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研究活動報告
「『教行信証』と善導」研究会
 2018年2月27日、大谷大学講師の藤元雅文氏をお招きし、「『愚禿鈔』における『観経疏』三心釈の推究」というテーマのもと、研究会を開催した。
 親鸞の善導理解を考える場合、師・法然の思想的影響は看過できない。そして『愚禿鈔』は『選択集』に直接する内容をもち、かつ下巻では『観経疏』の三心釈を取り上げている。親鸞思想における善導・法然の影響を考える場合、本鈔は無視することのできない著作である。ただ『愚禿鈔』の著述形式は極めて独特のものであり、読解は容易でない。そこで本研究会では、近年『愚禿鈔』に関する論考を多数発表されている藤元氏をお招きし、問題提起をいただいた。ここに、その一端を報告する。(親鸞仏教センター研究員 青柳 英司)
『愚禿鈔』における『観経疏』三心釈の推究

大谷大学講師
藤元 雅文氏

1、『愚禿鈔』の位置付け
 まず『愚禿鈔』の撰述(せんじゅつ)時期についてですが、先行研究は大きく二つの意見に分かれます。一つは吉水修学中の記録か、それに後年、加筆訂正を加えたものだとする説です。『愚禿鈔』は『選択集』と密接に関わる内容をもつため、『教行信証』に先立つ著作であると考える先学は少なくありません。もう一つは奥書の日付から、親鸞晩年の著作だとする説です。『愚禿鈔』には親鸞の真筆が残っていません。ですが最古の写本である顕智書写本には、建長7年(1255年、親鸞83歳)の識語が見られます。私はこの記述を尊重し、「同朋のゆるぎない信心の確立をおもう宗祖の切実な願いに基づく著作」(藤原幸章『愚禿鈔講叢』69頁)として『愚禿鈔』を位置づけ、特に今回は、下巻の三心釈を中心に読み進めたいと思います。

2、親鸞晩年の課題状況
 親鸞の晩年には、法然(1133-1212)の弟子を名乗る人たちによって、『選択集』の内容が誤解されていくという状況がありました。そのために関東の親鸞の門弟たちにも、混乱が生じていたと考えられます。今回は特に、親鸞と異なる『選択集』理解をもち、関東において積極的な布教を展開した人物として、浄土宗鎮西派の第三祖・良忠(1199-1287)を取り上げてみたいと思います。彼は『浄土大意鈔』という著作の中で、『観経』の三心について、次のように述べています。

    此の三心は行者の心根也。(『浄土宗全書』10・717頁)

 このように良忠は『観経』の三心を、あくまでも衆生の心であると理解します。しかも彼は、証空(1177-1247)や隆寛(1148-1228)、親鸞のような他力信心の思想があることを知っており、そこに反論を加えていくのです。親鸞が『愚禿鈔』を撰述する背景には、このような思想的状況があったことを確認しておく必要があると思います。

3、『愚禿鈔』撰述の視座
 親鸞は『愚禿鈔』の冒頭に、

    聞賢者信 顕愚禿心 賢者信 内賢外愚也 愚禿心 内愚外賢也(『定親全』二・漢文篇・3頁)

と記しています。ここで「賢者」と呼ばれているのは、端的には法然でしょう。そして「賢者の信」を聞くということは、「内愚外賢」の愚禿の心が徹底して顕(あきら)かにされていくということの他はありません。換言すれば、親鸞にとって「賢者」法然の「信」とは、理想とするべき信の在り方ではないということです。親鸞は師・法然のようになろうとしたのではなく、自身と法然との差異を抉剔(けってき)することによって、法然との出遇(あ)いの意味を明確化しようとしたのでしょう。『愚禿鈔』はこのような、「賢者の信」にはなり得ないという自覚から撰述された書物なのです。
 しかし良忠は『選択伝弘決疑鈔』の中で、次のように述べています。

    賢を見て斉しからんことを思へば、愚なりと雖(いえど)も是賢なり。(『浄土宗全書』7・275頁)

 良忠はどこまでも、愚者に「賢」が実現すると考えます。『愚禿鈔』撰述の背景には、このような理解に留まってはいけないという親鸞の強い課題意識があると、言い切ってよいのではないかと思います。

4、『愚禿鈔』における三心釈推究
 ここでは特に、至誠心釈に注目したいと思います。まず法然は『三部経大意』の中で、自力で往生を願う至誠心と、他力に乗じて往生を願う至誠心との二つがあると、述べています。至誠心には念仏と諸行に関わる部分があるので、それを分けて考えるべきだと言うのです。
 これに対して良忠は、三心を衆生の心として理解しました。しかし隆寛や親鸞は、三心に他力という意味を見ていきます。至誠心釈の場合も同様で、親鸞は真実心の根拠を本願の側に置き、衆生の側にはないことを強調します。つまり、親鸞は至誠心釈の本意を、衆生の自力を励ますという点には見なかったのです。そのため『愚禿鈔』でも、「真実にはなり得ない我が身の事実をしっかりと見よ」という教えとして、至誠心釈が読まれていると見るべきでしょう。  

5、『愚禿鈔』における『観経』三心と『大経』三信
 親鸞は『愚禿鈔』の結びにおいて、『観経』の三心と『大経』の三信の関係について、言及しています。『観経』の三心は、浄土を願生する衆生が自力によってそれぞれ発起するものであり、「自利の三心」と呼ばれるものです。『大経』の三信は、如来の本願力を根拠にして成り立つ真実信であり、「利他の三信」と呼ばれるものです。そして親鸞は、「『観経』の三心は『大経』の三信に帰せしめんがため」であると述べています。つまり、親鸞は『観経』において、「自力で三心を発せ」と命じられることによって初めて、「愚禿心内愚外賢也」という事実が、衆生の上に一点のあいまいさもなく明瞭になると考えていたのでしょう。このような『観経』の教えの意義を伝えようとしている著作が、『愚禿鈔』なのです。

(文責:親鸞仏教センター)

藤元 雅文(ふじもと まさふみ)氏
大谷大学講師
 1972年静岡県生まれ。1996年3 月東北大学文学部哲学科卒業。2005年3 月大谷大学大学院文学研究科博士後期課程真宗学専攻満期退学。 2007年3 月博士(文学)(大谷大学)。大谷大学任期制助手を経て、2007年より大谷大学講師。
 論文に「親鸞における「信」と「疑」―信楽と疑蓋」(『親鸞聖人七百五十回御遠忌記念論集 『教行信証』の研究』、筑摩書房、2011年)、「一乗釈と『教行信証』の課題」(『親鸞教学』第98号、大谷大学真宗学会、2012年)、「『愚禿鈔』における法然教学の受容と展開―「弘願一乗」の開顕を視座として―」(『大谷学報』第93巻第2 号、大谷学会、2014年)、「『愚禿鈔』における「二種深信」についての一考察」(『親鸞教学』第106号、大谷大学真宗学会、2016年)、「『愚禿鈔』における浄土観」(『真宗教学研究』第38号、真宗教学学会、2017年)など多数。
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