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研究活動報告
『西方指南抄』研究会
 親鸞筆『西方指南抄』の第一に収められる『法然聖人御説法事』(以下、御説法事と略記)は、主著『選択集』と比べると雑然とした感もある。しかし、そこには法然(1133~1212)が逡巡(しゅんじゅん)した跡――つまりは法然の問い、宗教的課題が見え隠れしている。ある意味では「回答書」とも言える『選択集』が現れた意義を正確に知るためには、その背景にある法然の問題意識こそ正確に知る必要があるのではないだろうか。ここでは、「廃立(はいりゅう)」を取り上げ、『御説法事』から見る『選択集』考究の一例を示したい。

※以下、引用テキストは『定本 親鸞聖人全集』(=定親全)、『昭和新修 法然上人全集』(=昭法全)によった。

「私釈」か「善導の釈意」か
  ―「廃立」から見る法然の逡巡―


 親鸞仏教センター研究員   中村   玲太
1「廃立」に関する「私釈」の認識
 法然は『御説法事』(定親全五、90~92頁)で、「当座の導師、私に一つの釈をつくり候」として、『大経』三輩(さんぱい)段の「一向」を解釈しながら、「廃立」――余行が説かれたのは、それを捨て念仏一行に帰さしめるため、という法然思想の核心を語っていく。さて、この三輩段の「一向」の問題については、『選択集』でも詳しく語られるところである。注視したいのは、『御説法事』と『選択集』の差異である。特に本論で問題としたい差異は、『選択集』にはない、「当座の導師、私に一つの釈をつくり候」という法然の一言である。

 法然は「私に一つの釈をつくり」としているが、具体的には何が「私釈」、つまり浄土教の先達(せんだつ)が言及していない新たな思索だと考えていたのだろうか。三輩段は「念仏往生」を説くものだ、という説だけならば、『御説法事』で法然も指摘する善導『観念法門』に主張されるところである。三輩段を念仏往生が説かれたものだと論ずるだけならば、特段、法然が「私釈」だと喚起する主張とまでは言えまい――特に法然の認識としては、あくまで善導の教示するところだ、ということになろう。

  では、法然の考える「私釈」とは何か。それは、『御説法事』で三輩段を念仏往生が説かれたものだと確認、前提としたうえで、典拠もなく論じられる「廃立」、「助正」、「傍正」の三義であろう。この三義は言わば、念仏往生を明らかにしたのが三輩段だとして、その三輩段に菩提心等の諸行が併せて説かれた所以(ゆえん)を説明したものである。さらに言えば、法然は最後に「この三つの義の中には、ただはじめの義を正とす」として、自らの選びとして初めに挙げた「廃立」の義を「正」と断定するのであるから、この結論こそ法然が独自の見解として示す「私釈」だと推察される。
2「廃立」と善導
 以上の問題を『選択集』との対比から考えたい。『選択集』(昭法全、322頁)でも、『観念法門』の説示だけでは解決し得ない念仏と諸行の問題があることを熟知し、そのうえで新たな思索に踏み出そうとする法然の様相が伺える。ここまでであれば『御説法事』と大差はない。しかし、『選択集』では、「……なんぞ余行を棄ててただ念仏といふや」という問いに対して、「廃立」、「助正」、「傍正」の三義をもって答えるなか、その第一の「廃立」について以下のように始めている。

一に諸行を廃して念仏に帰せしめんが為に諸行を説くとは、善導『観経疏』中の「上来、雖説定散両門之益、望仏本願意在衆生一向専称弥陀仏名」(上来、定散両門の益を説くと雖も、仏の本願の意に望むれば、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り。)の釈意に准ず。 (昭法全、323頁)
 法然は「廃立」を説く冒頭から「善導『観経疏』」という根拠を明示して始める。そして、ここから「廃立」をはじめとした三義を説き終えて、「 今もし善導に依らば、初(=「廃立」の義)を以て正と為すのみ」(昭法全、324頁)と結論するのである。法然は、善導をもってして「廃立」の義を示し、そこに立脚する自己の立場を表明する。この「廃立」に関する表明は、法然の「私釈」の範疇(はんちゅう)ではなく(範疇にとどまらず)、明らかに善導の「釈意」に基づくものだと法然は認識している。

 以上、『選択集』の「廃立」における善導の位置を確認したが、ここに『御説法事』と大きな差異がある。それは、上述の『御説法事』は「廃立」についての根拠が善導にあるとは示していなかった。あくまで三輩段に念仏往生が説かれている論理的根拠として考えられているだけであった。対して、『選択集』は、善導『観経疏』散善義の文こそが「廃立」を成り立たせるものであるとする。

 念仏を「選択」するというのは弥陀が主体であり、弥陀の本願に念仏以外は誓われていない、というのが念仏一つを帰すべきところとして独立する「浄土宗」の枢要である。こうした法然の思想には解決しなければならないことがある。それは、弥陀の本願では念仏以外誓われていないのにもかかわらず、なぜ『大無量寿経』(あるいは『観無量寿経』)には念仏と並んで諸行による往生が説かれるのか、という問題である。「選択」の思想に対して、「廃立」とはこの問題への法然の回答を示したものである。「選択」の表明も、「廃立」をもって完成を見ると言えるのである。

 この「選択」を根幹で支える「廃立」が善導に依るところだ、と論じることは法然の至上命題であったはずである。『御説法事』で「廃立」の義を表明した後、それが単なる「私釈」にとどまるものか否かの逡巡があり、その問題意識をもって『選択集』を著したと考えられる。『選択集』は『御説法事』(のもととなる筆録)を下地にしたものだと指摘されるが(兼岩和広「『選擇集』と『逆修説法』」:『佛教大学大学院紀要』28号〔2000〕参照)、おそらく法然は過去の自己の主張を鑑みつつ、善導『観経疏』散善義の「上来、雖説定散両門之益……」の文こそ「廃立」の典拠になり得るものだと確信した――思い直したのであろう。
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