大乗仏教では、大涅槃を浄土として荘厳・象徴することによって、とらえがたい大涅槃なるものをイメージとして具体化してきた。また浄土教ではそのイメージに基づいて、浄土往生を実現することが浄土教徒にとっての最終目的のように受けとめられてきた経緯があるわけだが、親鸞は本願の思想に返すことでその考え方を改め、浄土の意味を根本的に考察し直した。
その考察の道筋をたどることは、浄土を実体的な「あの世」とみなし、それを常識としてきた立場からすると受けとめにくいことかもしれない。しかしながら、我々はいま、親鸞が浄土を一如宝海と示して考察した道筋を、『教行信証』の説き方に則しながら考察してみようと思う。
『教行信証』の正式な題名は『顕浄土真実教行証文類』という。この題が示すように、「浄土」を顕(あきら)かにすることが、衆生にとっての根本的な課題なのである。そこで親鸞は、真実の「教行証」という仏道の次第を見出して論じ、その課題に応答している。そして、本願に依って衆生に呼びかける大涅槃への道筋が、「行信」の次第であることを示している。
この次第は、いわゆる仏教一般の受けとめ方とは異なっている。仏教一般で言われる「行」は、信解した教えに基づき自力で涅槃を求めてなされる修行の方法であり、各々その行の功徳によって果である涅槃への道筋が開かれるという理解である。つまり仏道の教を信じて行じた結果が証だという次第になる。この次第は「信・解・行・証」あるいは「教・理・行・果」とも表されるが、これは、この世の一般的な時間における因果の次第と同様の流れであるから、人間の常識からすると理解しやすい。
これに対し、親鸞が出遇った仏道は、本願に依って誓われ一切衆生に平等に開かれる「証大涅槃」の道である。だからして、衆生にとってだれであろうと行ずることができるような「行」、すなわち「易行」が本願によって選び取られているのであり、本願力に依ることによって、個々の衆生の条件によらず、平等に涅槃への必然性が確保されると親鸞は理解する。この本願力を「他力」と言い、衆生がこの他力の次第を信受することが待たれているというわけである。親鸞は、この他力の次第を行から信が開かれてくると了解したのだ。
この他力を信ずるのは、衆生にとっては難中の難であるとされる。それは、各々の衆生の生には、それぞれ異なる多様な縁が絡み付き、その事態に各々が個別に対処しているということがあるからである。だからして、この事態を打破するには、各々の出会う縁に対し、各自がそれぞれ努力するべきだという「自力」の教えが伝承されてしまうのである。
(2024年5月1日)
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磁場に置かれた曲がった釘
加来 雄之 KAKU Takeshi
西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。
- 真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。
(『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)
現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。
キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。
- 軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。
(八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)
八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。
①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。
曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。
強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。
②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。
S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。
③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。
衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。
④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。
私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。
「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。
⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。
長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。
私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。
私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。
「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。
(2024年元日)
加来雄之 KAKU TAKESHI
元大谷大学文学部真宗学科教授。
大谷大学名誉教授。
現在、親鸞仏教センター副所長。
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浅原才市に学んだ小説

乗代 雄介 NORISHIRO Yusuke
小説家
専業の小説家として暮らしている。中学1年の時から書くことを始めて、29の年にデビューして、今は36。だんだん書き方も変わってきて、小説のほとんどを外で考え、外で書くようになった。
10代の頃、小説家の生活とはどんなものかと考えることがあったけれど、当時の自分が今の自分を見たら、多少なりとも混乱するだろうと思う。彼の考える小説家とは、彼が毎日せっせと誰に見せるでもなく実践しているように、机に座ってじっと考えながら手を動かすものだからだ。
どんな小説も文字が増えていった結果として完成するもので、例外はない。どこから書くにせよ、後から減るにせよ、とにかく書き進めるわけだ。迷った時は、読んだ本とか見た映画とか友人の話とかにヒントを得て、新たな道が拓けることがある。
つまり、書いている小説世界というのがあって、そこに現実から引っ張ってきた何かを投入することで活路を見出すのだ。しかし、その何かをそのまま使えることはほとんどない。既にできかけている小説世界に合わせて、形が変えられることになる。
例えば、現実の友人と喫茶店で話している時、友人がコーヒーをこぼしたとする。そのあわてぶりに興をそそられた作家は、小説の登場人物2人が喫茶店で話す場面で同じことを起こそうと思い立つ。
コーラが好きな人物設定だったから、コーヒーではなくコーラをこぼすことにしよう。登場人物は黒っぽい服を着ていたけど、目立たないから変えて、白だとやりすぎだから水色ぐらいにして。それで、そのあわてぶりを見て、相手に幻滅することにしよう。
全ての小説は、意識するかしないかは問わず、大なり小なりそういうことのくり返しで書かれていると言ってもよい。ただ、それに気付いた時、つまりは自分が現実世界から得たものを色々な事情で都合よく変えて小説世界に配置していると自覚した時、私は自分の小賢しさがいやになってしまったのだった。
私の場合、もともと1人で外を歩き回るのが好きだから、風景がきっかけになって小説が書き進められることが多いが、そこでどう書くかというのは問題だった。というのも、風景の素晴らしさを再現するために、何があって何がいてと言葉を尽くすほどに、言葉の上での美しさは目減りしていくのである。
間を取り持つ比喩を駆使してそれらしく書けば人は美しい風景と認識しないこともないだろうが、書いている私には生気を抜いて飾るようでくだらない。そう思っているくせに、クイナの仲間のオオバンがいる池の風景を思い出しながら書く際、ほとんどの人は知らないしいちいち説明すると興をそぐから「鴨」と書くことで趣ありげに流してしまったりするから、いやになった。
私は何のために小説を書いているのだろう? 人にそれらしく読んでもらって褒めてもらうためか? だとしたら、ひたすら自分のために書いていた10代の私に合わせる顔がないではないか。
そんな自問自答の中でいつも、妙好人と呼ばれる人々を思い浮かべた。ここで書くのも釈迦に説法だが、浄土教とくに真宗の他力思想に感化されて出た、多くは無学で社会的地位も高くないが、蓮華のように美しく篤い信仰をもった在家信者のことである。
私はサリンジャーの影響で割に早く禅に興味があったところから仏教について気まぐれな独学を続け、もう10年も辞書を引き引き『五灯会元』をじりじり読んでほぼ忘れながらそれでいいと思っているぐらいの人間だが、それはともかく鈴木大拙は、島根県石見国の漁村で下駄職人をしていた浅原才市という妙好人に関心を寄せ、くり返し書いている。『妙好人』(法藏館)から、才市が乏しい文字で書き残した〈口あい〉と称するものを孫引きする。
- このさいちわ、まことに、あくにんで、ありまして、
- くちのはばが、二寸のはばで、をそをゆて、
- ひとをだますと、をもをてをりましたが、
- それでわのをおて、
- わたしは、まことに、あくにんでありまして、
- せかいのよをな、をけな、くちをもつてせかいのひとを、だましてをります。
- わたしや、せかいに、あまうたあくにんであります。
- あさまし、あさまし、あさまし、あさまし、
- あさまし、あさまし、あさまし、あさまし。
現実世界を都合よく小説世界の鋳型に押し込んでいた私は、「二寸のはば」で「噓を言って」小賢しいと自分を嫌悪していたが、実際はもっと大きな悪なのかも知れない。
「世界のような大きな口で世界の人をだましている」という才市の告白と反省に憧れたのかも知れない。かも知れない、かも知れないと書くのは、10年ほど前に『妙好人』を熱心に読んでいた時は、この箇所を敢えて意識した覚えがないからだ。今、この文章を書くために読み直して気付いたようなことである。