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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んでいる。「化身土巻・末巻」には大部の引用として、『大集経』(だいじっきょう)と『弁正論』(べんしょうろん)がある。今回から、その『弁正論』の引用内容についてうかがっていきたい。
 『弁正論』という書物―その引用の視点―
 親鸞仏教センター研究員 藤原 智

■ 『弁正論』という書物
 『弁正論』は、法琳(ほうりん、572~640)の手になる唐代初期における仏教と道教との論争書である。法琳の生涯と著作についての詳細は、礪波護「唐初の仏教・道教と国家」(『隋唐の仏教と国家』中公文庫、1999年)に詳しい。今はこれを参考にしながら、必要な事柄だけ見ていこう。
 中国の唐の時代、武徳四年(621)に太史令(たいしれい)の道士傅奕(ふえき、554~639)という人物が「廃仏法事十有一條」(『広弘明集』巻第二十五、『大正蔵』52-283-a)を上奏した。これを受けて、出家の損益を問う詔が出されることになる。これに憤激した法琳が、翌年に『破邪論』二巻を撰(せん)して反駁(はんばく)し、傅奕の上奏は却下されることになる。しかし、傅奕はその後も執拗に廃仏の活動を続け、やがて武徳七年(624)、それに呼応した道士の李仲卿(りちゅうけい)が『十異九迷論』(じゅういきゅうめいろん)を、劉進喜(りゅうしんき)が『顕正論』(けんしょうろん)を書き、傅奕に託して上奏する。これらに対して法琳が反論を書き、その弟子陳子良(ちんしりょう、575~632)が注解を付することによって、『弁正論』八巻十二篇が成立する。そのなかでも特に、巻第六の「十喩篇(じゅうゆへん)第五」「九箴篇(きゅうしんへん)第六」「気為道本篇(きいどうほんへん)第七」が『十異九迷論』に直接の反論する箇所と見られる。なおこの三篇は、以上の論争を紹介する道宣(596~667)『広弘明集』(664)の巻十三に「十喩九箴篇」としてまとめて全文掲載されている。おそらく、法琳はまず武徳九年(626)「十喩九箴篇」を作り、のちに増補して貞観九~十年(635~636)ごろまでに現在の『弁正論』八巻十二篇になったのだと考えられている。そしてこの『弁正論』は、やがて智昇『開元釈教録』(開元十八年〔730〕)において「新編入蔵」(『大正蔵』55-625-a)し、一切経の一部として伝えられていくことになる。
 この『弁正論』を大きく取り上げたのは、先述の『広弘明集』である。『広弘明集』には、道宣に先立って政治的な場において仏教の意義を宣揚した人々の事績が記されているが、その護法活動に大きな役割を果たした人物として『破邪論』『弁正論』を著した法琳が記されるのである。『広弘明集』には、本報告第十六回で見た『菩薩戒経』の文が、現実の諸問題のなかで仏弟子の尊厳性を示す文として引用されている。ここに『菩薩戒経』と『弁正論』との繫(つな)がりがうかがえよう。おそらくこの中国での仏教者の護法活動を念頭に置きながら、親鸞は法琳の『弁正論』を引用していくのである。

■ 『弁正論』引用の視点

 『弁正論』の引用は、「『弁正論』法琳の撰に曰(いわ)く。十喩九箴篇、答(とう)す、李道士、十異九述」(『真宗聖典』388頁)という言葉で始まる(なお『真宗聖典』は、注(1044~1045頁)に示されているように、『弁正論』の引用文を多く『高麗大蔵経』によって改訂しているので、注意が必要である)。この書き出しからわかるように親鸞の『弁正論』引用は、道士李仲卿の仏教批判書『十異九迷論』に法琳が答えた「十喩九箴篇」が中心である。しかしこの論争は、現代のわれわれにとってはその意義がわかりにくい。この唐代初期の道教と仏教との論争を、日本の鎌倉時代の親鸞が引用する意義は何であろうか。
 恐らくそれは、単に過去の論争を紹介するというのではない。親鸞は、現に親鸞を含めた専修念仏に対する批判が、唐代初期に道士が仏教へ向けた批判と同質のものであると受け止めた。だからこそ、専修念仏に向けられた批判に答えるという意味をもって、『弁正論』の議論を引いたのだ、と考えられる。その批判とは、本報告第十一回で述べたように、元仁元年の延暦寺の奏状が想定されよう。この意味において、まず重要なのは親鸞が選んで引用した道士の主張の質である。
さて『弁正論』の引用は、おおよそ13の文章で構成されていると見ることができる。まずその引用箇所を列挙してみよう。なお十喩篇は同じテーマで二度論じられるので、本報告では便宜上、それぞれ上・下で示す。(頁・行数は『真宗聖典』)

  ①十喩篇(上)第一喩 (388頁13行目~389頁12行目)
  ②十喩篇(上)第四喩 (389頁13行目~389頁16行目)
  ③十喩篇(上)第六喩 (390頁1行目~390頁7行目)
  ④十喩篇(上)第七喩 (390頁8行目~391頁1行目)
  ⑤十喩篇(下)第一喩 (391頁2行目~391頁13行目)
  ⑥十喩篇(下)第三喩 (391頁14行目)
  ⑦十喩篇(下)第十喩 (391頁15行目~392頁15行目)
  ⑧九箴篇 第一箴 (392頁16行目~393頁11行目)
  ⑨九箴篇 第二箴 (393頁12行目~394頁13行目)
  ⑩九箴篇 第五箴 (394頁14行目~395頁2行目)
  ⑪気為道本篇 (395頁3行目~395頁8行目)
  ⑫出道偽謬篇 (395頁9行目~396頁2行目)
  ⑬帰心有地篇 (396頁3行目~396頁12行目)

 この13の文章について、本報告では次のように大きく四つの段落に分けて考えたい。
 第一段落は①~⑥の文章である。この引用に共通するのは、主に釈尊と老子の生没についてであり、教えの基盤となる教主の存在についての議論として一貫するものと考えられる。
 次の第二段落が⑦~⑩までである。ここは⑦の初めに道士からの批判が引用されてから、一貫して法琳の応答のみが引用されている。⑦での批判に、⑩までの文をもって答えようとしたものと考えられる。
 そして第三段落が⑪と⑫である。⑪では道士が用いる道教経典の主張のみが取り上げられ、⑫ではその道教経典への批判が述べられるため、この二つの文章で一つの議論となっている。
 最後の第四段落の⑬は、『弁正論』引用のなかで唯一「また云わく」(『真宗聖典』396頁)と文が改めて引かれるものであり、それまでの議論の結論に位置付けられたものと考えられる。
 このように四つの段落に分けて見たとき、特に重要なのが、道士の主張に複数の文をもって応答している⑦~⑩の第二段落である。そして、ここにこそ、当時の専修念仏に向けられた批判に対して親鸞の応答の核心があると考えられる。このことを念頭に、次回から一文ずつ追っていきたい。

(文責:親鸞仏教センター)

本報告の詳細については『現代と親鸞』第31号(2015年12月1日号)に論文として掲載しています。
 (出版物紹介のページから見ることができます)

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