親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
これまで、本願が報土を建立するという意味での場所と、信心を生きるときにいただく利益との関わりを考察してきた。今度は、「末法濁世(まっぽうじょくせ)」と言われている浄土教の時代感覚を、現代において、どういうふうに理解できるのかという角度から、考察してみたいと思う。
この問題を考察する端緒は、『正像末和讃』において五濁悪世という契機が、どういう意味をもっているのか、ということが気にかかったことからであった。いうまでもなく、中国で浄土教が盛んに鼓吹されたのには、道綽(どうしゃく)・善導の活躍によるところがあるのであろうが、彼らの活躍を支えた時代の気分には、強く「像法の末」という一種の危機感があった。
日本においても、平安時代の文化の爛熟の一方で、『末法灯明記』に見られるように、僧風の乱れや武家勢力の勃興(ぼっこう)など、末世の様相の中で浄土教が広まっていったのであろう。
源信僧都が「濁世末代の目足」と言われるように、末法の世の依り処として浄土の教えが広がっていく時代になっていたといえよう。
しかし、法然上人では、「愚痴」の自覚が表に出ていて、時代の衰えを教えの推進力にしようとするところはほとんどない。むしろ、如来の大悲によって「愚」のままにあらゆる衆生が救われるということに、重点が移っているように思われるのである。まして、親鸞聖人にくると、「正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり」(『真宗聖典』500頁)と和讃で詠(うた)われるように、あまり時代的要求を掲げることはしない。特に、『教行信証』においては、末法の問題を「化身土巻」において取り上げるのであって、「真実の巻」たる教・行・信・証の課題には、まったくといっていいほどに、時代契機を入れていないのである。
それにもかかわらず、和讃の製作で、『浄土和讃』として「讃阿弥陀仏偈」「三経」「諸経」の和讃に続いて、七高僧を詠い上げた後に、「正像末の三時」を詠うという構想をもたれたのは、なぜなのか、という疑問があるからである。
「場」の問題においてすでに考察したように、親鸞においては「願生」はすなわち「得生(とくしょう)」であって、得生の利益たる「不退転(ふたいてん)」は、信の一念の内包として把捉され、その故に、信心の人は「不退転」あるいは「正定聚(しょうじょうじゅ)」に住するといわれている。浄土に生まれて得るべき利益を願生において、与えられるからであるとしている。そこに、「正定聚」と「不退転」の同義性も成り立つし、さらには、その信心の人の立場は、「諸仏と同じ」とか「如来と等し」とも言われている。それに加えて「弥勒(みろく)と同じ」とも言っているのだが、『正像末和讃』の草稿段階では(高田専修寺所蔵の草稿本参照)、出だしの和讃が、この「弥勒菩薩」についての和讃なのである。
(2010年6月1日)