親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 「三宝としてのサンガ論」研究会
研究活動報告
「三宝としてのサンガ論」研究会
  2017年6月から始まった「三宝としてのサンガ論」研究会は、現代日本や真宗という仏道において、そこに現前するサンガとは何か、さらには三宝帰依をどう位置づけていくのかという課題に向かって、思索を重ねることを目的として開催されている。本研究の問題領域や方法論は広くさまざまにありうるが、その第一の段階として、釈尊やそのサンガの形成を学ぶという視点から律蔵文献に注目することを試みた。

「大比丘衆千二百五十人」形成とその背景

親鸞仏教センター研究員 戸次 顕彰
■ 使用テキストおよび参考文献
 律蔵文献の中、たとえば漢訳『四分律』には「受戒犍度(じゅかいけんど)」と呼ばれる章があり、釈尊の家系や誕生・出家の記事に始まり、王舎城(羅閲城)へ行きビンビサーラ王と出会い、その後、アーラーラカーラーマ(阿藍迦藍)・ウッダカラーマプッタ(欝頭藍子)のもとへ、さらには六年間の苦行を経て、成道・初転法輪へという仏伝が記録される。他に、同様の体裁を有する文献には漢訳『五分律』(「受戒法」)・パーリの律(本研究会では畝部俊英訳「成道から伝道へ(律蔵・大品一~二四)」[『ブッダの生涯』原始仏典第1 巻、講談社、1985]を参照)があり、これらも適宜参照しつつ、釈尊のサンガの形成について考察した。
 諸律には内容に若干の異同があり、またパーリの律は成道から記述が開始されるという点において漢訳との相違が見られるが、次の点において一致していることが注目される。①三帰依の対象たる三宝の「僧」は、初転法輪以降に成立していること、②「受戒犍度」後半部分は「和尚と弟子の制度」や「さまざまな出家規則」の制定などの教育・受戒に関わる事柄であり、その分岐点となるのがいわゆる「大比丘衆千二百五十人」集団の形成にある、という2点である。①について補足すれば、初転法輪以前に在家信者として釈尊に帰依する者の受戒法が二帰依であり、初転法輪以降の在家者の帰依が僧宝を含めた三帰依に変遷しているということから、初転法輪の前と後は「僧宝」成立の以前と以後であると言い換えることができる。
 そこで「受戒犍度」をあえて三分割し、初転法輪以前を第一部、初転法輪から「千二百五十人」集団の形成までを第二部、教育・受戒に関する諸規定が説かれる後半部分を第三部として、本研究会では第二部までを読み進め、若干の考察を試みたという次第である。
 なお、以上の考察を進めていく際に、これまで蓄積されてきた先学の視点や研究成果を随時参照した。特に重要な視座をいただいた主な参考文献をここに五十音順で挙げる。


佐々木閑 『出家とはなにか』(大蔵出版、1999)
中村 元 『ゴータマ・ブッダⅠ』(中村元選集[決定版]第11巻、春秋社、1992)
平川 彰 「仏伝より見た受戒犍度の新古」(平川彰著作集第10巻『律蔵の研究Ⅱ』春秋社、2000)※初出は1960年
森 章司 「「釈尊のサンガ」論」(「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇No.13『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究』【13】2008)および「サンガと律蔵諸規定の形成過程」(「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇No.18『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究』【18】2013)をはじめとする釈尊伝研究会の一連の研究成果


次に、本研究会での仏典読解の中で注目された三点の事柄を報告したい。
■ 初転法輪をめぐって
 釈尊の生涯における初転法輪は、当初説法を躊躇(ちゅうちょ)した釈尊が、梵天の要請によって初めて教えを説き、その法が仏弟子によって初めて受け止められたという点に大きな意義がある。また、これを漢訳の律文献が章名とする「受戒」という点から言えば、「来たれ比丘よ」という呼びかけによって具足戒を得た比丘が仏教史上初めて登場した重要な場面である。
 さらに生活の様相として重要なことは、乞食(こつじき)による共同生活が開始されたことも初転法輪の大きな意義である。『四分律』には「時に世尊、三人のために法を説かば、二人は乞食し、二人の得る所の食、六人共に食するに足る。若し世尊、五人中二人のために法を説かば、三人は乞食し、三人の得る所の食、六人共に食するに足る。爾(そ)の時世尊、五比丘に勧喩し、漸漸に教訓し、歓喜心を発さしむ」(大正22、789上)とあり、初転法輪によって誕生した六人の集団が乞食によって食を得て、それを共有するという生活の様相を確認できる。『五分律』では五比丘の受戒シーンの一々において、受戒の成立と同時に剃髪(ていはつ)や袈裟の着用、鉢の所持の確認が見られる。釈尊と共に生きる集団の生活の営みが開始された点にも初転法輪の重要な意義があるといえる。
■ ヤサとその友人の出家をめぐって
 「初転法輪」記事に続いて記録されるのは、ヤサとその友人たちの出家記事である。これをサンガの形成という視点で見ていく際、青年の出家の背後には、その父母や配偶者ら家族の悲しみが存在していることが興味深い。その象徴的シーンがヤサの出家をめぐる一連の文脈であった。またこの問題は、あらためて釈尊の出家記事を読み直してみても、父・浄飯王において同様であったことが確認できる。サンガとしてやがてこの問題は、やや規模が大きくなった後に王舎城で人々から非難の声が出るという事態にまで展開した。さらには釈尊の息子・羅睺羅(らごら)の出家をめぐる浄飯王の要請もあり、出家に際しては父母の許可が必要であるという受戒規則が制定されるに至ったのである。
■ 「大比丘衆千二百五十人」の形成とその意義
 初転法輪で五比丘が帰依して以降、サンガの規模は少しずつ大きくなっていくが、あるとき人数の面で劇的な変化が起きた。それが、事火外道のウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの三兄弟およびその弟子たちの計千人と、王舎城で帰依したサンジャヤの徒衆二百五十人による釈尊への帰依ならびに出家である。この合計人数「千二百五十人」は、釈尊の説法の会座に集まった人数として経典冒頭にしばしば見られるように、大比丘衆を表現するときの象徴的な数でもある。
 この「千二百五十人」集団の形成によって、二つの問題が生じる。一つは行儀の乱れであり、もう一つが病比丘に看病する者がおらず亡くなってしまったという事態である。これによって律蔵「受戒犍度」の後半では、教育や受戒の諸規則が制定されていくという流れになっている。すなわち、「受戒犍度」を構造的に読み解く際、千二百五十人の出家が釈尊のサンガ形成過程において大きな分岐点となっているのである。

(文責:親鸞仏教センター)

Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス