親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 研究活動報告 > 「『教行信証』と善導」研究会会
研究活動報告
「『教行信証』と善導」研究会
 親鸞は「行巻」の大行釈に、善導著作から合計十文を引用し、これを結ぶ箇所には『観経疏』の六字釈(言南無釈)を解説する自釈(南無之言釈)を配置している。ただ従来の『教行信証』の読解は随文解釈的であり、1 つの引文に1 つの主題を見る傾向が強い。そのため引文相互の関連や展開については、十分な注意が払われてこなかった。そこで本研究会では、近年の研究成果を踏まえながら、大行釈の善導引文の構造について、試論を提示した。
 ※ 引用文の出典は、『昭和新脩法然上人全集』=『昭法全』、『定本親鸞聖人全集』=『定親全』と略記した。
「行巻」大行釈における善導引文の展開について
1、問題設定の妥当性
 親鸞は「行巻」の大行釈において、七祖の引文を年代順に配置している。しかし、善導著作の配列は、著作の成立順であるとは考えられない。
 もちろん善導著作の成立年代は、書誌学的には確定していない。しかし、親鸞の師・源空は『善導十徳』において、

礼讃、観念法門等、源は此の疏(『観経疏』)の意より出でたり。もし此の疏の霊夢証定なかりせば、礼讃、観念法門、何ぞ必ずしも之を用いんや。 (括弧内筆者『昭法全』830頁)

と述べており、善導思想の根源に「霊夢証定」を見ている。親鸞が引用の基準を、時間軸や善導の思想展開に置いていたのであれば、「行巻」でも『観経疏』から引用が始められていただろう。しかし、実際は、そうなっていない。ここには別の基準、別の理由があったと考えるべきである。
2、引文の展開を見る視座
 近年の『教行信証』研究において、引文の展開を読み解くうえで注目されているのが、「已上」や「乃至」等の引文指示語である。特に「已上」や「已上抄要」等の記号は、文意の区切れを示していると指摘されている。そして、このような視座を基準にすると、大行釈の善導引文は、以下の5 つに区分することができる。
A

・『往生礼讃』「前序」一行三昧の文 → 已上

B

・『 往生礼讃』「日没讃」阿弥陀仏の名義の文 → 已上

C

・『 往生礼讃』「初夜讃」第一偈、第十七偈、第十八偈の文
・『往生礼讃』「後序」善知識の文 → 已上

D

・『往生礼讃』「後序」現世利益の文
・『観経疏』「玄義分」序題門の文
・『観経疏』「玄義分」和会門の文
・『観念法門』「五縁功徳分」摂生増上縁の文
・『 観念法門』「五縁功徳分」証生増上縁の文 → 已上

E

・『般舟讃』の文 → 已上抄要

 このように、引文指示語を基準にすると、著作の違いや引用箇所の違いは、必ずしも文意の切れ目を意味するものであるとは言えないだろう。本稿では特にからへの展開について注目してみたい。
3、増上縁と六字釈
 に挙げた5 つの文を1つの引文群として見た場合、「増上の誓願」や「増上縁」という言葉が繰り返し使われていることに気づく。
 まず、『往生礼讃』「後序」の文だが、ここでは現生に実現する称名の利益について、問答がなされている。ここで善導は「滅罪」や「護念」の利益を挙げた後に、いわゆる本願加減の文を置き、

彼の仏、今現に在(ましま)して成仏したまえり。当(まさ)に知るべし。本誓重願、虚(むな)しからず。衆生称念すれば、必ず往生を得(う)と。 (「定親全」1・45頁)

と述べる。そして『阿弥陀経』の六方段を挙げ、この教説が一切諸仏の証誠護念するところであることを示して、

今既に此の増上の誓願います、憑(たのむ)べし。諸の仏子等、何ぞ意を励まして去かざらんや、と。 (『定親全』1 ・47頁)

と結ぶのである。これは「行巻」の展開としては、善導が釈迦・諸仏の称名を受けて、自らもまた名号を称讃し、往生を勧励する者となったことを示すものだろう。
 次に親鸞は、『観経疏』から2 文を引用する。1 つは、「阿弥陀仏の大願業力」が「増上縁」となることによって、「一切善悪の凡夫」に往生が実現することを明示するものであり、もう1 つは善導の六字釈である。
 この六字釈に対して親鸞が、

南無の言は帰命なり。(中略)帰命は、本願招喚(しょうかん)の勅命なり。 (中略筆者『定親全』1 ・48頁)

という独自の理解を示していることは、よく知られている。しかし、『観経疏』引文までの展開だけで、この結論は導けないだろう。むしろ、名号の意味を決定的に転換させているのは、『観念法門』以降の展開であると考えられる。
 親鸞は『観念法門』から、摂生増上縁と証生増上縁の文を、1 文ずつ引いている。ただ後者は、経文の部分を引用していない。これは、摂生増上縁に引かれた本願文が、そのまま証生増上縁の意味を併せもつということであろう。
 なお、証生は『観念法門』の文脈では、「得生を保証する」という意味である。しかし、「行巻」の文脈では、「善悪の凡夫」に「尽(ことごと)く往生を得しめんと欲す」如来の意欲として読むことができる。
 また増上縁について親鸞は、

弥陀の本弘誓願を
   増上縁となづけたり (『定親全』2 ・和讃篇・112頁)

と述べているため、本願力そのものとしてとらえていたと考えられる。
 そして、この証生という本願のはたらきの具体性を示しているのが、の『般舟讃』引文であろう。ここでは、衆生に「弥陀の号」「弥陀弘誓の門」を選び取らせるために、釈尊はあえて八万四千の法門を説いたのだとされる。つまり、あらゆる仏説とは本質的に、衆生に名号を与え、「往生を得しめん」とする、如来の意欲から生まれたものなのである。
 親鸞が「帰命は本願招喚の勅命なり」と述べるのは、以上の文脈を踏まえた直後である。そうである以上、諸仏の発遣を生み出す証生のはたらきと別に、「本願招喚の勅命」があると考えるべきではないだろう。われわれが名号を聞き得るのは、諸仏の教言を通してのみである。そのため親鸞は、諸仏の教言を生み出す名号の根元的な意味を、「本願招喚の勅命」という言葉で言い当てたのではないだろうか。
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス