うかつな編者と乗代雄介さんとの出会い

長谷川 琢哉 HASEGAWA TAKUYA 

 親鸞仏教センターに関わっていると、しばしば不思議な縁にめぐまれることがある。
 たとえば以前「今との出会い」のエッセイに書いた話だが、劇作家の嶽本あゆ美さんとの出会いはなんとも不思議なものだった。偶然私が入居したマンションの大家さんが嶽本さんの舞台を手伝っておられる方で、私の職場が親鸞仏教センターであることを知り、その時ちょうど公演が行われていた『彼の僧の娘』(大逆事件で処刑された高木顕明の娘を扱った演劇)を教えてくださったのだ。私はすぐにその舞台を見に行き、それを機に嶽本さんには『アンジャリ』にエッセイをご寄稿いただくことにもなった。

 私が『アンジャリ』web版に執筆のご依頼をした乗代雄介さんの原稿を受け取った時も、不思議な気持ちになった。
 気鋭の小説家として知られる乗代さんのお名前を私が初にお聞きしたのはいつだっただろうか。たぶん数年前に聞いていたラジオ番組でおすすめの小説の作者として紹介されていたのがきっかけだったように思う。何となく気になって乗代さんのデビュー作『十七八より』に遡って 読んだのだった。その時の感想として は、ずいぶんと描写力のある作者だな、という印象をもった。登場人物たちの状況を(時に過剰とも感じられるほどに)丁寧に描き、鮮烈なイメージを浮かび上がらせる手法が際立っていた。

 その頃乗代さんは芥川賞候補にもなっていて注目されていたが、あらためて私が乗代さんに強い関心を向けるきっかけとなったのが、2020年に出版された『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』だった。
 この本は乗代さんがデビュー前の高校生の頃から15年以上にわたって書き続けていたブログの文章をまとめたものである。私が書店で見かけた時、この本の帯にはceroというバンドのボーカルである高城晶平氏が推薦のコメントを寄せていた。ceroが好きだった私は、両者の意外な繋がりを知ったのもあってすぐに購入した。
 「創作」と題された前半パートには短編小説が数多く掲載されていたのだが、これが全く予想外のものだった。その作品はほとんどがシュールなギャグだったのだ。異常なシチュエーションにいる登場人物たちが異常なことを(当事者たちは極めて真剣に)行っていくといった雰囲気の作品が並んでいる。これらの作品を読みながら、私は何度も声に出して笑った。最初に読み始めたのが電車の中でなくてよかったと本当に思った。暴走する作家の妄想力に感化されて、それを真似た短編のシチュエーションを思わず考えてみたりもした(ずいぶん貧弱なものしか思いつくことはできなかった)。
 乗代雄介ってギャクも書けるのかと思いながら読み進めていくと、後半は「ワインディングノート」と題された全くトーンの異なる一連の論考がまとめられていた。大きなテーマは「読む」ことと「書く」ことのようだ。乗代さんが内外の小説家や思想家の作品を独自の視点で縦横に読みつつ、ご自身にとっての「書く」 ということを真摯に追求している。

 ここで正直に告白しよう。私はこの「ワインディングノート」での乗代さんの思索の真剣さと密度について、その時は十分に気がついていなかった。ただ自分にとってのいくつかのキーワードや固有名詞(デカルト、サリンジャー、宮沢賢治、cero、キルケゴール等々)、それ らを通して、著者の「書く」ことへの真摯さを読み取っていたにすぎなかった。おそらくは前半の「創作」の面白さに引っ張られ、「ワインディングノート」への注意を欠いていたのだろう。今から振り返ると、著者に対して大変に申し訳なく、恥ずかしい限りである。ところが散漫な注意力をもってしながら、私は何かを感じ取り、乗代さんに『アンジャリ』にご執筆いただきたいと思った。その時私に強く印象づけられたのは、一連の思索の最後の方に示されている「死ぬまで考え続け、書き続けること」というフレーズである。その真剣さがどこか祈りのようなものに通じているような気がして、乗代さんと『アンジャリ』はマッチするのではないかと考えたのだった。

 後日開催された編集会議で私は乗代さんを執筆候補として推薦し、承認された。親鸞仏教センターの紹介と『アンジャリ』のバックナンバーをいくつか見ていただいた上で、ご自由にお書きいただいて構いません、と乗代さんに執筆のご依頼をした。完全にダメもとでのご依頼だったが、思いのほかあっさりと引き受けていただいた。お返事には仏教や真宗に関心があるという言葉も添えられていた。
 それから数ヶ月後。乗代さんから送られてきた原稿のタイトルは「浅原才一に学んだ小説」というものだった。原稿には、真宗の妙好人である浅原才一のように小説を書きたいとずっと願ってきた、と書かれていた。

 私も「世界のような大きな口で世界の人をだま」すのをやめて、「世界にあるもの、みな」を「噓」でなく、自分や他を欺く術を使わずに書きたいと改めて思う。無論、書き言葉と話し言葉のあわいに居られた才市とはちがうから、いくらかの学問や思索を根こそぎ振り払うことなど不可能なのは10年前から承知していた。でもいつからか、せめて「何事も体験そのものの中から湧いて出る」ように書く努力をしようと考えるようになっていた。

乗代雄介「浅原才一に学んだ小説」(『アンジャリ』web版)

 おそらく読者のほとんどは、このエッセイが『アンジャリ』に掲載されたのは、編者があらかじめ乗代さんの浅原才一(もしくは仏教や真宗)への関心を知っていたからだと考えたのではないだろうか。しかし断じて違うのだ。私は乗代さんの意外なギャグ作家ぶりと、書くことへの真摯さ(およびその二つのギャップ)に惹かれただけなのだ。ご依頼の際には、乗代さんの仏教への関心には気づいていなかった。いやむしろ、仏教や真宗に直接関わりがなさそうに見えたからこそ、『アンジャリ』に書いてもらいたかったのだ。にもかかわらず乗代さんは、浅原才一のように小説を書きたいとずっと考えていたという。原稿を見た時、私はむしろ混乱した。真宗に関わるエッセイを書いてもらうつもりなど毛頭なかった。なのになぜ、まるであらかじめ予定されていたかのような原稿が上がってきたのか?乗代さんに原稿のお礼を伝えるメールにも、素晴らしい原稿をいただき大変ありがたいのと同時に、「率直に言って混乱しています」と書いてしまったほどだ。

 冒頭で述べたように、私はこの時本当に不思議な気持ちになった。自分が意識していなかったところで何がどう繋がったのか。私は、なぜ乗代さんにご依頼しようと思ったのか。この問いは原稿を読んだ後に私に重くのしかかってきた(編者としてこれほど無責任な問いはないだろう…)。そうしてあらためて「ワインディングノート」を読み直したのだった(これも本当にひどい話である…)。
 精読しはじめてすぐに、これは大変な思索だと気づいた。まだ小説家になる前の乗代さんが十代の頃から書き溜めていた六冊のノートには様々な本からの引用があり、ブログにおいてその膨大な引用の一部を使いながら一連のテーマが展開されていた。「ワインディングノート」とあるように、曲がりくねった道を行きつ戻りつしながらも、一つのテーマが粘り強く追求されているのである。そのテーマは「読む」 ことと「書く」 ことについてであった。あるいはむしろこういった方がいいかもしれない。まだ何者でもなかった乗代青年が、たくさんの読書を通じて〈小説家として書く〉ことに真摯に向き合いながら、やがて『十七八より』で群像新人賞を受賞して小説家としてデビューし、「死ぬまで考え続け、書き続けること」といった境地へと至る、数年間の思索の過程が記されている、と。

 ブログで展開されていた高密度な思索が、一冊の本として出版されたのは非常に価値あることだと思う。とはいえ、私には乗代さんを対象とした作家論などあまりに恐れ多いので、本稿のささやかな、いや、編者として無責任な問いに戻ることにしよう。私はなぜ乗代さんにご依頼したのか?無意識のうちに、乗代さんの真宗への共感を読み取っていたのだろうか?
 「ワインディングノート」を再読すると、関連する主題は確かに示されていた。一連の思索は、柄谷行人の『言葉と悲劇』から引かれた「故郷を甘美に思うもの」と「全世界を異郷と思うもの」との対比を出発点としている。後者は「あらゆる共同体の自明性を認めない」態度とされ、乗代さんはさまざまな作家や思想家にその態度を見出している。しかし同時に、特定の言語を用いて書くという行為そのものが、「共同体に属することを証明して」もいるという。つまり、共同体の価値観や習慣を相対化しながらものを書く小説家であっても、共同体の価値観や習慣から離れて生きていくことは決してできないということだ。そうである以上、「故郷を甘美に思うもの」と「全世界を異郷と思うもの」の二極に引き裂かれた状態を徹底的に意識することが、小説家として唯一の誠実な姿勢であると乗代さんは考えている。言いかえれば、共同体への帰属性に対するアイロニカルな態度こそが、小説家にとって不可欠なものだということだろう。

 こうして乗代さんは上記の主題を、自身に浸透している文化的影響をどこまでも意識しながら新しいものを書くという課題として追求していくことになる。ここから先の思索は非常に興味深く、ぜひ一読していただきたいところである(とりわけ、いがらしみきお『IMONを創る』を論じた箇所は秀逸である)。
 ところで、私が読んだ限り「ワインディングノート」の思索は、『十七八より』によって乗代さんが小説家としてデビューしたあたりで、強調点に若干の変化が見られるように感じた。たとえば次のような一節がある。

 僕は、読書が歓びをもたらした場合、それは自分が揺さぶられるのではなく、例えば「文学」が揺さぶられているのだと思うようになり、それを歓びとして読むようになりました。自分の感動なんかより、何千年の歴史を持ち、数え切れない先人達が積み上げてきた「文学」の変動を感じる方が、ずっと大事なことだと思うようになったのでした。

乗代雄介『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』、528頁。

 これまで強調されていたのが〈共同体の価値観に浸透された自己意識を徹底的に反省しつつ書く〉ことだったとすれば、ここではむしろ、〈そうした自己意識を飛び越えて書く〉ことへの志向が表れている。そしてここまで読んでくれば、乗代さんが『アンジャリ』で書かれている「何事も体験そのものの中から湧いて出る」ように書くという浅原才一への共感も明白であるだろう。以上をふまえた上で乗代さんの「浅原才一に学んだ小説」を読んでいただけたら、その思索の一貫性と展開の筋道が理解できるに違いない。

 さて問題があるとすれば、私がそれらにはっきりと気づくことなく乗代さんに執筆のご依頼をしたことである。私はうかつな人間である。しかし乗代さんのエッセイをあらためて読むにつれ、うかつさが価値を生み出すこともあるのだな、とも思うのである。そしてそのことが、寺院出身でもない私が、研究員として親鸞仏教センターにご縁をいただいていることの本質であるような気もしてくるのである(とはいえどんなに素晴らしい結果を生み出したとしても、編者としての私の罪が免除されるわけではない)。

2025年4月1日

長谷川 琢哉

親鸞仏教センター嘱託研究員、東洋大学法学部法律学科教授
東洋大学井上円了哲学センター研究員

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表現の「自由」の哲学的意味

越部 良一 KOSHIBE Ryoichi

 「自由」は正反対の二つの意味をもつ。これをプラトンの言う魂の三部分で表現すれば、一つは魂の欲望部分の自由。もう一つは魂の理知の部分の自由、これは魂の知るはたらきが、感覚世界を超え、人間を超えた永遠の善美のイデアと結びつき、欲望部分(金銭欲で代表される)と気概の部分(勝利を求める)による囚われから解放されることである。これが自由の真実の意味である(前者は欲望への隷属)。
 私に思うに、この真実義中の、思想・文学・芸術およびそれらに類するものの表現(以下、単に表現と記す)の自由には、三つの面がある。

 一つ。法然が流罪にされる折、

「一人の弟子に対して一向専念の義をのべたまう。西阿弥陀仏という弟子推参していわく、かくのごときの御義ゆめゆめあるべからず候。[中略]上人のたまわく、汝、経釈の文をみずや。西阿がいわく、経釈の文はしかりといえども、世間の機嫌を存ずるばかりなり。上人のたまわく、我首をきらるとも、此事いわずはあるべからず」(「法然上人伝絵詞(琳阿本)」、井川定慶編『法然上人伝全集』。但し、漢字、かなは現行のものに直し、一部漢字はひらがなにしている。引用文中の[ ]内は越部注記、以下同様)。

表現の自由は、世間に囚われず、煩悩の命に縛られない。

 二つ。小林秀雄は本居宣長の「神」についてこう述べる。

「何度言ってもいい事だが、彼[本居宣長]は、神につき、要するに、「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり」と言い、やかましい定義めいた事など、一切言わなかった。[中略]神は、[上古の]人々めいめいの個性なり力量なりに応じて、素直に経験されていたまでだ。そこで勢い、いろいろな神々が姿を現すことになったわけだが、そのような事を、特に意識に上す人はなかったのである。誰の心にも、「私」はなく、ただ、「可畏き物」に向い、どういう態度を取り、これをどう迎えようかという想いで、一ぱいだったからだ。言い代えれば、測り知れぬ物に、どう仕様もなく、捕えられていたからだ」(『本居宣長(下)』新潮文庫)。「神々は、彼等[上古の人々]を信じ、その驚くべき心を、彼等に通わせ、君達の、信ずるところを語れ、という様子を見せたであろう」(同上)。

表現の自由は、いろいろな個性、いろいろな真実、いろいろな善に対し開かれている。

 三つ。ヤスパースは、プラトンの国家による検閲の考えを批判して言う。

「プラトンにより考えられた検閲[イデアを知り尽くした哲人王による文学、音楽等の検閲]を、人間は遂行する能力はない。こうした検閲は、繰り返し教会の、そして国家の権力者たちにより得ようと努められるが、退けられてしかるべきである。[中略]強制の圧迫のもとでは、精神は、反復したり変奏したりすることはできるが、創造的に産み出すことはできない。検閲は、ばかげたことと共に真理の可能性をも同時に窒息させ、雑草と共に穀物をも同時に根こそぎにするであろう。だから各々の人間が、自由な産出の権利をもたねばならない」(『原爆と、人間の将来』、原書から越部訳)。

表現の自由は、有限な人間にとって、悪しき表現を乗り越える動きの中にしかないのだから、悪しき表現をつねに目にとどめていなければならない。それは悪しき表現に批判的に対峙するが、しかし、強制なしにである。

 善美と真実の根源たるかの無限のもの、測り知れぬものは、個の人をとらえ、個の人を感動させる。自由とは、自己でないかのものに、自己が由るということである。そこで初めて本当の自己(真実の自己存在、実存)が明らかになる。だから自らの表現の自由を抑圧するのは他の者だけでない。根本的には、命濁(みょうじょく)の自分が抑圧し(上の第一面に反す)、自己の真理の根源がもつ多様な可能性を認められぬ自分が抑圧し(第二面に反す)、自己の悪しき面を見まいとする自分が抑圧するのである(第三面に反す)。

 かのものが語れという様子を見せるということは、人間関係の中で生きておれという様子を見せるということでもある。かのものは人間たちを結びつける。かの無限者が、特定のとき・ところで、有限な様々な姿形(すがたかたち)のうちに現象し、表現される際、そこで結びつけられる人間たちは限定された人たちである。その表現の根源たる、姿形なき、言葉で語り得ぬ、不可思議なるものとしては、かのものは、一切の存在を、それゆえあらゆる人間をも越え包む、一なるものと思考されうる。

 表現の自由のかたき役に、人間たちの客観的な結びつき、集合体を表す「社会」がなることがあるのは、自由な表現と沈黙の出どころである超越者と実存の関係、社会を超出するこの関係を、社会が見失うことがあるからである。キルケゴールは言う。

「社会性という、現代において偶像化されている積極的な原理こそ、人心を腐蝕するもの、退廃させるものであり、だから人々は反省[情熱なき分別]の奴隷となって美徳[例えば命がけの勇敢さ]をさえ輝かしい悪徳にしてしまう。こういう事態になるというのも、個人個人が宗教的な意味で永遠の責任を負って、ひとりひとり別々に神の前に立っているということが見のがされているからのことでなくてなんであろう」(『現代の批判』桝田啓三郎訳、岩波文庫)。

人間が社会なしに存在しないからといって、社会自体の位階と分限を曖昧にすべきでない。魚が水なしで生きられないからといって、魚は水ではないし、水だけで生きているのでもなく、水のために生きていると言えるわけでもない。社会は自由を根底とすべきものであり、又、自由の可能性に奉仕すべきものだ。社会のこの位置づけと社会的責務が見失われ、社会が玉座にすわれば、表現の自由は消失する。

 この文章の出だしですでに、私(越部)の内部に表現の自由などありはしないのだということがよく分かる。あるのは囚われである。しかし、それで済みはしないのは、かの剛毅な、独立自由の人たちが呼びかける、そう、社会の内で呼びかける、その表現が、私の心の内に入り込んで来るからである。だから私は、パティ・スミスにならって、こう言うのだ、

「社会の外側で、かの人たちが私を待ち受けている」。“Outside of society, they’re waiting for me.”(Rock’n’Roll Nigger, in Patti Smith Group, Easter, 1978)。

2025年3月1日

越部 良一 KOSHIBE Ryoichi

親鸞仏教センター嘱託研究員
法政大学・日本大学・立正大学、各非常勤講師

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キルケゴールとニーチェの何が同じなのか ―ヤスパース『理性と実存』を読む一視点―

越部 良一 KOSHIBE Ryoichi

親鸞仏教センター属託研究員

ヤスパースの『理性と実存』は、5つの講義から成り、その最初の講義でキルケゴールとニーチェをいわば同じ仲間として論ずる。しかし、この2人の何を同じだとしているのか、捉えるのは易しくない。ヤスパースの見る、2人を結び付けるものは、言葉を越えてゆくものなのだから。

 

ニーチェの思想を見る場合、永遠回帰とか超人とか力への意志とかに、キルケゴールでは、実存の三段階や絶望や不安などに眼をつけて、彼らの思想を捉えようとする、そうした仕方は普通にある。ヤスパースはここで、そうしたことへ深入りするそぶりが全くない。驚くべきことである。だがこの姿勢は、この2人の根本思考に厳密に忠実なのである。

 

「どこにも、有限性にも、意識的に把捉される根源にも、規定的に捉えられる超越者にも、歴史的な由来にも、最終的な支えは、彼らにとってはない」(ヤスパース『理性と実存』、越部良一訳、リベルタス出版、2023年。以下、引用はすべてこの拙訳から)。

 

ヤスパースが心底、眼を奪われているのは、彼らの規定されうるような諸思想ではなく、それらを越え包む何ものかである。

 

だから彼らの思考のいわば形、形式に、彼らの生き方、生きた形に眼をつける。例えばこうである。

「彼らにとって、ここでまた驚くべきことは、まさに彼らのできそこないの在り様それ自身が、彼ら特有の偉大さの条件であるということである。というのも、この偉大さは、彼らにとって、偉大さそのものではなく、時代状況に、その状況に固有なものとして属する、一回きりの偉大さなのであるから。注目すべきことは、いかに両者が、彼らの本質のこの側面に対しても、似たような比喩に思い至っているかである。ニーチェは自らをこう譬える、「でたらめな文字、見知らぬ力が、新しいペンを試すために紙の上に書く」。彼の病気の積極的な価値は、彼の絶えざる問題である。キルケゴールはしばしば思う、「神の暴力的な手によって抹消され、失敗した試みのように消し去られる」。彼は自らをまるで缶のふちに当って押し潰されるいわしのように感じる。彼に次のような思いが浮かぶ。「いつの代にも、他の人々の犠牲になり、ひどい苦悩のうちで他の人々に役立つものを……発見せねばならない2、3の人間がいるものだ」」。

 

この2人は現代ヨーロッパという時代と場所の「いわば代表的運命であり、犠牲者」なのである。しかも自ら進んで。「そのような犠牲なしでは決して気づくことはなかったであろう何ものか」、その前面には「何か途方もないこと」がある。ヤスパースは言う、「今の人は、過去の教説の全てを、書冊の意味では、以前の大哲学者たちの或る者が識っていたであろう以上に、ひょっとすると識っているかもしれない。しかし、教説に関する、そして歴史に関する、単なる知に変貌しているという意識、生それ自身から、そして事実信じられていた真理から解き放たれているという意識は、この伝統がいかに偉大であり、そして大きな満足を作り出してきたし、今も作り出していようとも、この伝統を、その究極的な意味において疑わしいものにしてきたのである。[中略]というのも、西洋の人間の現実のうちに、ひそかに、何か途方もないことが起っているからである。すなわち、あらゆる権威の崩壊、理性に対する溌剌たる信頼の徹底的な消滅、すべてを、全くもってすべてを可能にするように見える、結び付きの解消」。

 

実際上の無信仰のうちで、見かけ上何かを信じている風にすごしているという現代の状況、この状況の内にあって、「一方はキリスト教の信仰性をもち、他方は無神性を強調するという、まさに見かけ上は完全な本質相違性をもつから、それだけに彼らの思考の類似性は、ますます際立つものとなる。あたかもすべての過去のものがなおも存立しているかのような見かけのもと、実際は無信仰に生きているこの反省の時代において、信仰の拒否と自己を信仰へ強制することとは互いに属し合うものとなる。神なき者が信仰的に見え、信仰者が無信仰的に見えうる。両者は同じ弁証法のうちに立っている」。

 

現代の状況に沿いながら、その実、彼らが目指すものは、その状況がもつ、見かけ上の信仰と実際上の無信仰を、突破することなのである。この突破は、時代を超え、世界を超える。彼らは共に命がけの人間である。「彼らは一つの道を行くが、この道は、彼らにとっては、超越的な支えなくしては歩み通され得ない。というのも、彼らが反省するのは、平均的な現代性がするように、生命欲と生命関心という自明の限界をもってしてではないから。すべてか、しからずんば無か、それが問題である彼らは、限界のないことを敢えて行う。しかし、このことを彼らが行うことができるのは、ひとえに、彼らがはじめからあのものに根ざしているがゆえであり、それは、彼らにとっては同時に隠れているのである。すなわち、両名とも彼らの青年時代に、知られぬ神について言及している」。

「彼らの現存在の孤立無援、できそこなってあるものにして偶然的なもの、そうしたものと、彼らのもとで大きな対照をなしているのは、彼らを見舞うあらゆる出来事の意味、意義、必然性についての、人生が進むにつれ深まりゆく彼らの意識である。キルケゴールはそれを摂理と呼ぶ。彼は次のような神的なものをそこに認識する。「ここで起き、言われ、進行する等々すべてのことは、前兆であるということ、事実的なものは、それが何かはるかに高いものを意味するように、いつでも変貌するということ」」。

 

だからヤスパースは、彼ら自身では意識することが不可能な事実的なもの、彼らが40代でもう彼らの人生の突然の終りを迎えたこと等の、彼らの人生行路の共通性を指摘する。「まったく理解の無い反響に面するという運命も、彼らに共通であった」。彼らは、「この時代にとって、単に一つのセンセーションにすぎなかった」。「こうして彼らの影響力は、彼らの本質の、そして思考の意味に反して、限界なく崩壊させるものとなった」。彼らの交わりの追求は、だから、生前においてのみならず、死後もその趨勢において挫折した。

 

ヤスパースが見ようとするのは、彼らを包んでいる、知られぬあるものである。普通の、つまり、ただの人間的な見方では、例えば病気が「偉大さの条件」とされたりはしない。ここでは人間的視点を越えるものこそが、大なるものなのである。それが彼らを真に結び付ける。彼らが同じであることに驚くということは、そうしたものに、その者がふれているということであり、その知られぬものから問いかけられ、返答を迫られるということなのである。『理性と実存』という書物は、その返答の試みの書である。

 

この試みは、彼らの、掴みうるようにされた思想に従うことではあり得ない。彼ら自身がそのことをはねつける。「彼らは我々を立ち去らせる。我々にいかなる目標も与えず、いかなる規定された課題も立てはしない。個々の誰もが、彼らによって、自分自身であるものに成れるだけである」。

 

彼らを読むとは、そして彼らに対峙するこの書を読むこともまた、根本的に、その知られぬものに、自分自身が向かうということである。


越部 良一 KOSHIBE Ryoichi

親鸞仏教センター嘱託研究員

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