親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 親鸞は、「正信偈」で報土について、「報土因果顕誓願(報土の因果、誓願に顕す)」(『真宗聖典』206頁)と言っている。報土の因果を説くのは、『無量寿経』の法蔵菩薩が、無上涅槃の功徳を一切の群生海に施与したいと願い、その願心を誓願自身の因果として具体化するためだと見られるのである。その「正信偈」で「如来所以興出世 唯説弥陀本願海(如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり)」(『真宗聖典』204頁)と述べる。さらに、この本願海の因果を「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就(本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり)」(同前)と表している。このことを『教行信証』「教巻」では「如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。」(『真宗聖典』152頁)と押さえている。この本願の果報として、浄土を表すのである。

 浄土とは、その文字通り「因浄なるがゆえに果浄なり」(『真宗聖典』234頁)であって、因果が如来清浄願心の因果であり、清浄報土の救済は、完全に如来願心の因果であることを、繰り返して押さえ直し、それを求めるわれら凡愚は「極悪深重の衆生」(『真宗聖典』212頁)であるのだから、我等は一筋に大悲の本願海に帰すべきことを示されるのである。報土は第十二・十三願の光明・寿命の誓願に酬報した場所であり、これは本願の荘厳する世界であるから、天親は「願心荘厳」であると示される。

 この願心荘厳の報土に至るには、真実信心一つを因とすることを徹底的に教えてくださるのである。この信心の獲得について、親鸞はわれら凡愚の無力なることをいやと言うほど押さえる。そして、それを深く悲しんで立ち上がったのが、『無量寿経』の語る法蔵の願心であり、その悲願が「回向を首として大悲心を成就」するべく二種回向を表して、われらに行信を恵むのだ、と言われるのである。「弥陀の回向成就して 往相還相ふたつなり これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ」(『高僧和讃』、『真宗聖典』492頁)とはこれを示している和讃である。

 往還の二回向は、往相の回向について「真実の教行信証あり」とされ、その行信を因とし、その果としての真実証は「還相回向」の用を具すとされる。往相の回向は、如来の願心の内に「必至滅度」の因を蓄えて、「往相の回向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 悲願の信行えしむれば 生死すなわち涅槃なり」(『高僧和讃』、『真宗聖典』492頁)という意味を表す。大悲回向の信(名号を具している)を得るなら、大乗仏教の究極的課題としての「生死即涅槃」に直結すると言うのである。信心は「証大涅槃の真因」(『真宗聖典』211頁)であるとも言われている。大涅槃を本願力の教えを通して、願心の報土として示すのであるから、信心は「清浄報土の真因」(『真宗聖典』240頁)であるとも示されるのである。ここに来たって、われらの課題は、難信たる真実の信心を獲得できるか否かに帰着するのである。

(2016年4月1日)

最近の投稿を読む

FvrHcwzaMAIvoM-
第257回「存在の故郷」⑫
第257回「存在の故郷」⑫  人間は合理的な生活を追求してきたのであるが、現代のいわゆる先進国の人びとは、はたして生きることに満足が与えられているのであろうか。忙しく情報に振り回されているのが実態なのではないか。そして孤独と憂愁にとりつかれ、不安の生活に沈んでいくことが多いのではないか。  現代社会はこの方向に進展し、資本主義社会において功利性を追い求め、合理性を追求する結果、人間の本来性から遠ざかっていくように思われてならない。その合理性の追求は、真理の基準を人間の理性に置いているのだが、その方向が遂にAIをも生み出し、人間自身の存在の意味すら危ういものとされてきているのである。...
FvrHcwzaMAIvoM-
第256回「存在の故郷」⑪
第256回「存在の故郷」⑪  曇鸞が気づいたことは、第十一願のみではなかった。第十八願の成就を意味づけるために、第二十二願をも加えているのである。第十八願に第十一願・第二十二願を加えることによって、浄土への往生を得た衆生に大乗菩薩道の完成たる仏の位を与え、人間存在の完全満足たる大乗仏教の大涅槃(阿耨多羅三藐三菩提)の成就を与えるのだと、明らかにされたのであった。...
FvrHcwzaMAIvoM-
第255回「存在の故郷」⑩
第255回「存在の故郷」⑩  阿弥陀の本願の中に、「必至滅度の願」(『教行信証』「証巻」、『真宗聖典』〔以下『聖典』〕初版280頁、第二版319頁。親鸞は『無量寿経』の異訳『無量寿如来会』により「証大涅槃の願」〔同前〕とも呼んでいる)が語られている。曇鸞はこの願が、浄土の利益を表す願であると気づいた。それは、曇鸞が仏道の究極目的を見定めながら、自身の挫折体験を通して無量寿経の本願を見直したとき、当然出会うべき事柄であったと言えよう。実は曇鸞がこのことを表現したのは、天親菩薩の『浄土論』解義分の結びにある「速やかに阿耨多羅三藐三菩提(無上菩提)を成就することを得る」(『大正新修大蔵経』第36巻、233頁a。原漢文)という言葉を解釈するためであった。...

テーマ別アーカイブ