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研究活動報告
「『教行信証』と善導」研究会
 『教行信証』「信巻」に引用される善導の三心釈は、親鸞の信心観に大きな影響を与えたものである。しかし善導の三心釈に注目したのは、何も親鸞が最初ではない。中国・唐代から日本の鎌倉時代に至るまで、三心釈はさまざまな著作に影響を与えているのである。そこで本研究会では、親鸞の三心釈理解の独自性を考える前提として、三心釈の受容史を追跡した。ここでは特に、唐代の浄土教文献である『念仏鏡』の、三心釈受容について紹介したい。
『念仏鏡』について

親鸞仏教センター研究員
青柳 英司

1 、『念仏鏡』の概要
 善導(613-681)の直弟子である懐感(えかん)(639?-699)の『群疑論』には、三心釈に関する直接の言及は見られない。智昇(生没年不詳)の『集諸経礼懺儀(らいさんぎ)』は、三心釈を有する善導の『往生礼讃』を全文にわたって収録しているが、浄土教思想を論ずる性格の著作ではない。これに対して、道鏡(生没年不詳)と善道(生没年不詳)の共著になる『念仏鏡』は、現存する著作としては最も早く、善導の三心釈を思想的な文脈で受容したものである。
 本書の造意について、その冒頭には以下のように述べられている。

今、念仏鏡は念仏の人を照明し、永く疑惑を断ずる者なり。之に依って奉行すれば、必ず苦輪を出ず。 (『大正蔵』47・121頁・a)

 このように『念仏鏡』は、念仏が「必出苦輪」の法であることを明らかにし、浄土教に対する疑惑を断ち切ることを目的としたものである。特に「第十釈衆疑惑門」では三階(さんがい)教や弥勒信仰、禅宗などを批判し、浄土教の優越性を顕示するものとなっている。

2 、『念仏鏡』の三心釈受容
 本書が『観経』の三心に言及するのは、「第一勧進念仏門」である。この一段は、

帰信は恒沙(ごうじゃ)の罪を滅し、称念は無量の福を得。凡(およ)そ念仏せんと欲さば、要(かなら)ず信心を起こすべし。若し当に信無くば、空しくして獲る所無かるべし。是の故に経に如是と言うは、信の相なり。 (『大正蔵』47・121頁・b)

とあるように、信心の発起が念仏往生の要となることを明かす箇所である。ここではさまざまなかたちで信心の内容が説示されるが、その中ほどでは『浄土論』の「五念門」、「四修」、『観経』の「三心」が取り上げられる。これは順序が異なるものの、明らかに『往生礼讃』「前序」の影響を受けたものである。その三心の箇所は、以下のとおりである。

上品上生は、若し衆生有りて彼の国に生まれんと願ずれば、三種の心を発して即便(すなわ)ち往生す。何等をか三とする。一には至誠(しじょう)心。二には深(じん)心。三には回向発願(ほつがん)心なり。三心を具すれば、必ず彼の国に生ず。何者か至誠心。身業に専(もっぱ)ら阿弥陀仏を礼す。口業に専ら阿弥陀仏を称す。意業に専ら阿弥陀仏を信ず。乃至、浄土に往生して成仏まで已来(このかた)、退転を生ぜず。故に至誠心と名づく。深心は即ち是、真実の信を起こす。専ら仏名を念じ、誓いて浄土に生ず。成仏を期と為して、終に再び疑わず。故に深心と名づく。回向発願心は、所有の礼念の功徳をもて、唯(ただ)浄土に往生して速やかに無上菩提を成ずることを願う。故に回向発願心と名づく。此れは是、観経の中の上品上生の法なり。 (『大正蔵』47・122頁・a)

 これを『往生礼讃』所説の三心釈と比較すると、次のような特徴を見出(いだ)すことができる。まず『念仏鏡』は、「至誠心」を真実心とはしない。しかし、深心を「真実起信」としているため、信心の要素として「真実」を見ていないわけではない。
 むしろ問題は「深心」である。『念仏鏡』の釈相からは、二種深心という概念が窺(うかが)えない。もちろん凡夫の往生は否定されないし、滅罪の問題にも言及される。しかし「罪悪生死の凡夫」という自覚が、信心の内容とはされない。
 また、法の深信の部分に関しても、「本願力に乗ずる」という表現は、直接には見られない。もちろん『念仏鏡』には「第二自力他力門」という章が置かれ、

念仏の法門は、阿弥陀仏の本願力に乗ずるに由るが故に、速やかに疾く成仏す。余門に超過すること百千万倍なり。 (『大正蔵』47・122頁・c―123頁・a)

と述べられている。そのため本書が、他力・本願力を無視しているとは言えないだろう。ただ『念仏鏡』の言う「念仏」とは、称名に限るものではない。

又、無量寿経論に云わく。念仏に五種の門あり。何者をか五と為す。一には礼拝門。身業に専ら阿弥陀仏を礼す。二には讃嘆(さんだん)門。口業に専ら阿弥陀仏の名号を称す。三には作願(さがん)門。所有の礼念の功徳をもて、唯極楽世界に生まれんことを願求す。四には観察(かんざつ)門。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に唯、阿弥陀仏を観察し、速やかに浄土に生まれしむ。五には回向門。但、念仏・礼仏の功徳、唯浄土に往生して速やかに無上菩提を成ぜんと願ず。此れは是、無量寿経論の中の念仏法門なり。  (『大正蔵』47・121頁・c)

 このように『浄土論』所説の「五念門」全体が、「念仏」と位置づけられている。また本書でも、『往生礼讃』と同様に「一行三昧」に対する言及は見られるが、「観察」と「称名」の優劣を論じる文脈にはなっていない。つまり『念仏鏡』の「念仏」とはさまざまな実践を包摂(ほうせつ)するものであり、本書の語る「信心」も、それらの実践を通して専ら浄土を願生することが内容とされていると言えるだろう。

3 、小結
 以上のように『念仏鏡』は、明らかに善導思想の影響下に成立した著作であり、信心を往生・成仏の要としている。しかし、その信心の内容として機の自覚は語られず、称名念仏の専修も強調されない。この理由は不明だが、本書が機の自覚を語らないのは、三階教を意識してのことかもしれない。三階教の中心思想の1つである「認悪」は、自己一身に徹底して悪を認めていくものであり、一見すると機の深信に類似している。しかし三階教は当時、国家による禁圧を受けていた。さらに『念仏鏡』は、三階教を厳しく批判している。本書が機の自覚を強調しなかった背景には、このような当時の思想状況が関係している可能性もあるだろう。

(文責:親鸞仏教センター)

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