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ブックレビュー(書評)
2017年3月
『種田山頭火』
  村上護編 著    [山頭火文庫(全五巻)春陽堂書店、2011年]

 アフォリズムというものは、われわれが歩みを進めるうえでピシリと鞭を入れてくれる“知恵の宝庫”であろう。その名手として鳴らしたのは、ブレーズ・パスカルであり、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーであり、フリードリヒ・ニーチェといった近代西欧の思想家たちである。わけてもパスカルの「気を紛らすということ。ひとは死と悲惨と無知とを癒しえないと、楽になろうとしてそういうものを考えないようにしたのである(Divertissement. Les hommes n'ayant pu guérir la mort, la misére, l'ignorance, ils se sont avisés, pour se rendre heureux, de n'y point penser.)」(『パンセ』第二章「神なき人間の悲惨」)は、かくも端的に生死の厳粛さを知らしめるものか、と戦慄(りつ)すら覚える。

 ただ、「アフォリズム」とはどのように和訳すればよいのだろうか。「格言」や「警句」、あるいは「人生訓」とも訳せるが、いずれも堅い言い方である。アフォリズムには、鋭い切れ味にもどこかざっかけないところがある。とすると、日本文学のどういったものをアフォリズムと呼ぶことができるのか、いささか当惑してしまうというのが、偽らざる感覚である。

 そんななか、種田山頭火は、実に内省的なアフォリズムを遺した俳人と言えるように思う。山頭火の句の数々には、高校生のときに出逢って以来、私はどれほど支えられたか知れない。

いろんな夢を見た、よい夢、わるい夢、懺悔の夢、故郷の夢、青春の夢、少年の夢、家庭の夢、僧院の夢、ずゐぶんいろんな夢を見るものだ。 味ふ――物そのものを味ふ――貧しい人は貧しさに徹する、愚かなものは愚かさに徹する――与へられた、といふよりも持つて生れた性情を尽す――そこに人生、いや、人生の意味があるのぢやあるまいか。  (『行乞記』昭和6年11月9日)
 この一節は、いわば生と死の本質から眼をそらし「気を紛らす」ばかりであることに対して、人生そのものを噛みしめるよう問いかけたもののように思われるのである。

 山頭火は、人間ひとりひとりが“ケチでちっぽけでどうしようもない”という事実を徹底的に見つめ、その棄てようもなく否定しようもない自己をどうにか肯定していこうと苦悶し続けた詩僧であった。苦闘そのものであったその境涯を表した次の一句を、私は終生忘れることができない。


どうしようもないわたしが歩いてゐる(『草木塔』)

飯島 孝良(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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