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ブックレビュー(書評)
2021年12月
『真理のことばの物語集――ダンマパダ・アッタヴァンナナー』第2巻
松村 淳子 訳

[国書刊行会、2021]
 『ダンマパダ』は、常盤大定や友松円諦の翻訳、中村元訳の岩波文庫『真理のことば』の流布も相俟って、殊に親しまれてきた。仏教にふれたいと願うひとが、まず手に取ることの多い経典として、『スッタニパータ』と双璧をなすのではないかと思う。
 しかし、計423の偈から成る、この経典の背景に、さらに数百もの物語が控えている――ということにまで思いを致すひとは、そう多くないはずだ。このたび、全4巻のヴォリュームで松村淳子氏が翻訳した『真理のことばの物語集』は、『ダンマパダ』の一々の言葉がどのような場面で説かれたのか、その因縁を伝える物語集である。
 本書については島薗進氏、平岡聡氏による推薦の言葉があり、本書編集者の今野道隆氏による小気味よい紹介文もすでに公開されている。だから私はここで、心おきなく本文の具体的な箇所に言及し、雑感を述べることができる。

 今回紹介する第2巻は、第44偈から第115偈までの背景を物語る。この巻をなぜ選ぶかといえば、「キサーゴータミーの物語」(第8章第13話)が収録されているからだ。この説話はよく知られており、親鸞仏教センターが属する真宗大谷派とも実は関係する。
 日本の仏教教団は各宗派における、いわば教科書を有する場合がある。主に宗派内の教育に用いられるもので、その宗派がどのように仏教、またはみずからの宗派を捉えているのかを考える際に興味深い。
 大谷派でいえば、広く仏教に関しては『大乗の仏道』、浄土真宗に関しては『浄土の真宗』というテクストがそれに当たる。『大乗の仏道』については別冊の『資料編』が2019年に出版されており、そこに本書所収の「キサーゴータミーの物語」の抄訳が掲載されている(これらは東本願寺出版で手に取ることができる)。キサーゴータミーは悲嘆のなかで真実に気づき、仏弟子となる。求道心が人間に生じることを語る典型として、『資料編』はこの説話を紹介する。キサーゴータミーの物語は、真宗の法話でも耳にすることがままあり、そういった現状を看取してのことでもあろう。

 みずからの息子の死に動揺したキサーゴータミーというひとりの女性が、息子を蘇生させる妙薬はないかと釈尊に問う。この場面が特に知られている。命を終えた者の蘇生など、あろうはずがない。しかし、物語は次のように進む。

「尊師よ、あなたさまは私の息子の薬をご存じだそうです。」
「その通りです。知っています。」
「何をお持ちしたらよいでしょうか。」
「一つまみの芥子の実を持ってきなさい。」
「尊師よ、お持ちします。でも、どの家でもらったらよいでしょうか。」
「息子でも娘でも、誰かがまだ死んだことがない家です。」 (本書、362頁)

 ここで「芥子の実」とあるのは、『資料編』によると「白カラシの種」である。また、本書の注によれば、この「芥子の実」の原語には「目的をなしとげる」という意もあるという。
 息子は足で歩けるようになった頃に命を終えたと記されている。キサーゴータミーは、そのなきがらを「腰に抱えて」、つまり抱っこしたまま、「私の息子の薬を知りませんか」と、人々に尋ね歩いていたのだという。
 ある賢き者が見かねて、彼女に「私は薬を知りません。ですが、薬を知っている人なら知っています」と声をかける。「師がご存じです。行ってお訊ねなさい」と。それで先述のように、彼女は釈尊のもとを訪れたのである。
 さて、多くのひとびとが様々な原因で命を終えていった時代のことである。「誰かがまだ死んだことがない家」は見つからない。どの家も「死んだ人のほうがずっと多い」のだ。キサーゴータミーは彷徨の果てに、そのことに気づく。その時、彼女は息子のなきがらをようやく森のなかにおろし、釈尊を再び訪ねる。
 「あなたは一つまみの芥子の実を手に入れましたか」と、釈尊は語りかける。彼女は答える。「尊師よ、手に入りませんでした。町中で、生きている人より死んだ人のほうが多いのですから」と。そして釈尊は『ダンマパダ』の一句(第114偈)を告げるのである。

不死(涅槃)の境地を見ずに、
百年を生きようとも、
不死の境地を見ての、
一日の命のほうが勝れている。 (同、364頁)

 百年を生きることは稀有である。しかし、「不死」を知るひと時の尊さが説かれる。この一日の重さを忘れまい。このように『ダンマパダ』の一句一句には背景となる物語があるのだ。
 かつて、ある先生から「私たちは仏説の因を知らない」とお聞きしたことを思い出す。仏説の実りのみを聞きかじり、それが生じる苦難に思いを致すことがないという意である。「まんじゅうを食べながらも、まんじゅうをつくるひとの苦労を知らない」とも譬えて言われた。
 命を終えた者が蘇生するはずなどない。言ってしまえば、それだけの真実である。しかし、釈尊はキサーゴータミーの気づきを待つ。訳者の松村氏が述べるように、釈尊は「在家信者だけでなく未信者や外道〔仏道外の求道者のこと〕さらには悪人に対しても、覚りへ導く方法を常に探っておられる」(「刊行にあたって」より)。

 こうも思う。各宗の教えは唐突に見出されたのではない。宗祖方の歩みもまた、釈尊の待機によって実を結んだに違いない。「わが宗かしこし」の思いに執われることなく、先の逸話における賢き者のように、悲嘆に苦しむ者として、共に釈尊に教えを乞う者でありたい。
 本書を含む全4巻に収められる物語は、どれも『ダンマパダ』のひとつひとつの言葉が生じる現場へと私たちをいざなう。仏教徒たちは教えが生じる源泉にまで思いを馳せ、そうして物語が語り出されたのだろう。
 今回はキサーゴータミーの説話のみを取り上げたが、ほかにも仏伝上の人物が多数登場するのは言うまでもない。『歎異抄』第13条「ひとを千人ころしてんや」の典拠とされるアングリマーラも、『ダンマパダ』第173偈が説かれる由縁として、第3巻(第13章第6話)の説話に登場する。アングラマーラの涅槃は月の光に譬えられ、讃嘆される。
 真宗のみならず広く仏教に縁あるひとびとに、さらには多くの文学を愛するひとびとにも、第2巻に限らず読んでいただきたい書である。

東 真行(親鸞仏教センター研究員)

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