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研究活動報告
『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会
 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んできた。「化身土巻・末巻」には法琳の『弁正論』(べんしょうろん)が長く引用されている。その引用文を第19回報告では大きく四つに分けたが、今回から最後の第四段落を見ていく。
 『弁正論』引用の読解XV―梁の武帝の勅文―
 元親鸞仏教センター研究員  藤原 智

■ 第四段落を見る視点
 これまで、親鸞の『弁正論』引用箇所の第三段落、引用⑫までを見てきた。今回は、最後の第四段落、引用⑬を考察する。
 さて、引用⑫は「またこれ偽中の偽なり」という言葉で引用が終わり、その下に「乃至」という省略を意味する語が置かれる。そして、そこで改行し「又云」と記して、文章をあらためて引用⑬が展開されることになる。実はこれまでの『弁正論』引用文は、基本的に「乃至」という言葉で繫がれていた。「又云」といった文章をあらためる表記は、この引用⑬の初めだけなのである。その意味では『弁正論』引用は大きくは二段落に分かれるのであり、この引用⑬はこれまでの一連の議論の結論に位置付けられる文章だと言えよう。
 この引用⑬は、『弁正論』全八巻十二篇の最後、巻第八「帰心有地篇第十二」からの二文である。帰心有地篇は、梁(りょう)の武帝(464~549)の「捨道勅文(道教を捨てることの勅文)」(天監三年〔504〕)、その息子の邵陵王の「啓勅捨老子受菩薩戒文(勅を承け老子を捨てて菩薩戒を受けることを申し上げる文)」(天監四年)、法琳自身の「与尚書右僕射蔡国公書(尚書右僕射蔡国公に与える書)」の三つの文書からなる短い篇である。引用中、「乃至」以前が梁の武帝の「捨道勅文」の後半部分、以後が邵陵王の「啓勅捨老子受菩薩戒文」からの一文である。なおこの二つの文書共に、法琳の近辺で偽作されたものではないかと指摘されるが(真宗教学研究所東京分室『現代教学』第10・11号116~118頁、1985年)、今はその紹介に留めたい。
 ところで、引用⑬の初めの「又云」という言葉に注目したい。親鸞は、仏教典籍を経・論・釈の三段階でとらえ、経には言、論には曰、釈には云という言葉をもって厳密に引用する。この基準でいえば『弁正論』は釈に分類されると考えられる。けれども、善導や天台大師に先立って引用される『弁正論』は、その冒頭が「『弁正論』〈法琳の撰〉に曰わく」(『真宗聖典』388頁)と「曰」の字が記されるように、菩薩の論と同格の文書とされていた。その一方、この引用⑬では「云」の字が使われる。
 この点を、江戸期大谷派の妙音院了祥(1788~1842)『末法灯明記講義』(天保二年〔1831〕)は、『弁正論』引用の中心は「開士」の言葉であり、この開士とは菩薩の異名であるということ、また化身土巻・末巻の課題である「勘決真偽」の本となるのが『弁正論』だという重要性から、「菩薩の論」という位置づけをしたとする。それに対し引用⑬は、法琳自身ではなく梁の武帝の言葉であるから「云」と区別した、とするのである(『真宗全書』第58巻175~179頁、蔵経書院、1915年)。なお、道宣『広弘明集』巻四(『大正蔵』52-112a-b)や『集古今仏道論衡』(『大正蔵』52-370c)、道世『法苑珠林』(『大正蔵』53-707a)では『弁正論』とは独立して「捨道勅文」が引かれる。
 上記の了祥の指摘に従うならば、この引用⑬は『弁正論』の総括的引用でありつつ、同時に梁の武帝という個人によって発せられた言葉であるということを親鸞が強く意識していたということを意味する。この梁の武帝という名前で想起すべきは、もちろん迦才『浄土論』(『大正蔵』47-97c)が伝える曇鸞の事蹟である。梁の武帝(蕭王)が曇鸞に向かって菩薩であると礼をしていたというその事蹟を、親鸞がしばしば記していることは周知のとおりである(「正信偈」、「高僧和讃」、『尊号真象銘文』、『論註』加点本奥書。また仙経を焼き捨てたという事蹟も思い合わすべきだろう)。
 この曇鸞の事蹟に関して、古田武彦は「親鸞の曇鸞認識の一焦点が、梁の天子 は曇鸞を「菩薩」として拝した、という故事にあったことは疑い得ないのである。これに反し、「大勢至菩薩 」の権現と見なされていた法然を日本の天子 は流刑にした。この事実を、わたしたちは対蹠的に想起せしめられるであろう」(原文傍点を下線にした。『古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編Ⅱ 親鸞思想』225~226頁、明石書店、2003年)と述べた。さらに井上円は『弁正論』引用⑬と関連させ「いわば支配権力に立つ者に対して、真に人間の平等な尊厳を説く宗教とそれを阻害する宗教との峻別を迫ろうとしているのである」(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』増補第3刷231頁、文栄堂、2000年)と指摘する。これらは引用⑬の意義を考えるうえで、注目してもよい。

■ 後代に邪となった老子・孔子の教え
 ではここから本文を見ていきたい。(引用文は親鸞の自筆本に従い適宜『真宗聖典』の記述を訂正した文を示す。また改行は筆者による。)

また云わく。『大経』の中に説かく。「道(とう)に九十六種(きゅうじゅうりくしょう)有り。ただ仏の一道、これ正道(せいとう)なり。その余の九十五種においてはみなこれ外道なり」と。 (『真宗聖典』396頁)

 先に引用⑬は武帝の「捨道勅文」の後半部分と一応記した。しかし原文では、この冒頭の「大経中説」の直前に「勅門下」(『大正蔵』52-594c)とあり、実質的にはこの親鸞の引用箇所からが武帝の勅の内容である。
 ここでまず引かれる『大経』とは、『大無量寿経』ではなく『大般涅槃経』である。全く同文ではないが、その原典はすでに「信巻」に引用されていた。それは「偽に対し、仮に対する」(『真宗聖典』245頁)と確かめられる「真仏弟子釈」の、その「偽」の定義箇所である。

「偽」と言うは、すなわち六十二見、九十五種の邪道これなり。
『涅槃経』に言(のたま)わく、世尊常に説きたまわく、「一切の外は九十五種を学びて、みな悪道に趣(おもむ)く」と。已上
光明師の云わく、九十五種みな世を汚す、ただ仏の一道、独り清閑(しょうげん)なり、と。已上 (『真宗聖典』251頁)
詳細は省くが、ここで言う「見」「道」とは人間の思想性を表し、九十五種(仏道を含めて九十六種)とはその総体を意味する。つまり仏の一道を除いて、あらゆる人間の思想性を「偽」だと親鸞は押さえるのであり、その峻別(しゅんべつ)の根拠となるのがこの『涅槃経』の教言であった。「捨道勅文」もこの教言を冒頭に掲げて、主張を展開していく。

朕(ちん)、外道を捨ててもって如来に事(つか)う。もし公郷(こうけい)ありて、よくこの誓いに入る者は、おのおの菩薩の心(しん)を発(おこ)すべし。 (『真宗聖典』396頁)
「朕」とは皇帝の自称であるが、私はそのような九十五種の外道を捨てて、仏・如来に仕えよう。そして、もし高位高官の者で、この誓いに入ろうと思うならば、それぞれ菩薩の心を起こしなさい、と言うのである。
 さてこの次の文が、親鸞独自の訓点だと注意される。

老子・周公・孔子等、これ如来の弟子として化をなすといえども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり。凡を隔てて聖と成ることあたわず。公郷・百官(はくかん)・侯王(こうおう)・宗室(そうしつ)、宜(よろ)しく偽を反(かえ)し真に就(つ)き、邪を捨て正に入るべし。 (『真宗聖典』396頁)
問題は第一文目である。この文は通常「如来の弟子といえども、しかも化をなすことすでに邪なり」(『国訳一切経 和漢撰述部』護法部四330頁)と読み、如来の弟子ではあっても「教えの説き方がすでに間違っている」(福永光司『弁正論講義』320頁、九州教学研究所、2003年)という意味である。しかし、親鸞は「いえども」の位置を変え、「如来の弟子として化をなすといえども、すでに邪なり」と読んだ。その読み方の意味を、例えば藤場俊基は「(仏弟子でないにもかかわらず)仏弟子と称して教化をなす」(『顕浄土方便化身土文類の研究―『弁正論』―』152頁)と理解した。けれどもこの意見には賛成できない。
 この親鸞の読み方を理解するには、まずこれまでの『弁正論』引用の文脈で、老子・周公・孔子たちがどのように位置づけられていたかを考えねばならない。そして、たとえば引用⑧で「迦葉(かしょう)を老子とし、儒童(じゅどう)を孔子とし、光浄を顔回とするなり」(『真宗聖典』393頁。第28回報告参照)と述べられていたように、彼らは仏弟子に他ならないと明言されていたのである。藤場の「仏弟子でないにもかかわらず」といった読みは明らかに誤りである。
 問題なのは、親鸞の引用における「すでに邪なり」の意味である。今それを、引用⑫の最後の文「修静、目(な)をなすこと、すでにこれ大偽なり。今、玄都録、またこれ偽中の偽なり」(同396頁)に見たい。つまり、老子・周公・孔子たちはまさに仏弟子として教化をした、けれどもその教えが後代の道士たちによって、邪偽なる思想へと変質させられてしまっている。このように理解すべきではないか。すでに引用された『末法灯明記』には、仏滅後六百年に至って「九十五種の外道競い起こらん」(同361頁)とあったが、それが像法・末法へという時代の推移の一つの表れなのである。
 これまでの『弁正論』引用が問題としていたのは、実は老子・孔子そのものではなく、例えば「何の典拠ありてか」(同389頁)とか「みだりに八百八十四巻を註して」(同395頁)といった言葉が示すように、老子などに関わる諸典籍の恣意的運用であり、あくまで当時の道士への批判であった。このように見ると、この後に『教行信証』唯一の外典として引かれる『論語』も、実は仏意を伝えた書として読む視座が生まれることであろう。
 仏意を伝えようとした老子・孔子の教えは、後代には単なる世間的な善を説く思想と理解され、かえってその立場から仏教が批判されることになってしまっている。それゆえ、それは「ただこれ世間の善」であり、凡夫を聖者へと転じさせることができない。そうであるから、公郷(高位高官)・百官(官僚)・侯王(地方の王族)・宗室(天子の一族)に、そのような邪・偽を捨て、真・正に入れと勧めるということになるのである。
ではその思想の問題の中心はどこにあるのか、これを次回見ていきたい。 (文責:親鸞仏教センター)

※『弁正論』引用の全体については『現代と親鸞』第31号(2015年12月1日号)に論文として掲載しています。(出版物紹介のページから見ることができます)

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