曹洞宗八屋山普門寺住職
相愛大学非常勤講師
吉村 昇洋
(YOSHIMURA Shoyo)
マンガやアニメにおいて、仏教的な営みが表現されることは多々ある。例えば、現在大人気連載中の遠藤達哉『SPY×FAMILY』のアニメ版(Ⅰ期第10話「ドッジボール大作戦」)において、主人公の小学生アーニャがドッジボールの特訓を行う際にイメージトレーニングと称して坐禅を組んだり滝に打たれたりするいわゆる”仏道修行”の姿が描かれたし(原作マンガでは描かれていないが…)、澄守彩のライトノベルが原作の高橋愛『実は俺、最強でした?』では、魔法使いの少女がアンデッドのモンスターを倒した後、「なむなむなのです…」と目を閉じて手を合わせる、“仏教的な供養”を思わせるシーンも出てくる。
これらは、日本の文化に慣れ親しんだ読者であれば、サッと読み飛ばしてしまうほど自然な表現となっているが、仏教文化をまったく知らない人からすると、宗教的な何かをしているのかなと察するのが精一杯であろう。
このように、日常に馴染んだ仏教的行為が結果として、日本のマンガのワンシーンに反映される一方で、より自覚的に仏教を前面に押し出す作品群もある。わたしはそれを“仏教マンガ”と呼び、次の図に示すとおり、ストーリー構造の側面から4つに分類している。つまり、仏教マンガとは、この4要素の最低1つを少しでも含む作品となる。
【Ⅰ】釈尊・仏教者(祖師方・名僧及び信者、仏師など)の伝記、仏教史、教団史 (手塚治虫『ブッダ』、坂口尚『あっかんべェ一休』、さいとう・たかを『運慶 天空をつらぬく轍』など)
【Ⅱ】仏教説話、仏教思想、仏教教理、仏教哲学、仏教用語、行持、仏事 (蔡志忠『マンガ 禅の思想』、近藤丸『ヤンキーと住職』、今西精二『まんが電爺さん 真宗門徒の生活』など)
【Ⅲ】現代の仏教者(及びその環境)の実情・生活 (きづきあきら・サトウナンキ『まんまんちゃん、あん。』、能條純一〔原作:永福一成〕『月をさすゆび』、岡野玲子『ファンシイダンス』など)
【Ⅳ】仏教関連のキャラや世界観を使用するも仏教に主軸はない (荻野真『孔雀王』、江口夏実『鬼灯の冷徹』、武井宏之『仏ゾーン』、吉岡公威『てんぷる』など)
この分類を見てピンと来た方もおられるだろうが、仏教に主軸を置かない【Ⅳ】は別として、【Ⅰ】、【Ⅱ】、【Ⅲ】は、仏教者が帰依すべき仏法僧の三宝と対応関係にある。ちなみに、「仏」は覚りを開かれた釈尊という存在、「法」は仏の教え、「僧」は仏弟子の集団であるサンガのことであり、仏教者の3つの大切な拠り所という意味で「三宝」と呼ばれている。
この他にも、直接仏教のモチーフが出てきていないものの、内容に“仏教らしさ”を感じる作品を仏教マンガに含める研究者もいるが、その場合、他宗教/思想との差異を明確に出来ない場合が多く、読み手の推測をベースとせざるを得ないので、絵なり文章なりの客観的な指標によって判断するにとどめたい。また、ここでは伝統仏教教団の範囲内の作品を研究対象としており、通仏教的な内容(例えば、特定の経典の解説)を除き、仏教系新宗教及び新新宗教の作品は除外している。
それを踏まえて、次にこちらのグラフをご覧いただこう。
【累計冊数】各タイトルの最終的な巻数(全○巻)を第1巻が発行された年代で集計
【仏教系出版社】仏教教団の所有する出版社、仏教や宗教の専門書を主に発行する出版社が仏教マンガを発行した数
【一般出版社】一般書を主に発行する出版社が仏教マンガを発行した数
早速グラフを眺めてみると、80年代に第一次仏教マンガブームが起きているように思える。しかも、仏教系出版社の発行数が他年代よりも多いので、突然、たくさんの仏教系出版社がこぞって仏教マンガを世に送り出したかのように見えるが、これは鈴木出版が出した『仏教コミックス』(原作:ひろさちや、作画:漫画家多数参加)というシリーズ物の影響によるものであり、たった1社による一大プロジェクトにグラフの高低が大きく左右されてしまっている。ゆえに、この時はブームとまでは言えないわけだが、2010年代に仏教系出版社の発行数減少と反比例するように、一般出版社がこれまでになく、より多くの仏教マンガのタイトルを世に送り出した現象は、マンガ市場全体から見れば零細の極みではあるものの、ちょっとした仏教マンガブームが起きていたと言ってよいだろう。
実は、マンガを含め出版業界の市場規模は、1995~96年頃をピークに急激に縮小している。そう考えると、一般出版社発行の仏教マンガが増え続けている現象は、注目に値する。布教重視で採算をあまり問題にしない教団組織の出版社や、ある程度の固定層を持つ仏教書中心の出版社と違い、一般の出版社は細かい認識の違いはあるにせよ、一定の社会的ニーズが存在する“売れる商品”として仏教マンガを見据えているからだ。これは、布教教化ツールとしての子ども向け仏教マンガしか知らない仏教の内側にいる人にとっては、忘れがちなポイントである。
仏教系出版社が、青少年教化を目的に釈尊や祖師方の伝記や教えを描いたマンガを発行してきたのに対し、一般の出版社は全く別の切り口で作品を展開しているところに特徴がある。
それに関しては、次のグラフを見ていただきたい。
これは、「仏教マンガ分類別の割合の推移」である。これまで発行された仏教マンガを「仏教マンガの4分類」に当てはめ、その割合の推移を示したが、1作品の中に複数の分類を含むものは、より強度の高いもので代表した。
80年代を見てみると、先にも述べたとおり、『仏教コミックス』(鈴木出版)のシリーズの影響が極めて強く、仏教系出版社の発行する仏教マンガが、仏教者の伝記の類である【Ⅰ】と、難しい仏の教えを分かりやすく表現しようと試みる【Ⅱ】に偏る傾向にあることを物語っている。
一方、一般の出版社では、【Ⅰ】や【Ⅱ】がないわけではないが、現代の仏教者の実状を描く【Ⅲ】と、キャラとして仏教者や世界観は出てくるものの主題を仏教に置かない【Ⅳ】の作品が多く見られる。近年の代表作で言えば、宗派が異なる僧侶3人が開いた仏教カフェを舞台にした小林ロク『ぶっカフェ ! 』は【Ⅲ】 に、2023年にアニメ化もされたお寺を舞台にしたお色気ラブコメの吉岡公威『てんぷる』や、荻野真の1985年からお亡くなりになる2019年まで続いた『孔雀王』シリーズなどは【Ⅳ】にあたる。
90年代以降、一般出版社の仏教マンガの発行数が増えるにつれ、【Ⅲ】と【Ⅳ】の割合も比例して増えており(20年代は4年しか経過していないので別として…)、10年代に入ると特に【Ⅲ】の割合が大きく伸びているのが分かる。実は、ここに現代の仏教マンガの特徴がある。
10年代を代表する【Ⅲ】の作品と言えば、僧侶の性欲と老病死、寺の家族と檀信徒との関係などをリアルに描ききった朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』が真っ先に挙げられるが、他にも若き尼僧が虐待問題を抱える親子と向き合う竹内七生『住職系女子』など、現代の僧侶が悩み続けるところにこのカテゴリーの傾向がある。
ここに挙げた作品の主人公たちは、煩悩を断ちきって心が平安の境地に安住するどころか、悩みの渦に巻き込まれまくる。そう、坊さんのくせに、煩悩だらけなのだ。
しかし、これは当たり前のことでもある。僧侶も人間なのだ。人間であるがゆえに悩み苦しむ。では、僧侶と一般人のどこに違いがあるのかというと、その苦悩との向き合い方であろう。そもそも仏教とは、誰もが体験するような人生の苦(自分の思い通りにならないこと)と真正面から向き合い、なんとかしていくための考え方と方法論について、お釈迦さまが説いたものである。そこで、それらに則って人生を歩む人々のことを“僧侶”と呼ぶわけであるが、仏教マンガの主人公たる僧侶たちが、紆余曲折しながら苦悩と向き合う姿に、読者である我々は共感し、共に考え、共に苦しむのである。
現在の動向で特徴的なのは、①【Ⅳ】に分類される作品の多様化、②僧侶の漫画家の存在、③監修者の僧侶の存在、の3点であろう。
まず①に関して、90年代以降、着実にジャンルとして増加傾向にある【Ⅳ】であるが、以前はバトル物、ギャグ、ラブコメあたりが主流であったものの、2013年刊行開始の本間アキラ『坊主かわいや袈裟までいとし』のボーイズラブ(BL:男性同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンル)や、2015年刊行開始の真臣レオン『僧侶と交わる色欲の夜に…』のティーンズラブ(TL:日本における女性向けポルノグラフィのジャンル)などによって、仏教マンガにも新たな流れが生まれてきている。
次に②に関して、近年僧侶自身がマンガを描く例が散見されるようになってきた。いくつか紹介すると、山口淨華『漫画・高木顕明:国家と差別に抗った僧侶』は、真宗大谷派浄泉寺(和歌山県新宮市)の副住職が、大逆事件に連座した高木顕明(浄泉寺第十二代)について描いた作品。2015年に自費出版した『漫画で読む高木顕明』を電子出版専門の仏教系出版社「響流書房」にて焼き直したものである。
他には、同じく響流書房から加藤泰憲作品集として『漫画ブッダから親鸞へ』『闡提―SENDAI』の2冊が発行されており、【Ⅰ】や【Ⅱ】に分類される短編が多い。作者は浄土真宗本願寺派常髙寺(愛媛県今治市)の住職であった人物で2017年に遷化されている。30代の頃には講談社の青年誌『モーニング』にも掲載経験のある漫画家でもあった。
また、仏教系フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』でマンガコーナーを担当していた真宗大谷派覚法寺(福岡県八女市)の衆徒である光澤裕顕の存在も目を引く。今のところ全編マンガの出版物こそないが、著作ではエッセイのほかにマンガも披露している。
そして、ここ最近わたしがオススメしたいのが、近藤丸『ヤンキーと住職』である。作者は浄土真宗本願寺派真光寺(富山県砺波市)の衆徒で、この作品が処女作となる。もともと2020年にコルク発行のwebマンガとして発表されたが、2023年になってKADOKAWAで書籍化した。内容はというと、やたらと難しい漢字を特攻服に使用したがるヤンキーと若い僧侶との対話という、キャッチーなシチュエーションで、しかもヤンキー側の仏教教理の理解が意外としっかりとしており、教えを説くべき若い僧侶が毎回ハッとさせられる展開が新しい。ただ、「天上天下唯我独尊」の解釈に関しては、現代の仏教学から見ると誤りであるとされるので、その一点だけ残念ではあるが、自分の体験をマンガにした後半を含め、全般的に内容は素晴らしいものがある。僧侶自身がマンガで法を説くということが、これほどまでに説得力を生むものなのかと感動すら覚える。
このように見ていくと、ここに挙げた漫画家は親鸞聖人の系譜の方たちばかりだが、高野山真言宗僧侶の悟東あすか(高野山別格本山西禅院徒弟)も、『あいむ・ヤッチ! 』(『毎日中学生新聞』)や『門前のにゃん』(臨済宗妙心寺派月刊誌『花園』)など、現在に至るまで多くの作品を残していることを忘れてはならない。
最後に、③に関して。仏教マンガを僧侶でない漫画家が書こうとしたとき、事実関係が合っているのかどうか監修者に判断をしてもらうのが手っ取り早い。かつてはその監修を、仏教学者が行うことが多かったのだが、それは、監修を必要とする内容が分類の【Ⅰ】や【Ⅱ】に属する作品であったためで、当然と言えば当然である。しかし近年は、学者ではない僧侶が監修を行う機会が増えてきたように思う。例えば、2018年の高島正嗣『ZEN 釈宗演』では臨済宗円覚寺管長の横田南嶺が、そして2020年刊行開始の藤村真理『めでたく候』では真言宗豊山派正福寺(千葉県松戸市)住職の櫛田良道(大正大学文学部准教授)、同じく大聖護国寺(群馬県高崎市)住職の飯塚秀誉、能蔵院(千葉県木更津市)住職の守祐順が挙げられる。監修だけではなく、企画の段階から加わることもあり、僧侶自身が漫画を描かずとも、仏教マンガを生み出せるという新たな流れも生まれてきているのである。
仏教をもっと身近にと考えて、マンガというメディアを取り入れるのであれば、現在のマンガが置かれている現状を知っておかなければならない。
若い世代を中心に、現在のマンガは、紙媒体の単行本をめくって読むものではなく、スマートフォンの画面を指でスライドさせて読むものへと変化している。その際、既存のページ原稿では、文字も絵も見えづらいということもあって、90年代末頃に韓国で発明されたウェブトゥーンという形式が主流になりつつある。ウェブトゥーンは、「縦スクロール(縦読み)」且つ「オールカラー」のマンガのことで、小さいスマホの画面に1~2コマずつ表示される方式だ。
つまり、これまでとは読書中の視線の動きが異なるということであり、それはマンガを作成する上での文法自体が変化していることを示している。こうした新しいプラットフォームは、スマートフォンが支持され続ける限り発展し続けることは明白である。この技術にマッチする形での仏教マンガの制作も今後は課題となっていくことだろうし、逆に効果的に表現できれば、おもしろい作品が作られる可能性も広がっているのである。
※ 本稿のグラフで示した数値は、現時点での私ができる限り調べた結果であり、これらに反映されていない作品もどこかにあることはご承知頂きたい。また、年代別に集計する際、複数巻発行の作品やシリーズ物に関しては、コンセプトを打ち出して動き始めたという意味で第1巻の発行年にまとめている。
※ グラフの元データとなるデータベースに収めた“仏教マンガ”は、全編がマンガで構成されている作品であり、1冊の内に補足のエッセイなどの分量が多い作品は除外した。
(よしむら しょうよう・曹洞宗八屋山普門寺住職、相愛大学非常勤講師)
著書に、『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ、2021)、『精進料理考』(春秋社、2019)など。