親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
この難信の課題が起こってきたのは、仏陀が衆生を無我の菩提に導こうとするそのとき、生きている釈尊を人間の模範として見ている衆生の眼に根本的な誤解があったからではないか。釈尊が入滅せんとするに当たって、仏弟子たちが寄り集うて悲歎の涙に暮れている様子が、釈尊の涅槃像を通して伝えられている。三千年になろうとする時間を超えて釈尊の入涅槃が仰がれるのには、いかなる意味があるのだろうか。
そもそも仏陀はさとりを言葉(教法)として表現し、その言葉によって衆生に菩提を体得させようとこころみた。それが、仏と法(ダルマ)と、それを受け止めようとする衆生(僧伽)という、三宝(仏・法・僧)として表現されたのであるが、そこでは仏陀としての人と教法としての法とは判然と分位されていたはずである。
それをさらに明示したのが、仏陀が入涅槃に当たって示された教言、「法によって人に依らざれ」という教えであった。人間としてこの世に現れた釈迦牟尼世尊に、あまりに深く執着することを助長する涅槃像は、広く情念に呼びかける力はあるであろうが、果たして仏陀のかかる教示に敵うのであろうか。
釈尊滅後当初の時代は基本的に仏陀釈尊の存在を表す痕跡が、仏足石のみに限られていたとされている。してみると、涅槃像は次の時代、すなわち釈尊の存在が見えなくなった時代に入ってから作られたに相違ない。それに加えて、滅後しばらくの間は、教えが僧伽における言葉の唱和によって伝授されていたようであるが、次の時代には、教言が文字として記述され、記録された経典としてダルマ(法)が伝授され始めたと、言われている。
文字に表記された教言が、僧伽の中心で経典として仰がれるようになり、ダルマが文字として伝授され始めたという。そのことと、大乗経典の起源とが重なっているということが明らかにされてきているのである。
釈尊の存在したことの意味は、仏陀となることを人類の普遍の本来帰るべき方向性として表現したことにあるというのが、仏教徒の仰ぐべき指標である。その方向性の極点に、大涅槃という課題が教えとして見出されたのであろう。そこに、「本来帰るべき故郷」ということが大きな目標であると共に、一切衆生がその本来あるべきあり方から呼びかけられていると表現されてくる必然性もあるのではないか。その本来性が「一如」とか「法性」とか、「大涅槃」と言われていると理解されているのである。
(2024年8月1日)