって日本は平和となり、みんな豊かで仲の良い世界がやってくる。こうして日本の中世の顕密仏教は、鎮護国家と五穀豊穣の祈りを捧げるわけです。これは言い換えれば、平和と繁栄を祈りの力で実現するということです。平和と繁栄は政治が担うべき最も重要な役割であると思いますが、その部分を顕密仏教がちゃんと実現するというふうに民衆に約束をした。
 親鸞は「かなしきかなや道俗の 良時吉日(きちにち)えらばしめ 天神地祇(てんじん じぎ)をあがめつつ卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす」(『真宗聖典』509頁、東本願寺出版部)と詠(うた)われ、あるいは『教行信証』「化身土巻」でも「余の天神に帰依するな」とおっしゃってはいます。しかし、こういう道俗のありさまを「悲しいかな」というふうに親鸞自身が言わざるをえないほど、中世の民衆はこういうシステムのなかに完全に組み込まれている。組み込まれるかたちでもって中世の支配秩序というものが構築されていたというふうに思うわけです。
 ただ、この時代は神仏習合が展開してきて、すべての神さまが仏の権化なんだと、いわゆる仏教化されているわけです。仏教化された神さまを批判するということが、この論理でもってどこまで有効なのかっていうのは、やはりもう一度よく考えてみないといけない問題だろうと思います。そこのところは、だから非常に批判は難しい。非常に難しい段階に入っていると思います。そう簡単に神祇信仰を批判できるような、顕密仏教の側も相当懐が深くて、そんなやわな批判で壊れるようなかたちにはなっていないと思うわけです。

■ 専修念仏の登場
 そういうなかで専修念仏が登場してくる。その一番の原因は、やはり源平内乱です。源平内乱の何が衝撃的だったかというと、この時期は顕密仏教の最盛期だったということです。日本の平和を実現するために、たくさんの坊さんたちが祈りを捧げるわけでありますが、実際には彼らの祈りは効かなくて、そして日本中が内乱に巻き込まれる。仏法が戦争を封じ込めるのではなくて、戦争が仏法を打ち破ったわけです。
 今までのあり方が根本的に何か間違っていたわけです。その深刻な問いをみんな必死になって考えるなかで、大体二つの潮流が新たに登場してくる。穏健派の考え方は、坊さんのあり方に問題があった。鎌倉時代の仏教改革運動の主流派はこちらです。それに対して急進派の人々は、やはり仏法のありさまそのものに問題があった。末代相応の教えが必要ではないかということで、新しい仏教の教えを探求していくということになる。それが専修念仏であり、日蓮たちであろうと思うわけです。
 その法然や親鸞の専修念仏の考え方の一番のポイントは、すべての人間は愚者、凡夫、そして悪人と、こういうふうに機根が平等だというところにある。顕密仏教の世界においては、南無阿弥陀仏のようなものがなぜ存在するかというと、レベルの低い人間がいるからだとされる。顕密仏教の世界では民衆は馬鹿だというふうに見ていたわけですが、この彼らのなかに本当の人間の姿を見て取ることができたところに、法然や親鸞の思想の一番の偉大さの根源がある。

■ 『興福寺奏状』の脱文
 最後に、実は『興福寺奏状』には文章が抜けていることが指摘されたということをお話ししたいと思います。『興福寺奏状』のなかで、「誠惶誠恐謹言」とその次の「副進」という文章との間に、本来であるならば数行分の文章がないといけない。その文章が抜け落ちている。法然伝を見ますと、興福寺が元久二年九月に朝廷に奏状を提出したという文章が登場してくる。今まで私たちはこの文章をほとんど無視してきたわけですが、実は前半部分の日付は元久二年九月だったのではないかということになってくるわけです。前半部分と後半部分が分かれている。『興福寺奏状』を扱うときには慎重な扱いが必要で、少なくとも「副進」の前と後ろはぜんぜん違う人間が執筆をしているということを頭のなかにおいて、この資料を読まないといけないということになるだろうと思います。

※平雅行氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第29号(2014年12月1日号)に掲載予定です。




平 雅行(たいら まさゆき) 大阪大学大学院文学研究科教授
1951年大阪市生まれ。1981年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。京都橘女子大学、関西大学、大阪大学助教授、同大学文学部教授を経て、1999年4月より現職。専門は日本中世史・古代中世仏教史。
著書に、『日本中世の社会と仏教』(1992年・塙書房)、『異文化の交流』(1993年・大阪大学)、『親鸞とその時代』(2001年・法蔵館)、『歴史のなかに見る親鸞』(2011年・法蔵館)など。
共編著に『歴史の中の和泉 古代から近世へ─日根野と泉佐野の歴史〈1〉』(1995年・和泉書院)、『荘園に生きる人々─日根野と泉佐野の歴史〈2〉』(1995年・和泉書院)、『周縁文化と身分制』(2005年・思文閣出版)など。
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