■ 巻頭言

本多 弘之 「時間的な存在から超時間の課題へ」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「「難中の難」ということ」

報告 越部 良一

■ 研究員と学ぶ公開講座2022開催報告

報告 加来 雄之

報告 中村 玲太

報告 青柳 英司

報告 谷釜 智洋

報告 宮部  峻

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「聖覚和尚の銘文」②

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『現代と親鸞』第47号

■ 研究論文

中村 玲太 「「悪凡夫正機」の歴史的意義――聖道門への対抗言説に注目して――」

■ 研究ノート

谷釜 智洋 「『精神界』誌上にみる「解釈」欄の位置づけの再考――「浩々洞註」という記名などに着目して」

■ 第67回現代と親鸞の研究会

江原由美子 「現代社会とフェミニズム」

■ 第68回現代と親鸞の研究会

木村 哲也 「忘れられた存在を語り直す/忘れられた存在と出会い直す――ハンセン病問題と駐在保健婦――」

■ 第3回「現代と親鸞」公開シンポジウム報告

全体テーマ:「〈いのち〉という語りを問い直す」

【問題提起】

長谷川琢哉 「倫理的葛藤と〈いのち〉の言説」

中  真生 「「いのち」とその産み育ての結びつきを問う――「母性」、出生前診断、「赤ちゃんポスト」などを手がかりに――」

森川 輝一 「宗教と政治の間――ジャック・ロールズの冒険――」

【全体討議】

加藤 秀一(コメンテーター)・中村 玲太(コーディネーター)

■ 第7回「清沢満之研究交流会」報告

全体テーマ:「近代の宗門教育制度と清沢満之」

【問題提起】

江島 尚俊 「真宗大谷派における教育制度と哲学」

川口  淳 「メディアと大谷派教育――明治20年代から白川党改革運動まで――」

藤原  智 「清沢満之と真宗大学(東京)の運営」

【全体討議】

林  淳(コメンテーター)・長谷川琢哉(コーディネーター)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之 「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(33)」

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■ 巻頭言

谷釜 智洋 「「同時代」を生きる」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「「胎生という問題」」

報告 越部 良一

■ 「宗教と社会理論」研究員報告

宮部  峻 「研究会立ち上げにあたって」

■ 清沢満之研究会報告

講師 中西 直樹 「「近代仏教」再生の可能性と限界――新仏教と俗人登用の試みと挫折」

報告 谷釜 智洋

■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会

講師 原田 信男 「肉食の始原と否定・肯定の理論」

報告 中村 玲太

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Interview 第16回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」後編

元佛教大学仏教学部教授

池見 澄隆

(IKEMI Choryu)

Introduction

 中世人の世界像を考えるうえで、「冥(みょう)」と「顕」の世界、すなわち見えない/見える存在の重要性が指摘されている。今日のわれわれは、見える世界にばかりとらわれがちであるが、見えない存在──中世においてはこれを「冥衆(みょうしゅ)」と呼ぶ──の存在感が肥大化していくのが中世の世界観の特徴だと言える。こうした冥/顕の世界観を知ることは、中世の思想を知るうえで基礎的な視座となるが、同時に見えない存在と対話する人間の精神世界を知るうえでも現代に訴えるものがある。

 今回は、特に冥/顕の世界観が中世における死生観、特に死の問題に与えた影響について、『中世の精神世界─死と救済』(人文書院)や編著『冥顕論─日本人の精神史─』(法蔵館)などで中世の精神世界を長年論じてきた池見澄隆氏にお話をうかがった。

(中村 玲太)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

──話を戻しますと、こうした「死後再会」という死生観と「冥顕論」とはどのように交差しているのでしょうか。

 

池見  格別な情愛関係のあった死者との再会というのは、見えない、見られるという死者との関係が、互いに見える、見られるという関係に再びなるということ。死という線を越えて見る、見られるという関係に再び復活させる。死が介在していますから、単にこの世に生きていたときの見る、見られるというレベルを超えた、より高いレベルでの見る、見られるという関係の復活だと。これがまさに人倫の救済であり、再会とはそういうことだと私には考えられます。「死後再会」ということも、冥/顕の世界観から見ていく必要があるのだろうと思うわけです。冥/顕の世界観を前提とした死生観です。

 

──「死後再会」願望や世界観には必ずしも共通した要素だけではなく、時代によっての変遷もあるとも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。

 

池見  共通するものと同時に、それを基軸にして変わるものも見ていく必要があります。江戸時代の近松浄瑠璃『心中天の網島』では、死後再会願望が浄土志向から人間志向に変化します。

 

体があの世へ連立つか。所々の死をしてたとへ此の体は鳶烏(とびがらす)につゝかれても、二人の魂つきまつはり。地獄へも極楽へも連立つて下さんせ。

 

などと言われています。極楽でなくともよい。私たちが一緒に入れるならば、地獄であってもよい、という再会願望を表しています。教学的な面からみればけしからんとなるかもしれませんが、死後再会の場が、地獄でもよいということになりました。三世輪廻(りんね)のうちに止まった救済か、脱輪廻のうえでの死後再会かは、教学的には大きな問題だろうけど、当時の彼らにとってはどうでもよかった。教学的に裁断するのではなく、死後再会願望の心性をくみ取る必要があるのではないでしょうか。

 ここで終るのではなく、実はもう一つあります。それは今日の在宅ホスピスケアなのです。そこでは、「お迎え現象」が話題になっている。有縁の死者がこちらへ来た、というお迎え現象。お迎えとは、死者によって行く先がはっきりわかっているところに導かれるということです。お迎え体験のある方の最後のありさまは9割以上が穏やかとも言われます。少し大胆なことを言えば、これは死後再会願望のバリエーションを表すものとも言えるのではないでしょうか。

 ここまでも視野に入れて死後再会願望というものを一貫したものとしてとらえたい。そうすると、ちょうど千年にわたる。時代時代で切ってしまうのではない。こういったことは、教学理念と抵触するからということで、なるべく伏せてしまうということが行われてきました。死後再会の場が問題。場が変遷するのだけど、その変遷をむしろポジティブにとらえる。死後再会の場を浄土に限定して、他を捨てるのではない。浄土以外にもあるというのをポジティブにとらえる必要があります。

 

──最後に、中世の世界観やあるいは死生観を学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。

 

 現代に見失ったもののほとんどそのエッセンスが、中世にはあります。いったんそこに立ち返る。近代文化が振り捨てて顧みなくなったものの一つが、死とか死後とかの問題ではないでしょうか。それをいったん、取り戻してみる。中世から現代を見る。冥界から顕界を見る。死の側から生の輝きを見るとき、今日、只今のわれわれの生き方が相対されるのではないでしょうか。

 

死の側より照明(てら)せば、ことにかがやきてひたくれなゐ(真紅)の生ならずやも

(斎藤史『歌集 ひたくれなゐ』短歌新聞社文庫)

 現代が振り捨ててきたもののなかに、現に私たちにとっての宝石があるかもしれない。そこを検証していくことが必要でしょう。

(文責:親鸞仏教センター)

前編はコチラ

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Interview 第27回 池田行信氏(後編)
2022年8月17日
Interview 第27回 池田行信氏(後編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。…
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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
2022年8月17日
Interview 第26回 池田行信氏(中編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。…
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
2022年8月17日
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。…
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
2022年8月08日
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA Shin’ichi) Introduction…
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Interview 第15回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」前編

元佛教大学仏教学部教授

池見 澄隆

(IKEMI Choryu)

Introduction

 中世人の世界像を考えるうえで、「冥(みょう)」と「顕」の世界、すなわち見えない/見える存在の重要性が指摘されている。今日のわれわれは、見える世界にばかりとらわれがちであるが、見えない存在──中世においてはこれを「冥衆(みょうしゅ)」と呼ぶ──の存在感が肥大化していくのが中世の世界観の特徴だと言える。こうした冥/顕の世界観を知ることは、中世の思想を知るうえで基礎的な視座となるが、同時に見えない存在と対話する人間の精神世界を知るうえでも現代に訴えるものがある。

 今回は、特に冥/顕の世界観が中世における死生観、特に死の問題に与えた影響について、『中世の精神世界─死と救済』(人文書院)や編著『冥顕論─日本人の精神史─』(法蔵館)などで中世の精神世界を長年論じてきた池見澄隆氏にお話をうかがった。

(中村 玲太)

 

【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】

──池見先生は、中世の精神世界の切り口として「冥顕論」について論じられています。

 

池見  「冥顕論」について少し説明しますと、こちらから向こうは見えないけれど、向こうからこちらは見られている、という眼差しの齟齬(そご)性、世界認識の非対称性が中世の世界観を考えるうえで重要です。慈円の『愚管抄(ぐかんしょう)』は冥/顕を重視した歴史書ですが、人間の眼に見えない「冥衆」の存在が種々に論じられ、その力(冥利・冥罰)が重視されています。人間の眼には見えないけれども、見られており、しかも見られていることを実感している、一方的な被透視感覚が、私の強調したいところです。明るい世界(顕)から暗い世界(冥)は見えませんが、暗い世界から明るい世界はお見透しです。この状況は不安の極致、心細い境地におかれるわけです。

 この世界観を如実に表すものとして、例えば『餓鬼草子』が挙げられます。そのなかの「伺嬰児便餓鬼(しえいじべんがき)」には、背後から赤子の糞便を食らおうと現れる餓鬼が描かています。その餓鬼の姿に誰も気づきません。しかし、餓鬼からは顕界が「見える」、丸見えという構図になっています。このような構図はほかにもあります。

 中世で最も肥大化した世界観というのが、われわれの世界というものは向こう側のもっと大きな世界に圧倒されている、のしかかられている、というような世界観で、しかもこちら側からは見えないのに、向こう側からは見られている。神々であれ、仏菩薩であれ、さらには死者、怨霊(おんりょう)、魑魅魍魎(ちみもうりょう)など、こういったものから見られている。これが冥/顕という世界観です。

 

──「冥顕論」とは、ご説明いただいたとおり、いわば一つの世界観とも言うべきものです。一方で、中世の精神世界についてアプローチするなか、死と救済の問題も一つの切り口として論じられているかと思います。冥/顕の世界が中世の人に大きな影響を与えているということですが、死生観にはどのような影響を与えているのでしょうか。

 

池見  他界観と死生観の関係は、死後の世界を他界とよぶことに端的にみられます。

 では、冥顕の話と死生観がどう関係するのか、ということですが、その前に死生観の特質性を考える必要もあろうかと思います。死の歴史というのは、千年の長きにわたってようやく変化が見えてくるものです。これが政治史などとは違うところです。政治は明確な画期、エポックが小刻みに刻まれます。だけど心性史は五百年、千年くらいないと特色がわからないくらい緩やかに流れます。幕府が滅びたから死生観が変わる、ということも基本的にはないでしょう。第二次世界大戦前後を見ても死生観自体はあまり変わっていない、という見方もできるのです。私はこのような立場で考えたいと思います。

 また、死生感覚を見ていくときに、学識ある聖職者と、仮に一般民衆と言いますか、それらとの共通基盤を見いだす必要がある(フィリップ・アリエス)。法然、親鸞、日蓮などの祖師と言ったような人たちと大衆とのどこに共通な要素があるのか。彼らの著作のなかでも、書簡、あるいはそれに準ずるような法語の類は、教学的理念とは異なる私的情念があふれています。私的情念の部分に何か死生観のうえで人々が共有する基盤があるのではないか、そう思うのです。

 さて、死生観ないし死の問題は今まで個人の死、個体の消滅という点でのみ、語られました。しかし、個人の死は、実は人間関係の断絶を意味します。したがって、古来、死という悲苦を私的情念のレベルで根本的に解決する道は、人間関係の再生に求められました。

 そこで、死生観を考えるうえで注目したいのが「死後再会」ということです。死後において再会を願う思想です。死後再会というのは、古くは往生伝や源氏物語、平家物語。やがて説教浄瑠璃(せっきょうじょうるり)などに言われます。それに先だって言うべきことは、法然や親鸞、日蓮などの祖師たちにも死後再会の願望が明確に見られるということです。

 有縁の死者(夫婦・愛人・親子・友人)との再会願望です。それは、一人きりの死ではない、死後の共生を言うものですが、これは近代的な「個」の救済でもなく、「共同体」の救済でもなく、人間関係の救済──私はこれを「人倫の救済」と言います──への欲求が死後再会願望です。

 

──法然等は具体的にはどのように「死後再会」について述べているのでしょうか。

 

池見  法然は、「浄土再会」というような仏教用語を用いて死後再会を親しい者に解き勧めます。「正如房(しょうにょぼう)へつかはす御返事」で、病床の正如房に対して、

 

ツイニ一仏浄土ニマイリアヒマイラセ候ハムコトハ、ウタガヒナクオボエ候。  カシコニテマタムトオボシメスベク候。

 

正如房という特定具体の女性に、向こうで会いましょう、それができるのだからそれを信じなさい、ということを強調しています。法然の私的情念がさく裂しているのです。浄土観で法然を批判した日蓮も、私的情念のレベルでは法然同様、信徒への書簡で死後再会を述べています。

 また、親鸞は、これ自体が近代的解釈の一側面なのかもしれませんが、「現生正定聚(しょうじょうじゅ)」、現生での救済に言及し、臨終待つことなしとおっしゃったことが強調されますが、一方、親鸞が手紙のなかで、先立った人に対して、

 

かならずかならずさきだちてまたせ給候覧。かならずかならずまいりあふべく候へば、申におよばず候。

(『御消息拾遺』)

 

と浄土での再会を強調しています。法然、親鸞、日蓮、一遍など教学理念上での浄土観で相違するところも少なからずありますが、こうした「死後再会」というものが共通して言われています。教学的な浄土観で違いはありますが、私的情念では共通の情念としてとらえる必要があるのではないでしょうか。私的情念を吐露した文言のなかに、死後再会という共通のワードが明らかにみられます。

(文責:親鸞仏教センター)

後編へ続く

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Interview 第27回 池田行信氏(後編)
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
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研究員の紹介

中村 玲太

NAKAMURA Ryota
(嘱託研究員・教学研究所助手)

プロフィール

専門領域
法然及びその門流の思想形成について(特に、證空教学、ならびに西山浄土教史)
略歴
1987年茨城県生まれ。
明治大学農学部卒業。
東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻博士前期課程修了。

博士(文学・東洋大学)

元親鸞仏教センター常勤研究員、嘱託研究員、事務嘱託。
現在、教学研究所助手。
所属学会
真宗教学学会、西山学会、東アジア仏教研究会、日本印度学仏教学会
研究業績

researchmap教学研究所ホームページを参照。

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第47号
『現代と親鸞』第46号
『現代と親鸞』第45号
『現代と親鸞』第44号
『現代と親鸞』第41号
『現代と親鸞』第39号
『現代と親鸞』第35号
『現代と親鸞』第33号(清沢満之研究の軌跡と展望)
『現代と親鸞』第32号
『現代と親鸞』第30号
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『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』第3号

『añjali』第41号
『añjali』第37号
『añjali』第30号

『親鸞仏教センター通信』第85号
「親鸞仏教センター通信」第83号
「親鸞仏教センター通信」第81号
「親鸞仏教センター通信」第79号
「親鸞仏教センター通信」第75号
『親鸞仏教センター通信』第71号
「親鸞仏教センター通信」第67号
「親鸞仏教センター通信」第62号
「親鸞仏教センター通信」第61号
「親鸞仏教センター通信」第60号
「親鸞仏教センター通信」第59号
「親鸞仏教センター通信」第58号
「親鸞仏教センター通信」第56号
「親鸞仏教センター通信」第55号
「親鸞仏教センター通信」第52回
「親鸞仏教センター通信」第51号
「親鸞仏教センター通信」第50号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
今との出会い 第220回「そういう状態」
今との出会い 第209回「順接か逆接かそれとも超越か」
今との出会い 第199回「曖昧なブラック」
今との出会い 第194回「星の祝祭を手のひらに」
今との出会い 第184回「ひとりの夢を」
今との出会い 第174回「そしてハイシャはつづく」
今との出会い 第164回「誰かと生きる時間」

『añjali』WEB版(2022年5月15日更新号)
『añjali』WEB版(2022年2月1日更新号)
『añjali』WEB版(2021年5月15日更新号)
『añjali』WEB版(2020年6月15日更新号)

Interview 第16回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」後編
Interview 第15回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」前編

『現代と親鸞』第46号

■ 研究論文

中村 玲太 「 西山義における「帰命」解釈の多様な展開――真宗学の西山理解を契機として」

青柳 英司 「 如来回向思想の背景について」

■ 第66回現代と親鸞の研究会

安藤 礼二 「鈴木大拙の浄土論」

■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会

三枝 暁子 「身分制から見た中世社会」

■ 「正信念仏偈」研究会・源信『一乗要決』研究会

立川 武蔵 「生命への意味付けと阿弥陀仏」

■ 第6回「清沢満之研究交流会」報告

全体テーマ:「世紀転換期の宗教思想運動――内村鑑三・綱島梁川・清沢満之」

【問題提起】

赤江 達也 「「無教会主義」の波紋――内村鑑三から塚本虎二へ」

古荘 匡義 「実験と言説――綱島梁川からの宗教思想運動」

名和 達宣 「「精神主義」運動の波紋――曽我量深を中心に」

【全体討議】

鶴岡 賀雄(コメンテーター)・長谷川琢哉(司会)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之 「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(32)」

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巻頭言

本多 弘之 「新型コロナウィルスに想う」

■ 第67回現代と親鸞の研究会報告

講師 江原由美子 「現代社会とフェミニズム」

報告 宮部  峻

■ 研究員と学ぶ公開講座2021報告

藤村  潔 「『大乗涅槃経』を読む」

東  真行 「「正信念仏偈」を読む」

谷釜 智洋 「『精神界』を読む」

■ 第3回現代と親鸞公開シンポジウム報告

長谷川琢哉 「人間的行為の葛藤と〈いのち〉の言説」

中  真生 「いのちとその産み育ての結びつきと分離―「母性」、出生前診断、「赤ちゃんポスト」などを手がかりに―」

森川 輝一 「〈いのち〉と政治のパラドックス」

加藤 秀一 (コメンテーター) 中村 玲太 (開催趣旨)

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

宮部 峻 「森岡清美(1923〜2022)」

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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」

親鸞仏教センター嘱託研究員

中村 玲太

(NAKAMURA Ryota)

 「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177 – 1247)に次のような言葉があることにも起因している。

 

他力の人は、心に極楽を願う信心いたくおこらず、妄念すべて止まらぬにつけても、あら忝なの仏の願行や、五劫思惟の願が凡夫往生の願とならせずんば我等が往生は思いぎりなん。我等が願行を成じたまえる忝なさよと拝む故に、夜もすがら念じ日ねもす唱うれども、自力にはあらず、念々声々に他力の功徳が円満するなり。(證空『述成』、『西山上人短編鈔物集』、88頁)

 

 ここで「他力の人」と言われる念仏者について、浄土を願う心もおこらず、迷妄も止まない姿が語られるが、證空における自覚の吐露だと言ってもよいのであろう。それでは「他力の人」になっても何も変わらないのではないか。正確に言えば、弥陀の本願に帰するという宗教体験は、個人の人格を変えるものではないのか。変えるものではないとするならば、「他力の人」になるとは如何なる意味で従前の自己とは違うのか。こうした問いである。現段階のひとまずの回答として考えているのは、本願に帰入するということは、私の人格が変わるという体験ではなく、立つべき土台、大地が与えられるという世界の変容ではないかということである。これについて少し考えてみたい。

 我々は刻々と変化だけはしているのであり、求めているのは「意味のある」変化であろう。求道上で言えば、本願を信じて浄土を喜べるようになった、ありがたさを感じるようになったという変化があれば、仏道を歩んできた有意味な結果として安堵できるのかもしれない。しかし、そうした変化、体験をして往生の確証とするわけにはいかないであろう。これは求道心が変化することの価値を否定するものではなく、凡夫の知恵で判断、確信できる範疇に往生浄土はないということである。

 證空は「自力の人」については、「信ずる心発る時は往生も近々と覚え、妄念発りて心ならぬ時は、往生も遠々と覚ゆるなり」(同上、87頁)としている。本願を信じる心がおきる時は往生を確信し、そのような心でいられない時には往生も遠いと思うのが「自力の人」の姿なのだという。これは何が問題なのだろうか。おそらく、浄土を近くに感じ取るようになったなどという変化をもって、それを往生において「意味のある」変化だと受け止める態度が問題にされているのであろう。往生という次元においては、自らが「意味のある」と思う変化、体験にすがる心こそ自力と言われるのである。

 弥陀の本願に照らされて仏道を歩むというのは、我々にわかりやすく有意味な変化や体験が与えられるものではないということにもなろう。その反面、歩みの一つ一つを我々が思う有意味/無意味という範疇では判定されないということでもある。

 しかし、これは無心に、気兼ねなく歩ける道が与えられるというものではない。凡夫の抱える罪悪は変わらないのであり、罪悪は罪悪として知らされるのである。それは罪悪の凡夫とは、浄土にしても僧伽(サンガ)にしてもそれが与えられるに値する存在ではないということの自覚でもある。しかし、この罪悪離れがたき凡夫を場として成就するのが、浄土を与えんとする弥陀の本願なのである。先の『述成』で證空は、妄念の止まない自己に満ちる他力の功徳を「あら忝(かたじけ)なの仏の願行」だと言っていた。これは本願への讃嘆であり、卑小な自己の分を超えた境遇であることの自覚でもある。かたじけなくも、弥陀が本願を成就していく実践の場として、凡夫の世界が宗教的な意味転換をするのである(これは證空のいわゆる「往生正覚倶時」説から敷衍して考え得るものである。拙稿「天台本覚思想と證空――「現生往生」思想の究明を射程に入れて」『花野充道博士古稀記念論文集 仏教思想の展開』〔山喜房仏書林、2020〕参照)。

 あえて言えば、弥陀の歩みの場として我々にも道が与えられていくということになろうか。冒頭の問いに対して、以上のような立つべき、歩むべき世界の変容があるのではないかということを考えている。

(2022年6月1日)

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今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
2022年8月01日
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)…
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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
2022年6月01日
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177…
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今との出会い 第229回「哲学者とは何者か」
2022年5月01日
今との出会い 第229回「哲学者とは何者か」 親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一 (KOSHIBE Ryoichi)  今、ヤスパースの『理性と実存』を訳しているので、なぜ自分がこうしたことをしているのかを書いて見よう。…
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今との出会い 第228回「喪失の「永遠のあとまわし」―『トロピカル〜ジュ!プリキュア』論―」
2022年4月01日
今との出会い 第228回「喪失の「永遠のあとまわし」―『トロピカル〜ジュ!プリキュア』論―」 親鸞仏教センター嘱託研究員 長谷川 琢哉 (HASEGAWA Takuya)  娘が4歳になって幼稚園に通うようになると、プリキュアを見るようになった。それまでは恐竜や妖怪の人形でおままごとをしていた娘が幼稚園の友達の影響でプリキュアを見るようなったことに対しては、感慨とともに若干の寂しさを覚えたが、私が日曜朝の『トロピカル~ジュ!プリキュア』(以下、『トロプリ』。ABCテレビ・テレビ朝日系列にて放送)を娘と一緒に楽しみにするようになるまでほとんど時間はかからなかった。…
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